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燃えた家が、みんな大すきだった。

 嘘みたいな本当の話なんですが、家が火事になりました。今から3週間前のことです。今は知人のご厚意にあまえて「仮住まい」をしています。

 家族にとって、家はただの「箱」ではありません。雨風から守ってくれるのはもちろん、家族の歴史を共有してきた、心の拠り所のようなものです。特に子どもたちにとって、育った家は特別なモノなんだ、ということを今回の火事で痛感しました。

 燃えた家は、14年前に友人が設計してくれた戸建住宅。長男が幼稚園の年長で引っ越して、長女と次女はここで生まれました。狭い狭い土地でしたが、とにかく広いリビングが欲しいとお願いしました。そのリビングは、天井が高くて、南に大きな窓があって、出窓を利用した作り付けのソファがあって、テレビがあって、ピアノがあって、ダイニングキッチンも兼ねていて、家族が集まる場所でした。

 家が焼けてしまって、まずAirbnbでの仮住まいがその日から始まりました。家族5人で住めるように、キッチンがあって、ベッドが沢山ある部屋を1日1万円ぐらいで借りました。そこでの生活は2週間ほど続きました。Airbnbから出かけて、Airbnbに戻ってご飯をたべて、また出かけるという日々、自然にそこを家と呼び、「おかえり」とか「ただいま」といっていたんだと思います。

 そんなある日、長男がいいました。

「僕は、ここに戻ってきても『ただいま』って、いわないから」

 早く日常に戻ろう平静を繕っていた矢先のこと、その言葉は、胸をつきました。彼にとっての「家」はあくまで燃えた家。その喪失感と長男は向き合っていたのだと思います。火災保険はどうなるのか?次の仮住まいをどうするのか?仕事をどう整理するのか?みたいなことに追われて、「心のこと」を置き去りにしていることに気づかされて、ハッとさせられた覚えがあります。 

 2週間後、下の娘を小学校に迎えにいったときのことでした。手にダンボールの工作を持っていました。

「これ、なんなの?」

「あーこれはおうち。燃えちゃったから、図工の時間に作ったの」

 聞けば、もともとはビーンズハウスというお題で「空想の家」を作ることになっていたらしいのですが、家が火事になっちゃったので心変わりして、自分が育った家を作ったんだそうです。

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 娘がよく見ていたテレビがあって、習っていたピアノがあって、その脇には楽譜の棚があります。あとは壁にかかっていた時計、学校に行く時も、テレビを見る時も、遊びに行く時も、寝る時きも眺めていた壁にかかっていた赤い時計。娘の気持ちがつまったこのダンボールの家は、今の仮住まいのリビングにちょこんと飾られています。

 家族はみんな、あの家が大好きでした。だからまたいつかあの家に戻りたいと思っています。

 その日が来たら、みんなを招待してご飯を食べたいなぁ。



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