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現実と想像

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 そのものズバリの現実を見てしまうと、それまでだ。その入口とか、手前とか、それに達していないときの方がよかったりする。
 完成されすぎたものは完璧で、それ以上のものはもうない。想像の余地がない。想像していたものがズバリそこにある。これは目的を果たしたことになるが、それだけの話だったりする。意外と極めて当たり前のものが、当たり前のようにそこにあるような。
 当たり前とは、予想が当たった場合、その前に立つこと。という解釈は冗談だが、当たり前のものとしてそこにあると、もう興味はそこにはなかったりする。
 逆にまだ到達していない、見えていないもの。聞こえてこないもの、などの方が引っ張られやすい。
 想像、それは遊びでもある。想像と現実とは違う。現実になると、もう遊びがなくなる。
 遊びとは、想像の幅。まだ現実が分からないのだから、色々と想像できる。時としてとんでもないことまで想像してしまう。だが、現実には何も起こっていない。
 ただ、想像するということは現実だ。想像すれば現実が現れるのではなく、想像行為そのものが現実の行為。
 現実は間違いはない。しかし、想像は間違いが多い。また、最後まで想像のままの現象もある。現実は見ることが出来なかったりする場合だ。
 想像するのはそれを想像している人。かなり個人差がある。その意味でも遊びが多い。
「竹田君、想像力がたくましいのはいいのですが、それは子供モードだよ」
「そうなんですか」
「だって想像を楽しむなんて、子供っぽいじゃありませんか」
「じゃ、大人は」
「まあ、大人も色々なことを想像していますが、それほど無茶で乱暴な想像はしないもの。世の中のことを子供よりもよく知っていますからね」
「じゃ、大人は多くの現実も知っていると」
「逆に知りすぎて、想像の芽を摘んでいるようなものでしょ。現実にも色々とありますからね。下手な経験が足枷になったりします」
「先生もそうですか」
「私はそれほど多くは知りませんから、そこは助かっています。まあ、ただの不勉強ですが」
「じゃ、勉強しない方がいいのですか」
「いや、勉強しないと、予想もできないので困るでしょ」
「そうですね」
「それで、何でした」
「想像の話です」
「色々なことが想像できるのなら、それはそれで結構。想像しているときが一番よかったりしますからね。ただし、悪いことは想像したくないですがね」
「そうなんです。僕の言っている想像は娯楽なんです。遊びなんです」
「よく遊び、よく学ぶ。古い言い方ですが、これですね。だから、想像を楽しむばかりではなく、現実も少し見て、勉強もしなさい」
「はい、勉強になりました」
 
   了

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