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なんでもないようなこと。ありがとうの反対語

ありがとうの反対語は?
この前ある人から聞いた話ですが、ありがとうは「有り難い」から来ているとか。滅多にないようなことだから、有り難い。だから”ありがとう”、というわけです。


では、その「有り難い」の反対語は、なんでしょう??


有り難くない…つまり「当たり前」なんだとか。


あぁ、ハッとしました。


毎日ご飯が食べられること、
目の前の人が元気で笑顔でいてくれること、
こうやって好きに発信できたり、
人とコミュニケーションできることだって、全ては膨大な「有り難い」の上に成り立っているのに。

それなのに、
私たちは「当たり前」に慣れすぎて、「ありがたい」という気持ちを感じにくくなってしまいます。


さて、うちには3歳の息子がいます。


お正月明けから、
毎朝のように保育園の登園がグズグズ。

「ママ、いかないで」
「だっこ、だっこして」

となかなか手を離してくれません。
息子の小さな手を振り解きながら、先生に抱っこをお願いし、


「ガッチャン」


今日も泣いたなぁ…後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、園の門を閉じる、
そんな毎朝でした。


あぁ、今日はどうだろう、すんなり手を離してくれるかなぁ。
なかば願うように自転車から息子を降ろし、保育園の門を開けます。


「ママ、今日もバンバンお仕事するんだ〜、
 あなたは楽しく遊ぶのが仕事だよ〜」


こんなことを言いながら、いつもの登園時に記載する用紙に
お迎え時間や伝達事項を書いていきます。


いつもならこの時点で、
「イヤだ、イヤだ」と足にまとわりついてきますが、


今日はいつもと様子が違う。
彼なりにがんばっているのか、口を尖らせてている仕草がいじらしい。


受け入れに来てくれた先生が息子を抱っこをしてくれ、
「じゃぁ、ママに行ってらっしゃいしようか」と声をかけます。


「じゃぁ、ママいってくるね!
 たのしくあそぶんだよ」と手を振ると、


いつもなら「イヤ」しか言わないのに、
ちょっと口を尖らせながら、


「ママ、おしごとがんばってね」


先生に抱っこされながら
ひらひらと小さな手を振ってくれました。


去年ぶりのことです。
息子からの思いがけない「がんばってね」に胸が熱くなり、
クシャクシャっと頭を撫で


「ママ、がんばってくるね!」笑顔でバイバイをしました。


息子をはじめ、子どもたちの笑顔が溢れる保育園は、
どんなときも、当たり前のように子どもたちを守り、ともに喜び、ときには叱り、慈しみ育んでくれています。


…ガッチャン、


いつものように門を閉めながら、
「どうか、この当たり前の日常が守れますように」
祈りにも似た思いが込み上げました。


・・・
息子が笑顔で保育園で過ごせること、
娘が楽しい学校生活を送れていること、
わたしが小さい子どもがいるのに好きな仕事ができること、
夫が家事や育児を役割分担してくれていること、


道を歩けば、
電車に乗れば、
買い物に行けば、
仕事場だってどこだって、当たり前を支える人がいて、


わたしのなんでもないような日常は、数限りない人が支えている当たり前の上に成り立っている。


なんでもない日常こそが、愛しくてたまらない。


日常は、かけがえのない当たり前でできている。
本当に大切なものに、ありがとう、を伝えよう。


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