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同じ釜の飯を食うだけじゃ足りんねん

発信しているチャンネルの内容上、
食べることについて
考えることが多いです。

食べることを通して
僕らは何ができるのか
最近はそんなことを考えました

いきなりグネグネしたこと書くんですけど
『食べる』という行為は
相手への信頼を示す行為、
相手への信頼を感じ取る行為

だと僕は考えます

人って信頼していない人のご飯は食べません
相手を信頼しているとき
相手を信頼したいとき
「相手を信頼する」と決めたとき
相手が作ったご飯を食べます

2人暮らしをするようになって
一緒にご飯を食べたり
食べなかったり、
そんな感じの生活を1年以上続けています。
料理をするのは
基本僕です
同居人はそこまで家事をするタイプではなく
僕は料理好きなタイプなので
流れでいつも僕が料理をします

ある日、
同居人が料理を作ってくれました。
作ってくれた料理を食べているとき
彼への信頼の気持ちをめちゃんこ感じました。
少しいつもと違う心境でした。

同居人と毎日同じ釜の飯を食べているとはいえ
その日まで僕は
自分が作った料理ばかりを食べていました。
それは例えると
自分の世界を彼と共有しているようなもので
僕は自分の世界の中に
閉じこもったままでした
自分が作った料理を食べる彼の姿を見て
「俺はコイツに信頼されている」
という彼からの信頼を
感じていただけでした。

彼が作ってくれた料理を食べたことで
僕は彼の世界を共有してもらったのです。
また、彼の料理を食べようとすることで
『ああ、俺、コイツのこと信頼してんだな』
『コイツのこと信頼するって決めてるんだな』と
自分が抱く彼への信頼の心を
確かに感じることができました。

繰り返しになりますが、人は
相手を信頼していないとき
相手が作った料理を食べません

相手を信頼しているとき、
相手を信頼したいと思ったとき、
相手を信頼すると決めたとき、
相手が作った料理を食べます

ここで言ってるのは味への信頼だけじゃないです
人付き合いにおける信頼もです

多分、まずそうでも一口だけ食べるんです
それでさりげなく残すんです(笑)
一口食べるだけで
僕らは相手への信頼を示せます
一口で十分です

ただ
料理を食べる時、
生まれる信頼というのは
料理を作ってくれた人への信頼です
いつもお母さんが
料理を作っていると
お母さんへの信頼が積み重なっていきます
お母さんはみんなからの信頼を
日々感じ取れます
素敵っすよね

ちょっと視点変わるんですけど
人は他人への信頼を覚えたとき
心に余裕が生まれます
他人を信頼すると決めたとき
心が楽になります
なんでかっていうと、
考えることが減るからです

信頼する相手に対しては
あれこれ心配事を考えません
信頼してない相手に対しては
あれこれ心配事を考えます

信頼することを覚えると
どーんと構えられるんです
心が楽になります

だから
他人から信頼を示されるだけじゃ
足りない
んです。

お母さんにも他人への信頼を
感じさせてあげて下さい
お母さんに料理を作ってあげて下さい
年に1回でいいです
もしかしたら嫌がるかもしれません。
それでも作ってあげて下さい。
相手が作った料理を食べる時
たとえそれが不味くても
相手への信頼を感じられます

自分への信頼、相手への信頼、
両方を感じられたときに
人付き合いはより素敵なものになります。

双方への信頼を双方が感じ取る
料理を作ること、
食べることはそれを実現してくれる
素敵な手段です

僕らは食べることを通して
相手への信頼を示したり、
相手への信頼を感じ取ったり、
相手との関係を築き上げたりすることができます。
食べることは、
人付き合いと結構つながっていて、
複雑な営みなんだと僕は思います。

だから自分の腹を満たすためだけの
受け身な食事はもったいないです。

自分と相手の腹と心を満たす
そんな食事だったら
ホンマ素敵です

是非、能動的な食事を

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