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最大多数の最大幸福か?武士の情けか?/死刑制度論

死刑制度の是非にまつわる記事がYahoo!さんにあがっていました。
欧州をはじめとする海外では死刑制度が廃止されており、いまだ死刑制度のある日本に批判の声もあるが…という趣旨の記事ですね。



ここからが筆者の私見です

欧米は死刑を廃止することで、被害者側ではなく公共全体を合理化するのが眼目。
日本は死刑によって、公共全体ではなく被害者側の無念を晴らすことが眼目。

公共か?個人か?

欧米と日本では、「地理的条件」から司法が向いている方角が大きく違うのです。


最大多数の最大幸福〜欧州〜


欧州において死刑は激減しました。
凶悪犯罪者でも獄を出て、市井で暮らすことが多々あります。
だがシャバに出た彼らを待ち受けているのは、針の筵であり、白眼にさらされない時はありません。
つまり欧州において凶悪犯罪を犯した出獄者は「見せしめ」なのです。
「凶悪犯罪を犯すと、社会の中で死んだ状態で生きることになる」という人身御供。
これを見た一般人は犯罪を犯さなくなる。
といった流れにて欧州は凶悪犯罪を抑制しているのです。
一方で、
欧州において犯罪にあった被害者やその遺族は泣き寝入りを余儀なくされます。
自分の娘を殺害した人物が五体満足なまま市井を涼しい顔で歩いている。
被害者側にとってとんでもなく残酷な光景です。
凶悪犯罪者だけでなく、
被害者側も人身御供に捧げ、欧州社会は最大多数の最大幸福公共の治安良化を実現しようとする。

これが欧州のやり方なのです。

 欧州において死刑をしない狙い

凶悪犯罪者   見せしめ
被害者・遺族  人身御供

 公共     治安良化

欧州における死刑廃止の狙い 概念図

このように、
欧州では、個人よりも公共を重視しています。



武士の情け〜日本〜


翻って、死刑制度のある日本はどうでしょうか。
死刑があることで、凶悪犯は市井に出ることはなく彼らが「見せしめ」になる機会はありません。
凄まじい凶悪犯罪を犯しても「社会の中で死んだ状態で、生物学的だけにただ生き続ける」という人身御供にはならない。
だから、死刑制度によって凶悪犯罪者は「見せしめ」にならずに済んでいます。
これは日本に昔からある「武士の情け」の表出だと言えましょう。
ただし「見せしめ」がシャバで可視化されないため、死刑制度による治安の抑止効果は薄く公共の治安は良化されにくい。
一方で、
凶悪犯罪にあった被害者側は凶悪犯罪者の「死刑執行」によってわずかではあるが溜飲を下げることができます。
犯罪者を極刑に処すことで加害者側にも被害者側にも武士の情けや憐憫の情を向ける。

これが日本のやり方なのです。

 日本における死刑制度の狙い

凶悪犯罪者  武士の情け  
被害者・遺族 憐憫の情

 公共    治安良化効果は薄い

日本における死刑制度の狙い 概念図

このように、
日本では、公共よりも個人を重視しています。



公共の欧州、個人の日本


凶悪犯罪者と被害者サイドを人身御供にして、公共の合理をつくる欧州。
凶悪犯罪者にも被害者サイドにも武士の情けをかけ、公共の合理を犠牲にする日本。

公共の欧州、
個人の日本。

死刑制度云々により、守ろうとする対象がそもそもズレているのです。

公共のために個人を犠牲にする欧州。
個人のために公共を犠牲にする日本。


私は欧州由来の教科書で次のように刷り込まれました。

「個人の自由こそ最も尊ばれるべきである」と。

この個人の自由という観点に立てば、
死刑制度のある日本の方がより良いのでは、と欧州の刷り込みが朴訥と語らせてくれています。

公共のために個人の自由を抑制ないし犠牲にする社会。
確かに、その社会は短期的にはいわゆる最大多数の最大幸福を実現するかもしれない。
そしてその社会は外部からの侵攻に対し強固だ。

だが公共のために個人の自由を抑制ないし犠牲にする社会は怨嗟が渦巻く。
結果、中長期的には内部から崩壊していく。

   死刑制度 重視対象  視野のスパン 何に対して強固か?  根本思想
欧州  無し   公共   短期     外敵の侵攻     最大多数の最大幸福
日本  有り   個人   中長期    内部崩壊      武士の情け

日欧における死刑制度云々にまつわる比較図


みなゴリラ ゲルマン人の大移動


欧州は陸続きの大陸国家です。
したがって、外敵の侵略が頻発したため、外敵の侵攻に備えるのが至上命題となっているのです。
だから、死刑制度を廃止し、上述してきた理路によって外敵の侵攻に対し強固になる必要があるのです。

翻って、
日本は陸続きの国家を持たない海洋国家です。
したがって、外敵の侵略に備える必要性が薄い。
そのため内部崩壊に備えることに専念できる。
だから、我々の日本という国は死刑制度というものを「有る」にできるのです。


こうした国ごとの地理的事情などなどを勘案・深慮することなく、
自分たちのやり方をこそ合理的正義だとして押し付ける。

いわゆるグローバリズムというものの押し売り。
それはどうかやめていただきたいのです。



朝の紅茶がお前らのせいでまた不味くなった。

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