見出し画像

4月は捨てるそして始める(めぐみ)

3月のお葬式を契機に考えたことによって、20年越しに頭がクリアになった。
謎が解け、手放すことができるイメージ。
人生の問題やテーマってきっと人それぞれにあるのだろうな。

すると、すぐに未体験の衝動が。
捨てたーーーい!
今まで一応取っておいた服とかコートとか本とか紙とか? 全部!
捨てターーーーーイ!!

そして新しく始める。
飽きたとかもう自分に言わせたりしないよ🙄4/25

2022/4/1

4/28②
今日配った漫画『ミステリと言う勿れ』に、「選択肢が多く持てるような社会であれ」というものがあったんだけど、それって昨日録画を観たEテレの『スイッチインタビュー 平野啓一郎 × ryuchell』でりゅうちぇるが言っていたことと同じだった。
りゅうちぇるも夢を持たないと言っていた。
夢を持つと、それが叶うか叶わないかの二択になって、叶わなかったら終わりとかダメ!みたいになるから。
自分は、流れるままにたどり着いたことが今につながっていると。

整くんは、「何になりたいか? だけじゃなくて、どこでどんなふうに生きたいか? という考え方ができたら…。たとえ一つのことに失敗しても、飛び降りなくても済むありかたを探せる社会が多様性なのでは」というようなことを言っていた。

高校生にも私にも通じるな。

🍰

りゅうちぇるは優しくて明るく、何でもいいって言ってくれるのかと思ったら、「自分のアパレルの店を開いたら、従業員のささくれ一つ気になると思う」と言い、「だから、(いつか開きたいけど)向いてないと思うんですぅ~」とおどけていたけど、この人本気だな!怖いな!と思った。かわいけど怖い。自分で体得して常に考えて生きてる人はやっぱり一筋縄でいかないし、怖くて素敵だ。

平野啓一郎が、「子どもに怒らない(怒ったことなんかない)」と言うりゅうちぇるの子育てはすばらしいと何回も言っていてすごくよかった。自分は子どもに声を荒げてしまったことがあるけどいいことなんか一つもないと。怒ったりせず言い聞かせるほかない、だって。ふあ~~っ


4/28
ゴールデンウィーク!

ゴールデンnaウィーク✨💍✨

クゥ~ッ!!

終業5分後には飛び出した。

ビール飲んで移動。

たまらんね~。

今日みんなかわいかったな。
漫画『ミステリと言う勿れ』をプリントして配ったら、授業後にやって来て、「先生またおすすめの漫画教えてや」

クゥ~ッ!!
たまらん。

「うん! わかった!」

🧚

別のクラスで歩き回っていたら、遠慮がちに「先生の書いた黒板の『憂鬱』っていう字が違うかも……」という指摘。

なぬーっ!
ほんとだー!
間違えてるー!
クゥ~ッ!!

この字、なんか足りないと思ってたんだけどいろいろ運行するのに必死で確かめず、今日1日『鬱』の字間違えてるバージョンでやってきたよー!5時間だよー!
私はついにこのたび「憂鬱」が書けるようになったと思って堂々と超巨大に書いてたよ🙄

巨大に書いたから見つけてもらえて、巨大に書いたから訂正しやすかった(部品を書き加えた)。

「ありがとうね!!」
「はい!」

いろいろよかった。
連休前最高。

🛸

今日ふと気付いたのだが、私はお金よりも休暇に執着するなーということだった。
お金は大事(もちろん)。別に余裕はない(全然)。
でも、休暇が大事らしい。つまり自由のことかな?
人並みの日数は当たり前で、人よりも多く欲しいと欲深くなるぐらい私は休みが欲しい。
人より上回りたいという意味じゃなく、必要としている基本が多いのだと思う。
だから、お金に執着する人を浅ましいみたいなこと言えないなーと思った。

爽やかに乗っていこう


4/27

若い人に話すとき自分の用件ばかりぶあーってしゃべり続けちゃうなー。しかも、まとまってないのに近付いて行くから脈絡がない。だからわかりにくくて時間もかかる。
って後から気付く。
だって聞いてくれるから。
でもそれただ礼節として黙ってそこに居てくれてるだけだからな……って自分の椅子に戻ってきてハッとする。

クゥ~~ッ!!!

