中村憲剛?誰それ?

「J1昇格おめでとう。ところで川崎の注目選手は誰?」

2004年冬。知り合いのJ1サポたちから、こんな質問をよく投げかけられたものです。間髪入れず答えましたよ。

「中村憲剛! 将来絶対代表にも入るから見てて!」

でも、J1サポの反応は鈍かったんですよ。

「中村憲剛?誰それ、聞いたことないな笑」とか、「ふーん、他には?」とか。某マリノスサポの友人に至っては、「中村は俊輔だけでいいよ笑」とか。”上から目線”にさらされながら、(今に吠え面かくなよ…)って悔しさを飲み込んでました。

でも2005年シーズンが始まると、「中村憲剛」の名前はあっという間にJ1サポの間に轟きました。

「なんなんだよあの14番、あんなのいるなら事前に教えてくれよ!」とか(ちゃんと教えたっしょ笑)、「あんな選手どこから見つけてきたんだよ」とか。例の某マリノスサポは、「俊輔ぽいうまさがあるよね。さすが中村姓だわ」と手のひら返してくれました笑。

気持ちよかったですね。自分が褒められてるみたいで。

「どうだ見たか!これが中村憲剛だ! これが川崎だ!」って、誇らしかったです。最初は誰も知らなかった「中村憲剛」という存在が、Jリーグサポ、サッカーファン、そして一般の方にまで広く知られていくその成長譚を、川崎サポとして最初から最後まで目撃できたことを、とても光栄に、幸せに、誇りに思います。

実は自分が川崎サポになったのも、2003年。ケンゴ入団と同じ年でした。

恥ずかしながら、サポになるまで、私も中村憲剛という名前を知りませんでした。というか誰一人として、知ってる選手はいなかったです(あ、アウグストと鬼木さんは知ってた!)。

そんな無名の選手たちが(失礼ですねごめんなさい)、名門クラブで出場機会を得られなかったり、クビになってやってきた選手たちが、当時遙か格上だったJ1の名門クラブをなぎ倒していく様は、マンガや映画よりも遙かにセンセーショナルで、刺激的で、興奮しました。

どんなに声を張り上げても、We are REDSにかき消されてしまった埼スタ。あの名将オシムが負け惜しみ(?)を吐いた、ナビスコ王者千葉との死闘。川崎を上回る破壊力を誇ったガンバとの激闘。殺気漂うようなマリノスとの神奈川ダービー。そして、ラスボスのように立ちはだかった、鹿島という巨大な壁。その一つひとつを打ち破り、乗り越え、ついには3度のリーグ優勝という偉業を達成したその中心に、いつも憲剛さんがいました。

こうして振り返ってみると、ほんと映画ですね。こんな大スペクタクルムービーを、18年に渡って見させていただいたことに、いくら感謝してもしきれません。ありがとうございました。「川崎フロンターレ・14番・中村憲剛」の物語は終わりますが、続編も楽しみにしています!