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大切な友達たちの話

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幼少期から今まで、そしてこれからの友達について 私自身の「友達」に対する考え方、 息子を通じて考えた友達について、など。 友情は愛だと思っています
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会ってから名残まで楽しい彼女

 しょっちゅうではないけど、時々そうするように、カフェにパソコンを持ち込み、1~2時間ほど集中する。田舎は基本的にいつでも混んでいないから、気を使わなくて良い。  席につこうとしたら、すぐ横にあるついたてにパソコンの入っているカバンをぶつけてしまった。  ゴゴン! と音がしちゃったので、ついたてをはさんで、すぐとなりに座っていた人に「すみません」とあやまる。  その人が「なに?」みたいな顔でこちらを見ている。  なに。みたいな顔してなに? めっちゃ見てくるやん。とついたて越

物の見方やお互いの環境がちがっても話せると良いな

 中学や高校の友達って一生続くよとか言われる。  大事な思春期を共に過ごしたから?  なんでなんだろう。  何十年も経ってからうまくいかなくなった友達もたくさんいる。周りでも「高校生までの友達で今も続いている人なんていない」って人、けっこういる。  私にはそういった友達がぽつらぽつらいるけれど、ずっと「気を使わなくて良くてラクだから」「何でも話せるから」と思っていた。  だけど50歳過ぎた今、多くの面で考え方や環境が似ているのは、大人になってからできた友達。大人になってから

noteでもリアルでも、人付き合いは違うし似ている

 外で巨大ナベでもたたいているのかと思ったよ。  ガンガンガンガン!!! て。  初めて聴いた雷の音。  巨大ナベをたたく音も聴いたことないけどさ。  巨大ナベってなに。  最近、急な大雨が激しくて、そんな音と大雨の、ゴーみたいな音が聞こえていると心細くなる。私も怖いしみんな大丈夫なのかなとか心配してしまう。こんな天気の日には、みんなもこんな風に何となくそーっと外や天井見上げているのかな。もう少し穏やかに、せめてザーザーと降るくらいだと、こんな日もあるさと思えるのにな。

昔の卒業ソングを聴くと、思い出す彼女

 卒業シーズンになって、息子が幼稚園、小学校、中学校、高校と、卒業する度に、心をおおいに揺さぶられたなあと思い返す。    noterさんたちのお子さんたちへの思いも次々と上がっていて、良いもんだなあとしみじみきちゃう。泣いちゃう人も寂しがっている人も、明るい気持ちの人も楽しんでいる人も。思いがいっぱいで、晴れやかで。みんな良いな。    そんな中、以前から書きたかった人について、書くきっかけを与えられたものがあって。 ***  女子校でお嬢さま学校に通っていたので、同級

「会って」実感した空気感

 3年半ぶりの友人。2年ぶりの友人。  それぞれ2月に会えた。  リモートで話したりもしたので、それほど積もる話はないだろうと思っていたけど、会ってみるとやっぱりちがった。  リモートって便利。会話できるから会うのとそう変わらないよと思っていたけど、本当は気づいていたようにやっぱりちがった。  リモートだとシンとした時間が、「なんとなく」ていどのちっちゃな不安だけどまとわりついている。間とか呼吸とか気になってしまう。ごくわずかなタイミングのズレもあって、同じ時に話し始

大笑いしてくれたら、つらかった思いも報われた気がした

 自分にとって理想的で健全な精神状態を保つには、3種類の対人環境があると良いんですって。  日ごろの出来事やちょっと心にある軽い話ができる相手。できれば気軽に会えると良いけど今ならリモートがあるから近くなくても良いのかな。  それから暮らす場所が遠くても(近くても)良いから深刻な相談ができて本心まで語れる相手。  そしてカウンセラーなど心の専門家。  ずいぶん前に聞いたから、今の説はまたちがうのかな。間違ってはないと思うのだけどね。  彼女はそれで言えば、日ごろの出来事や

37年経ってもまだ意外なところが見つかる友人

 ずっと前に記事で書いた友人Zちゃん。中学一年生から仲が良い。  仲が良いと言っても、ずっとベッタリだったわけじゃなくて、それぞれに仲間の輪があったので、互いに気を使っていた。  Zちゃんは、教室で大好きな俳優の歌真似をしたり、みんなの前で笑いをとったり注目されやすい。スポーツもできたから目立っていて、みんなの人気者。みんながいる時に近づき過ぎると取り合いの渦に巻き込まれてしまう。 ***  昨年からみんなが思うように会えなくなった。  帰省も、息子の受験もあったとはいえ