これは春日(オードリー)が悔しがるときの表現。
最近脳内でよく聞こえてくる。
ラジオで聞ける、春日のフフフという含み笑いや、カッカッカッ! みたいな大笑いも好きだ。

今週は笑い声がおもしろい人がポイントらしい🔮
春日なのかな?!💘

私は自分のこと、礼節を強要するような人には見えないと思ってるんだけど、若い人にはみんな同じに見えるのかもしれないし、会話のタイミングとかリズムとか、気を付けなきゃなって思った。

てか、まず相手の話を聞いてよ!
クゥ~~ッ!!


4/26

○みんな!これきっととてもいーと思う!みるー!

りゅうちぇるのこういう起用、ずっと待ってたよ!

スイッチインタビュー

「平野啓一郎 × ryuchell」

再放送今日深夜ー!

罪悪感を持たないことも大事……。



4/25

デフォルトの頭痛。
連続4時間授業するとそーなるわな。

授業で・・・
・好きなエッセイ(津村記久子)を配る、
・すばらしい回答を発表(紹介)する、
・生徒に新しい質問を送信する、
・音楽を流す、

などなど、イベントを入れること。

それから落ち込みすぎないこと(振り返らない)。

……と心がけたけど、息がきれた。

もういいから振り返らないで!

相手のコンディションがいい時もわかるけど、
あんまり乗ってないな~とか、
目の前の人たちの気を感じ取りすぎてしまう~~過剰な能力。

帰ったらポストにゴールデンウィークのお誘いしよかなと思ってた人たちから手紙が来てた。
こういうことしてると、時々そういうことがあるよね~~📮

今日のモヤッと・・・

私は本をお薬みたいに買うんだって話をしたら、ウチの食費が減らないのと同じだね、って言われてウーーン。
本と食べ物を一緒にされることに抵抗を感じているのか?
知識欲と食欲はレベルが違うんだけど…みたいな?
これって偏見?
でもこういうことがわりとあるんだよなあ。
食べるのが好き!とか、おいしいものを食べたい!って言う人が、全然本読まないってことある。
その二つって同列なのかなあ。
でも、おいしいものを食べる時に話すことって、本を読んでないと「無い」ってことない?
職場とか人の噂話とかもうほんとにいらないんだよなあ~。

宮島水族館だって。かわいいまるい



4月の課題図書🌸

金原ひとみ『ミーツ・ザ・ワールド』


「死にたいキャバ嬢と推したい腐女子」と帯に

なんでこれを買ったんだっけ? って言うと、「友達はその場限りでいいし、時によって変わってもいい」って金原さんがこの本について話していたのを何かで読んだからだった。
ニュアンスが違うところはあるかもしれないけど、私は、
「【人(友達)と自分は違う】ってことを知りながら共存すること」
について知りたかったんだったな。

ある友達がどうやら自分と違うところが多そうで、一緒にいるとちょっとしんどいなーと思うことが増え、どうしたもんかいの~と思っていた。

「じゃあ一緒にいなければいい」と、死にたいキャバ嬢のライなら言うだろうな。
そりゃそうだ。
その潔さに、読みながら終始憧れ続けた私は完全に由嘉里側の人間だ。
(ところで、この本を読む人でライ側の人間なんているのかな?)
ライの言う通り、一緒にいなければいいのだが、断るまでもないお誘いもあるじゃないか。それを承諾するに至るには、一片の私の「行きたいな」の気持ちも存在しているわけだから、友達でいるか/やめるかのジューゼロの世界ではないんだ、ってみんなもよく言うじゃん。


「私は毎週金曜日の夜街に出て薬物中毒の人が薬を買うみたいに本を買いまくるから毎回そんなに高いお店にご飯に行く余裕がないの」って言ってみよっかなー

何これ急に降ってきた。

🍶

ライと由嘉里はもともと友達なわけじゃないから、思ったことを明け透けに言い合う。
(合コンで酔っぱらい、歌舞伎町の道で吐いていた由嘉里を、ライが拾って家に連れて帰ることから始まる関係。)
自分の意見を遠慮なく相手にぶつけるようなやりとりはまるで議論だ。

