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47.虫取り

 Aさんは子供の頃虫取りの達人だった。
 夏休みともなると早朝から近隣の野山に出かけ、たくさんのカブトムシやクワガタを捕まえた。暫く家で飼い、夏の終わりには放しにいく。
 一緒に行くメンバーは時々入れ替わるものの皆同じ小学校で家も近所、親同士もよく知っている。ポイントも毎年だいたい決まっていたので、夜明け前から子供だけで出ていくことも黙認されていた。
 夏休みも中盤に差し掛かったある日、Aさんはいつものようにまだ暗い道を走った。
「おっせえぞA!」
 いつもの集合場所で、いつものメンバーが手を振っている。
「早く行こ、明るくなっちゃう」
 日が昇ると虫たちは蔭に引っ込んでしまうのだ。Aさんたちは足を速めた。
「うっそ、メッチャいるじゃん!」
 暗闇に目が慣れるにしたがい、思わず声が漏れた。幹が見えないほどビッシリと群がっている。しかも、
「ミヤマだ!」
 田舎でも滅多にお目にかかれないミヤマクワガタが、パっと見にも五、六匹いるではないか。
 Aさんはもう夢中で捕獲し、次から次へと虫かごに放り込んだ。
 もうこれ以上は無理、というくらい獲ったところで、辺りがほんのり薄明るくなってきた。
 そろそろ帰ろうか、と声をかけようとして
「あれ?」
 誰もいない。
 おかしいな、帰っちゃったのかな?と思った瞬間に気づいた。
(俺、誰と一緒に来たんだっけ?……ここ、どこだ?)
 今までまったく来たことのない場所だった。
 もう夜が明けていくというのに、しーんと静まり返っている。鳥の声ひとつしない。
(やばい、帰ろう)
 Aさんは駆けだした。
 元の道を戻ればいいはずだ。来た時だって十分と歩いていないんだから。
(あっ……)
 同じ場所をぐるぐる回っていることに気づいたのは何回目だったろう。
 Aさんは半泣きで帰り道を探した。
 見た目には如何にもどこかに通じているかのような道なのだ。だが何度試しても、また同じ場所に戻ることを繰り返すばかりだった。
 ついにAさんはしゃがみこんでしまった。
(母ちゃん……母ちゃんに会いたい。どうしたらいいんだ)
 虫で一杯のカゴが重い。
 Aさんはふと、虫かごの蓋を開けた。
 ミチミチに詰め込まれていた虫たちが一斉に飛び出していく。
(あと一匹)
 カゴの縁に捕まって微動だにしないミヤマクワガタを掴もうとした。
 すると、
「……い、おーい」
 声が聞こえる!
「俺だよ、Aだよ!ここにいる!」
 大きな声で叫んだ。
「なんだA、こんなところにいたのか。どおりで見つからないわけだ」
 虫取り仲間Bの父親だった。
「こんなところ?」
 辺りを見回したAさんはあっと驚いた。
 山中ではなかった。
 コンクリートの道の上だ。
 いつも行く山とは全く逆方向、三叉路の街灯の真下だった。

 Bの父親に連れられて家に帰ったAはこっぴどく叱られた。近所総出で探していたらしいのだ。
「お前、昨日の夕飯の時に、明日は誰も来られないから虫取り行けないんだよね残念!って言ってたじゃないか。一人で行くやつがあるか」
 Aさんは反論しようとしたがどうにも言葉が出ない。確かに自分でそう言ったという記憶があったからだ。
 ひとしきり父親の叱責が終わると、青い顔をして傍に座っていた母親が震える声で言った。
「……とにかく無事でよかった。お母さん、いつもより早い時間に目が覚めてね。部屋覗き込んだらAがいなかったものだからビックリして……ご近所にはご迷惑かけてしまったわ。改めてお礼にいかなくちゃね」
「……ごめん、なさい」
 Aさんはうなだれて、ポロポロと涙を零した。
 やんちゃな息子の意外なほどしおらしい反応に、父親も怒りを冷まされたか、虫かごに目を遣り、 
「ミヤマか。よく捕まえたな。あんな道端にミヤマが来るとはな」
 といって仕事に戻った。

 これ以降もAさんは虫取りをやめなかった。
 ただ、待ち合わせはやめて、必ずそれぞれの家を回っていくようにした。
 一匹だけカゴに残ったミヤマクワガタはAさん宅で元気に過し、夏休み最後の日に山に飛び立って行った。

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「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。