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2019.12.08 ぬいの大きさとアイドルの幼さ

昨日の日記を限りなく適当に済ませてしまったので今日は書きますよ。いや、そんなに書く事は無いかもですけど。


昨日の話。

新しくオープンした渋谷のポケモンセンターに行った。

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ルギアが好きなのでルギアのぬいぐるみを買いました。小さいのが欲しかったのでとても満足。

生き物は大きければ大きいほど好きなのだが、ぬいぐるみは小さければ小さいほど好きだ。おそらく自分との関係性の違いなんじゃないだろうか。

どうして大きな生き物が好きかというと、自分では太刀打ちできないからだ。一番好きな動物は鯨。その次がサメかなぁ…。圧倒的に大きくて、私とは違う場所である海に生きている。人間は海中では生きられないのでもう負けるしかない。ルギアも海の底で暮らすでっかいポケモンなのでもちろん好きだ。しかもルギアは陸に出ても生きていけるので最強なのである。

あ?鯨は陸に上がったら内部のガスが膨張して爆発するので強いのだが?

比べてぬいぐるみは生きていない。し、愛玩物なので可愛がってもらうために存在している。そして私の手でどうにでもできる。そういった弱さは母性をくすぐる。この子を守ってやらなければならない、なぜならな〜んにもできないクセに顔とかついてっから赤ちゃんと一緒なのだ。しかし実際の赤子サイズだとわりと手に余るというか、連れ回したりできない分気軽さが減る。外に連れ回したりしたいじゃないですか。実赤子だったら連れ回すけど、生きていないから家に置いててもいいんだもんな。

なのでぬいぐるみは小さければ小さいほど良い。ぬいぐるみを見て実物の良さを想うからぬいぐるみが本物である必然性も無いしね。


アイドルの本を読んでいる。ユリイカという月刊誌の男性アイドル特集だ。男性アイドルに関するコラムが多数掲載されている。

男性アイドルの顔はかわいい系の割合の方が高い。という事を、ピーターパンになぞらえて分析している人がいた。ピーターパンは子どもの頃親に捨てられ誰にも拾われず大人になれなくなったロストチルドレンというキャラクターなのだが、男性アイドルの少年的かわいさと並べて語るのがちょっと面白かったので考えてみる。

『永遠の少年』という神話的題材を生身の人間で表現するというのは、結構難しい。だって歳を取ったらどうなるかわからないから。観客の心に若き日の姿が鮮烈に残ればあるいは少年のままでいるという感覚にはなるだろう。

「あの人昔はかわいかったのにね」という言葉を、テレビを見ている母親から何度も聞いた事がある。元子役だったりベテランアイドルだったりを見て母はそう言うのだ。デビューした少年は短すぎる少年期間をたくさんの人たちに見せ、大人になる過程をさらけ出す。

ピーターパンは自らの意思とは関係なく成長できなくなってしまったキャラクターだ。アイドルは自らの意思で大人になる様子を見せている。まるで間反対だが、結局オーディエンスの中に残るのは少年の姿でしかないのかも知れないと考えると、後味は一緒なのかもね。


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マリオンクレープのヌテラクレープ、この世で一番うまい。



本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。