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山川草木

山川草木という言葉から何が想い浮かぶでしょう

山川草木という言葉から何が想い浮かぶでしょう。
故郷の山川や子供のころに遊んだ森、それとも、旅先で見た風景や草花でしょうか?

わたしの山川は、京都の比叡山と鴨川です。川の土手から眺める山川や下鴨神社糺森の眺めが、私のこころに残る風景です。草木は、虫取りをした桜木。「雪月花」は、華やかな桜花と名残りの雪が早春の冴え冴えと輝く満月の下で光り輝く様で、是非とも、一度は出会いたい景色です。

ところで、梅原猛先生は比叡山の天台密教が唱えたという「山川草木悉皆成仏(草木国土悉皆成仏)」を極めて日本的な仏教観であると説いています。わたしも、歳を経て、この教えのもつ意味が少しわかるようになりました。

キリスト教やイスラム教をはじめ、ユダヤ教を含めた一神教は、それぞれの神が唯一絶対の存在であり、世界を作ったという創造神です。それゆえ、他の神々を認めないのが際だった特徴です。しかし、古代オリエントの民族、古代ヨーロッパのギリシャ・ローマ世界とケルト民族は、いずれも多神教の民でした。インドのヒンドゥ教にみられるように、アジア地域の多くもまた多神教の世界でした。一神教が出現する以前は、いずれの地域も原始的なアニミズム信仰を基盤に、「自然に神宿る」世界が拡がっていたのではないでしょうか。古代オリエントのギルガメシュ神話、古代ギリシャ・ローマ神話、アイルランドや北欧の神話には、さまざまな精霊や神々が語られています。日本の古事記や風土記にも、多くの神々が登場します。

わが国の神道は、山川草木に神が宿るとする典型的な自然信仰です。大和朝廷の古代日本に大乗仏教が中国から伝えられると、在来の神々との主導権争いが生じましたが、結局、神仏習合の世界となりました。両宗教が共に本質的には多神教的な性格を内包していたため、異教の神を受け入れたと思うのです。

山川草木悉皆成仏

さて、一神教の神はいずれも人格神です。他方、多神教の神々は、人間はもちろんですが、動植物であったり、山や川であったりします。人知が及ばない自然のさまざまなものやことを崇めたのです。太陽や月は言うに及ばず、風や雷まで風神雷神として崇められ、物語や絵画に登場します。

「山川草木悉皆成仏」は、人間ばかりでなく、鳥獣虫魚の一切と草木のすべて、つまり「生きとし、生けるもの」はみな成仏できるという仏の教えを、さらに一歩進めた思想ではないでしょうか。知性や感情、意識を持たない(と思われる)山川にまで仏性が宿るとするのです。存在するものすべてが輪廻の中にあり、循環していることを示唆しています。これは、人間、ひいてはすべての生命が、本来万物自然と一体であり、循環しているとの日本人の自然観が反映されていると思われるのです。平安初期の日本人の自然観が仏教との出会いにより生まれたこの思想は、現代科学からみても興味深いことです。

#エッセイ


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