あーもしかしたら私は友達と本の話をしたいのかもしれない本を読んでほしいのかもしれない本を読んでって言おっかなー何これ気持ち悪いでしょ人に本を読めなんて

まただ。何か出てくる。

👻

やっぱ本を読まないと止まるんだよなー自分の中の時代がそこで。そして加速するエイジング。すぐにダサくなる。

「人には立ち入られたくないところってあるでしょ。俺は別にさ、他人なんて勝手に死ねみたいなスタンスじゃないよ。むしろもっと、愛したいし愛されたいスタンスよ。人類総ラブよ。でも、超えちゃいけない一線てあるじゃん。死なないで! って泣いて止めるのは違うよね? それはゆかりんもわかるよね? でさ、人の生き死にに人は関与できない・・・・・・みたいな一昔前のサブカル的ノリ?みたいなのも違うよね。今はさ、そうやって色々気を付けてないとダサくなる時代なんだよ。こうなりたくないし、これも違うな、かといってこれもダサいし・・・・・・・みたいな? そういう網の目を潜るようにして生きる時代じゃん? ゆかりんだって感覚的にわかるでしょ? 親友のために過去のトラウマを解消するお手伝いをしましょうっていうストーリーがいかにダサいか」

・・・・・・ってアサヒも言ってたじゃん。

アサヒは歌舞伎町のホストでライの友達。これは、死にたいライ(というか、「消えていることが自分にとっての自然」と言う)を引き止めたい由嘉里が、アサヒに相談した時の返答。

余談だが、アサヒはめちゃくちゃクズなのだが、ものすごくカッコイイのだ。クズなのに! アサヒには、家出少女を性的に搾取している疑惑が最後まであったのに、それを忘れて恋するレベルで好きになってしまった。この私が! そして実はもちろん搾取してなかったってラストで明かされる神設定~✨

由嘉里はライの「死にたみ」を理解できないし、死んでほしくないから奔走する。「生きたい」自分と「死にたい」ライとの間に横たわる永遠の溝に徐々に気付きながらも、どっちかだけを優先させず、また、自分とライを比べすぎたり重ねたりすることなく、自分の意志と希望を物語の終わりまで貫く。ものすごく悩み、傷付くのだけど。
二人の違いが「死にたい」か「生きたい」かなので、書き方によっては悲壮感が漂いそうだし、過去の金原さんの作品では、全体を覆う重め暗めなムードが特徴(それがよかった!)だったかもしれないが、この作品は明るい。アサヒの他に、行きつけのバーのオシン、作家のユキがいるからだと思う。
いや、由嘉里が明るいからだ。推しがいる由嘉里はめちゃくちゃ強くて明るい。

私はライを知って、「死にたい」とか、「消えているのが本当の姿」と自分のことを思う人が本当にいるのだろうとわかった。
それは、自分のことを肯定できないとか、好きになれないということに少し似ているのかもしれない。自分が好きではないということがその人の性質というか。
それを無理やり明るい方向へ導こうとしたり、自己肯定感を強制するのはやっぱり変で、そのままフーンと思う他ないことなのかもしれないな。(これは特に生徒について想像してる。)
たとえそうだとしても、だからと言って完全に何もかもが分かり合えないわけじゃない。ライと由嘉里みたいに重なることがあるのだろう。
しかし、ライは由嘉里のどこが好きだったんだろうな! 
・・・・・・自分と違うところ? ひゃーっ!

授業で生徒の前に立った時に緊張するのは、自分とは究極的に違う人(達)がいるかもしれない、と私が予感しているからだろうか。

自分とは圧倒的に違う人がいるということは絶望でもあるが事実で、でもどうすることができないわけでもないということを考えた小説だったし、そのことはもう忘れない気がする。

ライは死んじゃうかもしれない。でも生きてて、五年後に現れるかもしれない。再会した彼らは幸せそうだったり、不幸そうだったりまちまちよ。でも彼らとまた出会うって、再会するっていう希望は私たちに残されてる。私たちがそれを持ち続けることは、誰にも、神様にも、いなくなっていく彼らにも止められないし、左右できないこと。片思いを何年もしちゃうような慎ましい私たちに残された、ささやかで、強い力よ。

オシン→由嘉里 (金原ひとみ『ミーツ・ザ・ワールド』)