一人カラオケで、いつも思い出す彼女

 幼少期の名残で英語の発音がそこそこなのに、英語が話す力がない。でも時々英語を発音したくなる。  そうか。洋楽を歌えば良いんだ!  と気が付いて、一人カラオケで試し、あまりの下手さに激しく挫折してから、月一回、ヴォーカルレッスンに行くようになった。  今は、例の感染症のために、休会中。  でも一人カラオケには、時々行く。声を出さないと、すぐ衰えていく。  いつも歌う曲はだいたい決まっている。2年以上ヴォーカルレッスンに通ったのに、大して上手くならない自分にガッカリしつつ、

アナタを、ゆっくり思い出す日

 デパートのケーキ店に勤め始めたのは、21歳の頃だったかな。大学に通いながら、アルバイトをしていた。  市内でオープンする初めてのデパート。そこに入るケーキ店に、応募して店員になった。オープン当初からいたメンバーはそれぞれの都合で、少しずつ変化していく。二番目の店長が良い方で、店員同士の仲が良かったので、皆、長く続いていて入れ替わりはほとんどなかった。  新しく入る子がいたら、「どんな子だろう?」とドキドキ緊張してしまうほど。  そこに加わったバイト仲間で、印象に残っている

おとなしくて、笑うのが好きな友達

 バイト。食べ歩き。ボランティア。大笑い。ベッタリ付き合っていなかったはずの彼女とのエピソードが、いつの間にかたくさん積もっていた。  ホリデーカードを交わす人たちの中に、ケーキ屋のバイトをしていた頃の友人がいる。  彼女は一つ年上で、大人しいタイプ。私も自分からあまり話せる方じゃないし、話を広げるのも下手。私と親しい人はよく喋る人の方が多いのだけど、彼女といる時間もそれはそれで成り立っていた。シフトに二人で入っている時も、静かに並んでいるのは苦ではなく。ちゃんとやること

時々思い出す、可愛くて大好きだった友達

 目がクリクリと丸くて大きくて。目と同じで顔も丸い。髪は長くてサラサラの彼女。細くて可愛い声をしていた。ほんの少しだけぽっちゃりしていて、ほんの少しだけおどおどしていて、その態度や様子がまた可愛かった。  小学一年生の秋に帰国した後、三年生の時、市内で引っ越しをした。兄の中学校のことを考えたそうで。又、母が義父母や両親から離れた方が良いと判断したのだろうか。  私は転校した先で委縮していたけど、大好きな友達ができた。  私の住んでいたマンションの隣りに、彼女はお父さんの社

ヴァイオリンを演奏する彼女を応援している

 テレビで時々だけど、N響(NHK交響楽団)のコンサートを観るのには、理由がある。  母がクラシックの専門家だと言って良いだろうに、私はクラシックにそれほど興味がない。好きな曲はあるけど、積極的に聴きに行くほどでもない。  それでもN響の演奏を時々観る。  *  中学から大学卒業するまで、ずっと同じ女子校にいた。  35年くらい前、そこの中学に合格したら、あとは大学卒業まで同じところに通う子たちが大半だった。大学受験する子は私の学年では180人中10人ちょっともいただろ

友達と向き合う覚悟がまだ足りない

 迷ったのだけどやっぱり書いて載せよう。  心の病にかかった経験のある方や、専門に勉強した経験のある方が読んでおられたら、これで良いのか、少し後押しをいただきたい。  友達がうつ病になったと手紙を送ってきたのが何か月か前。  私が「年賀状をやめることにしたのよ」とお知らせのカードを送って2か月後くらいのことだった。  文字が子供のような幼さになり、偏やつくり、漢字のあらゆる部分が抜け落ちている。うつ病でそういうことが起きると知ってはいるけど、脳の萎縮や一部が働いていないの

顔を見れば、きっとわかる

 なんでだっけ。  何かをきっかけに、急に思い出した友人がいて。  中学から私立の女子校に通い始めた。  最初に仲良くなったのは、学年でもクラス内でも、名前順で隣りになったBちゃん。  二人共、背が低めだったので、二人でキャッキャと騒いでいると、みんなにそのコンビでの様子が可愛がられた。彼女の場合は顔も可愛かったんだけど。  休み時間も、掃除の班も、お弁当の班も、かなりベッタリ楽しんでいたと思う。  家にも呼ばれた。お父さまは脳外科医で、手術に失敗した経験があることをB