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家が火事になりました

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2020年2月10日に家が火事になりました。火事が起きる確率は、0.04%と言われています。でも起きてしまえば100%。突然、大混乱が始まります。何が起きて、何にを感じたか、いつ…
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#家が火事になりました

家が火事になりました。

人生には時に思いがけないことがおきます。 その朝、僕は仕事仲間とともに、首都高で移動していました。そこに突然、出勤途中の妻から電話がありました。 「我が家が燃えてるらしいの」 「えっ、なに燃えてるって」 「とにかく家が燃えてるの」 最初はなにをいっているのか全くわかりませんでした。でも胸騒ぎを押さえながら自宅に戻ることにしました。すぐに高校3年生の長男と連絡をとりました。家族全員が避難できていることがわかり、一旦はほっとしました。でも息子は興奮した声で最後にこういい

火事にあっても、大丈夫って笑えるように。

 家が火事にあった、という方から時おりご連絡をいただきます。noteの記事へのメッセージだったり、Twitterへのリプライだったり。何もできることはありませんが、丁寧に返信を書き、ひとつのことを伝えます。  「火事は人生の一大事。ためらうことなく人に助けてもらってください」  ご連絡をいただくのは、火事にあった直後のタイミングがほとんどです。家を失い、家財を失い、最悪の場合は親しい人を失う。火事に会うということは、それまでの「変わらない日常」が突然終わり、思いがけない「

新しいバッグを買うのに気後れすること。

 火事にあった人の話を聞くことを続けています。多くの人たちの大変な経験をアーカイブし、使ってもらえるようにしたいと思っています。火事についての情報は、本当に少ないです。でももし火事になったときに知っていれば、役に立つことは沢山あります。今回はメンタルのお話をします。  先日出会ったある若いご夫婦が、こんな話をしてくれました。少しずつ日常を取り戻してはいますが、まだ仮住まいをしていて、燃えた家の再建中。そんな生活のなかで、ある思いを抱えて続けているといいます。 「新しいバッ

火事になったらどうなるのか、教えます。

 火事の体験談を集めるプロジェクトをはじめます。  この1年、自分の体験をnoteで発信する中で、何人かの火事の経験者と知り合いになりました。それぞれユニークで、多くの学びがあります。  海苔やお菓子のスチール缶にいれておいたものは燃え残った。だから今もスチール缶を集めている。  スマホを持ち出せず、すごく困った。身分証もなく買い直すのに大変な労力を要した。  肉親をなくし、ソーシャルワーカーにお世話になったが、自分の辛さを理解してもらえない。欧米のようなグループケア

仲間がいなかったら、僕の心は折れていた。

 助けて欲しいって、言うのはすごく難しいことです。人に弱みを晒すようだし、どこからか「自分でなんとかしろよ」って声が聞こえてきそうです。でもそれが言えるか言えないかで、人生は大きく変わります。僕の場合、ひょんなことから「助けて欲しい」と言うことができました。そして沢山の人たちから助けてもらいました。  災難は、突然訪れます。僕の火事もそうでした。日常が一瞬で暗転します。突然、住むところがなくなって、着るものも、お気に入りのマグカップも、子どもたちのぬいぐるみも、全部なくなり

なぜ今、植物に惹かれるのか。

 嘘のような話ですが、家が火事になりました。それがきっかけで、日常の瞬間を残しておきたいと写真を撮るようになりました。撮りたい気持ちがむくむくと大きくなったところに、ずっと気になっていたカメラマンのワタナベアニさんから思いがけずカメラを頂きました。さらに撮りたい気持ちにドライブがかかりました。こうなるともう何がなんでも撮りたい。四六時中、道の際でしゃがみ込んだり、急に空を見上げたり、家族からは半ば呆れられながらも、感じるものがあれば手当たり次第に写真に収めるようになりました。

燃えた家とチューリップ、そして妻。

 嘘みたいな話ですが、家が火事になりました。それから緊急事態宣言が出たので、この3ヶ月、家族と長い時間を過ごしています。これまでは仕事で家を開けている時間が長かったので、とても貴重な時間だと思っています。  火事の経緯はこちらのマガジンにまとまっています。 燃えた家は、今は再建するために、解体されて骨組みだけになっています。仮住まいしてる家からは車で15分程離れているのですが、何かのついでに立ち寄ったりしています。先日も、近くまで行く用事があり、息子を連れて行きまし