4/22

ニィニィちゃんの日記を読んだのは、ちょうど定期検診に行く電車の中で、そのタイミングのよさにおおっと思った。こんなふうに、ふとつながりを実感することが最近多くなった。
会えるのはもちろん格別なのだが、きっとネット上の友達であってもこんなふうにつながれるのかもしれないなと思った。

ニィニィちゃんの書いた血の描写は、ちょっと変な感想かもしれないけどやっぱりとてもありがたいなーと思った。
食事中の人ごめんやでって言うのもニィニィちゃんっぽい。
血の話、したいわけじゃないけどしたくて、っていうか普通にするっていうことがしたいんだなって私は自分について思った。
それは、今薬で生理と生理痛がゼロになっていて、そのことにすぐさま慣れて、痛みがないのが当たり前ですけど?っていうかQOLじゃん? 快適が普通じゃん?っていう世界線に移行してることと似てる。

無痛がフツー。(ラップ?)
流れる血があるんだからその血の話をするのがフツー。

薬による副反応で不正出血があるので、痛くはないが結局血は流れているのだった。美しいとは思えない、やはり忌々しいというか疎ましい血。
きれいな赤か~。いいなその表現。
私の今の血は、紅に近い赤だな。
多くはないが、無視はできない量が毎日。

松田青子の小説を思い出した。
自分の経血が、別の色なら許せたかな?
何色だったら?
蛍光グリーン!
毎度選びたい。

今日は久しぶりの内診で、前回予告されてたけどやっぱり嫌だった。
薬による効果が出ていて内部の状態はよくなっているらしい。生理があるのが自然という考え方もあるけど、やはりそのつど身体に負担もかかっている(私の場合)ようだから、動かさない(休眠?)期間があるのはいいことなのだと思えた。
先生は内診しながら説明し、これで診察(顔見てトーク)もなしで終わりますけどいいですか~?ってなことを言ってくるので笑った。
私にも特に聞くことはなく、内部の状態がいいのならよく、薬には少し慣れてきたところもあり、まあいっかって感じだ。

けど内診を受けながら色んなこと説明するのもされるのも無理だから…!決定するのもな…!

とは思ったが、その即物的で効率的なのがあまりに素直すぎるから笑えてきてオッケオッケと了承。
待合室に患者さん多かったしな。
終わった後、数分内部がジーンと痛いのでうっと思いながら会計し、歩き出したら治まってゆき、それでもうそのことを忘れるんだよなーと思った。すぐ忘れる。嫌だったのにな。
でもとても頑張ったから絶対に自分をいたわろうと思って漫画を買って電車に乗り、ケーキを買ってマックを買って帰った🍔

行きつけのクリニックが、ジュンク堂も無印も他の何もかもも何でも入っている大きな駅にあって本当によかったといつも思っている。

てか、来月の生理が楽しみって最高だよな~😳


オレンジジュース
自分の身体を気遣うよりも周囲に迷惑をかけない方が大事



◎みんなこれ見て~!



再放送やるよ~

直太朗と良子いい~~😊

二人、突然ギターでフォークソング歌い始める。
ギター1本でどこでも歌えるからと言って。

『今日の日はさようなら』

大泉洋にも「さあ、一緒に」と、歌詞を少し先に言って誘う直太朗と良子。
つられて歌う洋。

最高すぎて泣く。

直太朗いわく、昔見たホームパーティーで、良子の友達はみんな肩を組んで最後にこうして歌ったのだと。

すばらしい世界。

披露された『さくら』も本当に美しかった。



4/21


やばい!未来すぎる~~(/▽\)♪

未来の道具iPadを授業で使い始めた。

職場で配布され持っていたけど、オンライン授業のカメラ機能しか使っていなかった。

でも、今年は生徒が全員iPadを持っている学年だし、やってみたくなった。

🦔

現代文の授業。
簡単な(内容は難しい)問いを、気軽にポンッと投げて、生徒にはカジュアルに返してほしい。

今までは紙に答えを書いてもらっていたけど、提出率と中身がいまいちで、それが実力なのかな……と寂しく思っていた。
生徒の書いたよい回答をシェアするにも、私が口頭で読み上げるしか方法がなく、お便り紹介のラジオDJっぽくはあるけど、生徒は文字のヒントのない状態でひたすら聞き取るって難易度高しだよな~~とは思っていた。

(かよちゃん、あすぴーの時代は、すばらしい回答を集めてパソコンで打ち直して1枚の紙にして印刷してみんなに配りシェアするという丁寧なことをしていた!すっごい時間かかるし大変だけど、 隙間に絵や手書き文字のつぶやきも書けて、私はすきでした!)

