ちょっと本気で思ってることを書きます。ただし、書きなぐり。しかも読んでていやな気分になるかもしれません。それでも読みたい人だけ読んでください。じゃあ、なんでわざわざnoteに書いてんだって言われたら、いや、やっぱ書いたからには読んでほしいんですよ。なんかめんどくさいですね。すいませんw

今、教育でコンピテンシーだなんだ役に立つだなんだ言ってるんですけど、本当はそんなことにまったく興味がなくて、いや、興味がないというと嘘になるんだけど、目標としてる世界では、なんかそんなんじゃねえんじゃねえの?みたいに思ってて。じゃあ、どんな未来をイメージしてるんだというと、「あらゆるローカルの問題は、それぞれのローカルで解決する未来」だみたいな耳にタコができるほど描かれた未来です。

こんなこと言うと「はいはい、みんな言ってるやつね」みたいな感じになりますけど、ぜんぜん世界はそうなっていないじゃないですか。例えばSNSではニッチな分野がブルーオーシャンだと言われたりするじゃないですか。でも、そこで目指してるのはフォロワーの獲得なんですよ。それって全然ニッチじゃなくて、ローカルじゃないんですよね。いや、それがブルーオーシャンの本来の意味かもしれないですけどね。でも、みんなが目指すフォロワー数というKPIを目指すセントラルな舞台なんですよ。なんか、そんなの全然ちがうじゃないですか。目標にしてる世界と。いや、わかってるんですよ。ぼくだって食べていくために発信力を持って、何か目に見えて他人から評価可能な業績を作っていかなきゃと思って、そうやって生きてるんですよね。でも、「そうじゃねえだろ」って心のどこかでずっと思ってて、「本当にあるがままで生きていける世界じゃないのはどうしてなんだ」って思ってるんです。だって、youtuberになって生きていこうと思ったら1000人のチャンネル登録者数じゃたりないんですよ。全然足りなくて。そんなのってもう大きすぎるじゃないですか。大きくて強いゲームに乗らないといけないんですよ。

「とがってるやつはこの社会では生きづらくて、でも、そんなやつが世界を変えてきたんだよ」みたいな話も正直食傷気味で。違うんですよ。なんで、変わってるやつの話を、みんなの世界の中で成功したって話にしちゃうんですか。それって結局、変な奴がみんなに認められたって話じゃないですか。もしくは、あたらしい普通を生み出したみたいな話になっちゃうじゃないですか。なんで多くの人に認められないといけないんですか。それってセントラルじゃないですか。ぼくが聞きたいのは「変な奴が変だなあと思われつつも、そのままローカルで楽しく暮らしましたとさ」って話なんですよ。なんで何かに秀でてないと、何かで勝たないと、いけないんですか。全部負けてても楽しく生きられる世界の方が良いに決まってるじゃないですか。いや、そんなのただの絵空事じゃんって言うかもしれないですけど、今言ってるのは絵空事なので許してくださいね。

それでもそんな絵空事みたいな世界があれば良いと思ってるんですよ。ローカルごとに課題って違うじゃないですか。いや、そのローカルの境目だって決めるのは難しいんですけどね。でも、まあどこかひとくくりで見たときに、「いやあ、俺たちはこんなことで困ってんだよね」みたいなことがあったら、もうそれは自分たちで解決するしかないんですよ。当事者意識がうんぬんとかじゃなくって、例えば中央政府みたいなのが解決策を考えるじゃないですか。それって、どの地域でも使える一般的なことなんですよね。それってどの地域でも使えるがゆえに、その地域ではムダが発生するんですよね。いわゆる最大公約数みたいなことなんですよ。8と12と16ってローカルがあったら、セントラルの解決策は4なんですよ。そしたら、それぞれのローカルでは、4と8と12ってムダが発生するんですよね。いや、世の中そんなシンプルじゃないんですけど、まあでも自分たちの課題を自分たち以外が解決するとムダが発生することってあるんですよね。もちろん、中央が全部やっちゃったほうがよいこともあるんでしょうけど。もはや使い古された感があるので、この言葉あんまり使いたくなくってここまで使わなかったんですが、中央集権的じゃなくって自律分散的になってほしいんです。やっぱこの言い回しが一番しっくりきますね。残念。無駄なこだわりです。

「なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ」みたいなことなのかもしんないです。それをね、中央集権的な価値の上に乗せたくないんですよ。誰もが活躍できる社会にならなくても良いじゃないですか。活躍できなくても楽しく生きていける世界ってのがあっても良いじゃないですか。活躍して楽しくなっちゃったら活躍できなくなったとき楽しくなくなるかもしれないじゃないですか。「好きなことをして生きていく」って言っても、今の世界は「好きなことをして生きていく」ことができる人がいる。ってだけなんですよね。3つの分野で100分の1になったら、100万分の1の人材になれるとか言いますけど、本当はレアな人材になろうって言わなくても、生まれながらにレアなんですよ。だって、100分の50でも、100個の分野でかけあわせたら100穣分の1の人材ですよ。計算しました。穣って単位生まれて初めて使いましたよ。たぶん地球上に存在してた全ての人より多いんじゃないですか?知らないですけど。なんで、そんなレアな私たちが、レアなのに生きていくのに苦労するのかって言うと、やっぱレアなだけじゃ価値がないんですよね。誰かにとって価値がある能力を持っていて、情報発信能力があったら、レアな存在になれるんです。でも100穣分の1の人材が活躍できない世界ってもったいなくないですか?みたいな、そんなこと思ってます。

あとはこう、好きなことをやったら良い。突き詰めたらよい。みたいな。いや、それが素晴らしいのはわかるんですけど、突き詰めなくても良いんじゃないかなあと思うんですよね。突き詰められない人もいるじゃないですか。いや、そういうと、「他動力だ!すぐ飽きるならいろんなことをしたら良いんだ!」みたいに言いたくなるんですけど、それも違うと思うんですよね。「なんで世界に合わせないといけないんだ!」みたいな気分になります。そいつ自身がそこにただいるみたいな価値が認められる世界がある方が良いじゃないですか。適当にダラダラすごして、なんかでもそいつを大切に思ってる人がいて、そいつも誰かのことを大切に思っていて、なんかそれでよくわからないけど飯が食えて毎日楽しいみたいな。いや、愚痴ですよ。読んでいていやな気分になったらごめんなさい。あんまりこういうことsns上に書かないんですけど、燃えたらいやなんで。でも、今日は書きます。そういう気分です。ただ燃えたら記事けしますw

いや、もうあるがままじゃいけないのかって話なのかもしれないです。あ、いや、ダメだというのはわかってます。頑張るなとか言ってるわけでもない。頑張りたい人もいるじゃないですか。でも、それぞれにやりたいことをやっていたらなぜかうまく全体のシステムが回って価値が循環してみんな食っていける。みたいな。そんなことがあってもいいじゃないですか。いや、世界中がそうなるとか思ってないんですけど、自分の周りぐらいはそんな感じで循環するような世界って作れないのかなあってちょっと思ってます。絵空事ですけど。

なんか、もっと書きたいことがいっぱいあるような気がするんですけど、なんかわけわからなくなりました。とにかく、どこかに吐き出さないと爆発しそうなモヤモヤが心の中にあったので書きました。こんな毒々しい駄文を最後まで読んでいただいたあなたには心からのありがとうを言いたいです。ありがとうございます。

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