母が亡くなってそのあとの業務をすべてをやり終えたあと
母が亡くなってそのあとの業務をすべてをやり終えた。母の病気発覚からそこまで、私はその期間ずっと無職だったのだけど、母も亡くなってしもうたあと、さて仕事をどうしようかくらいは考える余裕ができるまでにしばらくかかり、募集があればいろいろ送っていたのだけど、その時に「こんなもんすぐ決まるだろう」と思っていたのがなかなか採用の連絡も来ず、私もまだ若かったので「まあのんびりでもいいか私は私のやらなきゃならないことの8割くらいはもうやり終えてしまったのだし」とか考えてだらだらと過ごしていたのだが、特にすることもないので、毎日サンオイルを身体に塗って、海パン一枚で釣り場に出かけていた。日焼けマンになろうと思った。
サンオイルの消費量はすごかった。なんかしょっちゅう買ってた記憶がある。ココナッツ臭のつけられたガン黒ギャル用のオイルを塗って晴れの日は毎日過ごした。とてつもなく暑い日は一人で海水浴もした。一人海水浴は結構楽しいものなのでやるといいです。
どんどん肌が黒くなってかっちょよくなっていった。金の喜平ブレスレットは黒い肌にとてもよく似合う。金と黒はとても似合う。ああそれでドキュンの人らの衣装は黒に金が多いのか。
そこそこ黒くなってそこでやめればいいものを、なんでもいろいろやりすぎてしまう性格は子どもの頃から今に至るまで変わっておらず、その時も、もっと黒く!ととことん塗りまくりとことん焼きまくり、そしてある日気付くと、私の見た目は「おしゃれに振ったガン黒系のお兄(おにい)」を通り越してしまい、鏡に映った私のそれは、北島三郎的船は男の度胸で走る系の北海道ニシン場育ち日本海側漁師ヤン衆の肌の色になっていた。街を歩いて似合う黒を通り越した。論語はいいことを書いているなあと当時思った。
追記 この前までyoutubeにその音源はなかった。いまあった。これはかなり北島三郎でもマイナーな歌だと思う。歌詞検索でうさんくさいところ1個しかヒットしない