それが! グーグルクラスルームでは!簡単ー!

「質問」をメンバー(生徒)に配信すると、メンバーからの「回答」が私の元に返ってくる。締め切りも設定できる。
集まった回答は、名前とアイコンを濃い色のマーカーで塗れば見えなくできる。
そして!なんと画面をそのまま、「ミラーリング」機能で教室のホワイトボードに映せるのですっ!ひゃー未来!

「質問」を投げ掛けるのが簡単、
「回収」が簡単、
「提出、未提出」が一目瞭然、
「よい回答のシェア」が簡単ーーー!!

手・間・が・か・か・ら・な・い!

さらに、何より、よい回答が出やすい気がするな。
文字を手で長く書くよりも、デジタル入力の方が身近で取り組みやすい世代!
漢字も候補から選びさえすればいいので、知ってる言葉の最上を駆使できる。本気出せる。

さらに、今後、シェアの場面で私にめいっぱい褒められている回答を見たらやる気になるのでは……?その繰り返しが、思考の習慣と経験と意欲につながるのではーっ!
これ私がいちばんやりたかったことなのではーっ!

(/▽\)♪

手間をかけずにオーディエンス(生徒)を巻き込めるのは私にとって最上で、なぜなら孤独で辛くて死にたくなりがちな、一人で解説し続けるタイムが減るから!
すぐ「質問」できるのなら、今教科書で読んでいる内容はみんなにとっても他人事じゃないし(すぐ私に聞かれるから)、「シェア」する時間はイコールみんなの発表の時間ということだ。私一人じゃない!フー!

私がiPadビギナーゆえ失敗もあるんだけど、同僚も教えてくれるし、不備やみんなにとって不便なことは生徒が教えてくれる(泣ける)。
すぐに直せばいい。

未来モウキテルー

4月の質問--
・失敗するとわかっているが、「陶酔する」あまり、おこなって、失敗したエピソードについて書いてください。「陶酔」、「陶然」、「恍惚」のいずれかの言葉を使って理由を説明すること。

4月の質問--ムズいよね😊
4月の手紙


4/20

ぶあーっ
回復してきたーっ

☀️

1日5コマ授業はやっぱ脳がおかしくなるよなあー!
精神がイカれる。
自分の限界突破フルごきげんな状態で人々の前で発した言葉とか、振り撒いた笑顔とか、調子に乗っているというほか理由が考えられない軽口で駆け抜けた5時間。

全部本当の気持ちですウソじゃないんです。
ただひたすら浮わついてるだけです。
だから乗り切れたとも言う…。
ただのピエロとも言う…🤡

夜焼き肉行って帰ってスマホの文字を見たら一気に気持ち悪くなった。

毎秒純粋に生きすぎ。

朝方までまったく眠れず、人々の顔と言葉が渦巻いた。
お腹も痛くて消化なのか食べ過ぎか、ずっと動き続けている内部を感じていた。

🌄

朝起きてヨガにいったらヘトヘトになり、ぶあーっ回復。

それで、昨日ピエロだった自分を一気に恥じる。
でも明日はまたピエロ。
常にその往復運動。

私は私の性質と役割としてピエロなのだが、こういうことは、冷静で地に足着いた場所にいる人からは何と見えるんだろうな。


4/18

人類未踏の4時間連続授業か~。

終わったからいいけど、わずかな頭痛は定型な気がするな~。

昨日買ったオレンジ(不知火)の皮を剥いて持っていき時々食べた。

めちゃくちゃおいしい~。
人心地をとりもどす思い。

スーパーで、果物が好きな友達のことを思い出して買った。
果物は無くても生きていけるし、余剰とか、余裕のようなイメージが私の中にはある。
二の次、三の次になりがち。

