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東京日々日記

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人の笑顔のために、日々はたらくプロデューサーの日々日記。写真を撮りながら、旅するように。
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#写真

東京で、父とうなぎを食べた。

 父と母をつれて、うなぎを食べにいった。愛知に住む2人が、十数年ぶりに東京に出てきたからだ。かなり奮発した。目が飛び出るような値段だった。だんだん食が細くなっているという父だが、この日はぺろりと平らげた。ニコニコしながらうなぎを口に運ぶ父の姿を見ながら、あと何回、こうして一緒に食事をすることができるだろう、そんなことを考えていた。  ぼくは、ずっと父が苦手だった。頑固で、強い人だった。若い頃はよくぶつかった。疎遠になった時期もあった。だが数年前から耳が遠くなり、記憶も少し曖

なんで写真撮ってるのかなって考えたことないけど、ただ好きだから撮ってるんだよね。カメラがじゃなくて、被写体が。だから嫌いな人は撮らないんだよね。

よく晴れた原宿。

 中学生の時、原宿は憧れの街だった。  アイドルの生写真、竹の子族、クリームソーダという髑髏のマークのファッションブランド。テレビや雑誌から情報を仕入れて、いつも想像に胸をふくらませていた。  ある時、父の東京出張についていくことになった。どこか行きたい場所はあるかと、父に聞かれた。  「原宿にいってみたい」  当時、ぼくが知っているほぼ唯一の東京の地名だった。  するとなぜか、父の取引先の弁理士さんのお嬢さんがぼくを案内してくれることになった。彼女はぼくと同じ年だった。

その笑顔は、ぼくを幸せにする。

アゼルバイジャンは笑顔の国だった。 人々は屈託なく笑う。 老いも若きも、素朴で、心の動きを隠さない。 そしてなにより優しい。 この2年半、ぼくの心はちぢこまっていた。 それが癒されていくのを感じる。 でっかいトランクを車に積むのを手伝ってくれたおじさん。 毎朝ホテルでコーヒーをいれてくれた女の子。 公園でであった幼稚園のこどもたち。 日本語をアニメで勉強したという大学生。 人はもっと自由だし、 優しくなれる。 旅先で出会ったすべての人々。 あなたたちの笑顔は

いつか父はぼくのことが分からなくなる。

 父は今年84歳。左の耳がすこし遠くなり、物忘れもふえてきた。年齢にしては元気なほうだと思うが、病院のお世話になることもしばしばだ。  この2年、コロナの感染リスクを考え、会うことをさけてきたが、ワクチンを打つようになってからは、折をみて帰省している。  3月のある週末、名古屋に向かう新幹線はあいかわらずガラガラだった。エネルギー効率としては最悪だが、とても快適で、溜まっていた仕事をサクサクとこなす。  その夜は、叔父と叔母がやっている寿司屋へ。東京には美味しいお寿司屋さ

今年の夏は、なにもなく過ぎ去った。

 あっという間に9月も半ばをすぎ、日々秋の気配を感じている。  今年の夏は、あっという間に終わった。海にも山にも、温泉にもいくことはなかった。実家への帰省もしなかった。 仕事での出張もなく、都内をいったりきたり。家族揃っての外食だってしてない。 それはそれでわるくない夏だったのかもしれない。目を凝らせば、日常のなかにもたくさんのドラマがある。  でも、そろそろ遠くに行きたい。

うつうつとする日常で、人を撮る。

 最近、ときどき心がしんどい。コロナはおさまる気配はなく、リモートつづきで人にあう機会も少ない。本来なら祝祭であるオリンピックも複雑な状況にある。  仕事はしているが、アクセルとブレーキを同時に踏みながら、運転をしているようでスッキリしない。まわりにも、うつうつとした気持ちを抱えている人がふえている。もう1年半も難しい状況が続いている。  コロナ禍が始まってから「一期一会」を意識するようになった。  感染をさけるため、外出はいちじるしく減った。そんな中、人に会うことはな

街の空気。

 街の”空気”がかわりつづけている。人がどっと街にあふれたり、ぎゃくに街から人がいなくなったり。かならずしも病気になる人の数と正比例しているわけではない。偉い人がなにかいったから、かわるものでもない。  なにかのきっかけで、人々のきもちはうつろい、”空気”をかえていく。  二度目の緊急事態宣言が発出された翌日。緊張しながら会社にむかった。人の出はまだらだった。朝の太陽がまぶしくて、綺麗なコントラストをつくっていた。  それから人出は次第にへっていった。週末の夜の新宿三丁

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銀座界隈

恩は先に渡すものなんだよ。オレの友達が事故して輸血してもらった時に、その恩を返そうと彼が献血しようとしたらさ、一度輸血した人はできないって言われたのよ。その時に思ったの、恩は返したい時に都合よく返せるわけじゃないって。だから恩は先に渡しとけ。 やまだひさし

悪い大人ほど、よく笑う。

 金髪で大きな口をあけている大人と、全身黒尽くめにサングラスの大人。どうみても悪い大人じゃないですか。でもめっぽう面白いんですよ。サングラスの大人は、ワタナベアニさんです。最近話題の本「ロバート・ツルッパゲとの対話」の著者にして、写真家でありアートディレクター。今日の「渋谷のテレビ」に遊びにきてくれました。  土屋敏男さんの作った、欽ちゃんのドキュメンタリー映画「We love television?」の写真を撮っていることもあり、独特の強面が脳裏に焼きついていました。そし

愛おしい日常を残したい。

 火事になってから、何かに突き動かされるように撮影を始めた。これまで何気なくやり過ごしてきた家族との日常、それを撮り続けてきた。しかしずっと疑問だった。なぜ火事をきっかけに写真を撮るようになったのだろうか。  noteに上がってたワタナベアニさんの文章にハッとした。答えが書いてあった。 あの日以来、家族との日々を書き続けている。  火事になってしばらくは憔悴するような日々だった。非日常の連続でヘトヘトに疲れ果ていた。火事から6日目、僕は意を決して、noteに事の顛末を書