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ことばの断片を考えていると、あっという間に時間がすぎる。

街中でふいに
「十分間だけ会って。」
と人が言っているのを聞いたことがある。

何年も前のことなのに、
ずっとこのことばをおぼえていて、
何かあると、ふいに思い出す。

「十分間だけ会って。」
街中の電話で、そう伝えたくなる関係って
どんな関係なんだろう?
恋人? すきな人? どうしても会いたい人?
電話で話していたその人は
誰に向かってそのことばを言っていたのだろう。

ただの通りすがりの私は、それ以上の会話は聞けなくて
このことばだけが私の中に残ってしまった。

「十分間だけ会って。」

一目見たいという思い。何か伝えたいこと。せっぱつまった感じ。

私の中に残ったことばが、ずっと何かを伝えてくる。

本で、テレビで、ラジオで、
会話で、街中で
なにげなく入ってきたことばを
何度も自分の中でリピートしてしまうことがある。

いつか消化されて、私のことばになるのだろうか?

ことばは考えすぎると伝わらない。

私は誰かから受け取った
「十分間だけ会って。」
ということばを使うことはあるのだろうか?

シミュレーションしてみる。

このことばを使うってことは
会えなくなっていることが前提だから
それはそれで寂しい状況かもしれない。

会えなくて会いたい。
せつない。。
私がそんな状況になったとしたら
悲しむや寂しいをこえて
「十分間だけ会って。」という
ことばを伝える勇気があるだろうか?

相手は誰?どこで言っている?
季節は?年齢は?性別は?

「十分間だけ会って。」
のことばについて考え出すと
いつまでたっても答えはでないまま
ただ時間だけがすぎていく。

ことばって不思議だ。

誰かと会話するとき
伝わらないことばをもどかしく感じて
もう伝えるのやーめたと思ったり。
ただの仕事メールで1時間も悩んでみたり。

そんなに悩んだのに
ほんとの思いは伝えられなくて。

いやだから仕事メールなんだから
適当なところで送ろう
と決意しないと送信できなかったり。

家族、友人、仕事、知り合い
どんな人に向けたことばも頭の中でぐるぐる考えすぎて
伝えられないことがある。

大切に思っている人に対しては特にそうで
伝わらなすぎて悩んで
関係が深くなる前に怖くなって逃げて。
自分から逃げたのに、離れてしまった関係を後悔して。
そんなことばかりしてきたけれど

もう逃げるのはやめてもいいのかもしれない。

伝えることを伝えよう。
きもい
と言われたことも
こわーい
と言われたことも
全部のみこんで
伝えたいことを伝えよう。

ことばの断片を思い出すとどんどん思考が深くなる。

今日は「十分間だけ会って。」に巻き取られた時間でした。

こうやって自分の中に残ったことばの断片をぐるぐる考えていると
あっという間に時間がすぎる。

これがきっと楽しいのだな。
だからあっという間に時間がすぎる。

ことばって不思議だ。



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