なぜ写真を撮り始めたのか。

 火事になって3ヶ月が過ぎました。いつか誰かの役に立つだろうと、その経験をnoteに書き続けています。今回は、写真を撮ることについてです。  火事をきっかけに、写真を撮るようになりました。僕は写真を撮るプロフェッショナルではありませんが、撮りたいものが沢山あって、いつもカメラを持ち歩いています。家族の日常や路傍の花、散歩で出会った犬。火事にあい、会社を休み、家族と多くの時を過ごすようになって、何気ない日々を愛おしく思うようになったからです。  火事の直後は、iPhoneで

君を撮るためにカメラを買ったんだよ。

 火事になった直後、日常を撮ろうと思った。3週間会社を休んで家族と過ごした。それが落ち着くと今度はSTAY HOMEが始まり、会社にもほとんど行かず、半径5メートルの世界に閉じこもる毎日が続いた。変わらぬ日常もカメラを手に、目を凝らせばドラマチックだ。花を撮れば、色の鮮やかさに目を奪われる。空を撮れば、雲の広がりにワクワクする。雨の日は憂鬱な気持ちが写真に滲み出る。天気が違えば、光が変わり、撮れる写真も変わる。  カメラは、ただ記録するための道具ではない。火事の後、肌身離さ

もし火事にあったなら、読んでほしい。

 誰にでもおきる可能性があります。あるサイトによると、住宅火災が起きる確率は、0.024%なんだそうです。確率はあくまで確率。火事の当事者になれば、その瞬間から人生が大転換します。何をしていいのか、まったくわからないほど混乱します。そして、助けになる情報はほとんどありません。だから僕の場合、何がどうだったのかをできる限り具体的に記しておきます。家はほぼ全焼でしたが、近隣への延焼はほぼなく死傷者もありませんでした。不幸中の幸いでした。 この記事を読んでくださった皆さんにお願い

神様がくれた時間。

 毎朝、娘を車で中学校まで送り届ける。家を出るのは7時40分。タイムズカーシェアのカーポートに2人で向かう。その時、娘のリュックを背負うのは僕だ。このリュックが激烈に重い。なぜ荷物が多いのかと聞くと、置き勉するから明日は軽くなるよ、と笑いながら娘はいう。しかし軽くなった試しはない。「パパ、今日もお願いね」とバーベルが詰まっているようなリュックを毎日、渡される。  家が燃えた。2月のことだった。今は少し離れた場所で仮住まいをしている。生活の拠点は移ったのだが、移せないこともあ

ねえ、パパ。見て見て。

 火事という「経験しなくてもいい困難」を経験した3人の子どもたち。自分たちの家が燃える様を直視してしまったショックは大きいはずだ。リビングが火の海になり、窓ガラスがボンボンと音を立てて割れる。そこから命からがら逃げた。その経験は心のやわらかな部分に深い傷を残している。癒えることはあっても、消えることはないだろう。  普段は考えずに接しているが、ふとした瞬間にその傷を感じる。その度に心が竦む。かける言葉を思いつけない。その気持ちを飲み込んで、また日常に戻る。そんなやましさに

僕の服を握りしめた娘の話。

 火事は思いの外、身近な出来事である。気になるようになるとかなりの頻度で起きている。  近所を歩いていたら娘と火事に出くわした。消火活動の真っ最中なのか、消防車が何台もいて道路を塞いでいる。警官と思しき人が交差点の真ん中で交通整理にあたっている。現場は路地の奥にありよく見えないが、消防隊が忙しなく動いている。  信号待ちをしながら、娘とふたりで様子を眺めていた。するとあの日の感覚が蘇ってきた。真っ黒な煙。消防隊員の怒号。家財が焼けた独特の匂い。自分はそういうことには動じな

火事で僕のメンタルはどうなったか。

 古今東西、火事について書かれたものはほとんどない。火事になってネットを漁ったけれど、保険について書かれたものぐらいしか見つけられなかった。被害者がどんな目にあって、どんな想いを抱えるのか、当事者の自分が残しておけば、いつか誰かの役に立つと思い、noteを書きつづけている。  今日はメンタルのことを書く。あれから半年が過ぎ、あの頃の自分を客観視できるようになった。大変なことが起きると、心のことはないがしろにしがちだ。しかし火事という災禍を乗り越えるためには、メンタルにどんな