そーだ。
人間性を保つのも目標なのだった🍊

4/15②
金曜日はへとへとの身体と興奮した精神をもて余して都会をさまよい、別に解消されぬまま本を大量買いして帰るのが常だった。

新年度初めての金曜日はどこか違った。
まずそんなにへとへとでなく(授業が4→3時間に減ったため)、さまよって本を大量買いするとこは一緒だが、帰ってから写真を眺めた。
友達が数日前に送ってくれた子どものお食い初め写真。大人たちが一生懸命、海のものと山のものをまだ何も食べたことがない赤ちゃんの口につけている。赤ちゃんは仏頂面だ。他の写真でも等しく仏頂面をしており激しくかわいい。
一緒に写っている友達がとてもきれいだった。

それから、妹とパートナーY君が送ってくれた写真。正確には、「みてね」というアプリだ。
子どもが生まれたのを機にY君が始めた。
登録したメンバーだけが写真や動画を投稿したり、みることができるというもの。
当初は妹側とY君側の親と姉妹が全員招待されて私も加入したのだが(無料です)、画面によく知らない人たちの名前で○○じいじとか△△ばあばなどと表示されているのも微妙な気持ちになるし、開くと、○○じいじが何分前に見ましたという情報を目にすることになるのはもちろん自分が表示されるのも嫌になり、全く見なくなった。

2人目の子が生まれてY君は再度、今度は妹側のメンバーだけの「みてね」を立ち上げたので、私も気兼ねなく見ているし、そこにはY君だけでなく妹も母も私も近況写真を投稿している。

Y君が最近投稿した動画のなかに、Y君の実家の法事に行った際の映像があった。

Y君と、Y君の父母、Y君の子ども1人、Y君の妹の子ども2人が大きな公園に遊びに行っていた。(「ママ」達はお茶に行ったらしい。)
Y君は、2才~5才の子どもたち3人と大きな山タイプのすべり台のてっぺんまで付き添って登り、動画を撮っている。あ! 子どもたちが思いがけないタイミングですべり落ちて行ってしまった! けっこう高さもある! 大丈夫かな! と焦ったとき、その遥か下の着地点にはしっかりとばあばが配置についているのだった。
別の動画では、ターザンロープに乗る子どもをじいじが追いかけて、決して落ちることのないようにしていた。
大人もみんな頑張っている。安全安心が守られている。ありがたいね。と私はコメントした。

部屋でただ寝っ転がって、赤ちゃんや子どもたちの様子を見ているだけでいいのだった。
それが金曜日の夜の至福。

前に公園行った時のもの


4/15🎂
あすぴーお誕生日おめでとう🍓

仕事の後に行った本屋で立ち読みした雑誌『文藝』。「平家!」って見出しが踊り、高野文子と山田尚子が往復書簡を交わしていた。

https://www.fujisan.co.jp/product/2339/new/


その中で高野さんが、「お気付きかとは思いますが私は対面のコミュニケーションが不得意で、長年一人で作業してきたこともあり、そのことを身に染みて感じています。今回一緒にアニメ『平家物語』を作るなかで、普段から大勢の人々と共に仕事をされる山田さんからは、その辺りの心配りなどを感じておりました……」
ざっくりうろ覚え要約で、やはり買うべきだった…細かい言葉知りたい…(全部は買えない)って思ってるけど、そんなようなことを書いていた📨
山田さんも、いえいえ滅相もないです。私も対面のコミュニケーションが苦手でうんぬん…と返している📨


二人のやりとりを読んでハッとした。
もしかして、私も対面のコミュニケーションがあまり得意ではないのでは?
苦手意識を持つことによる刷り込みを恐れて、「得意…かはわからないけど、っていうか好き!」 ということにしてきたのかも。

高野さんが使ったのは「対面のコミュニケーション」という言葉ではなかったかもしれない。何だろう。対面での心情吐露? 心境説明? あー知りたい。

「得意じゃないのでは?」と自分のことを思ったのは、授業での〈生徒の自己紹介から会話に展開するコーナー〉が全然うまくいかないからだ!
今日も一人で頑張りすぎ。
マスクの中で笑えてきた。
いや、頑張るね私、って。

書く方がうまくできる。落ち着いて、整理して、言葉を選んで。
でもそれを、イコール「言葉が使える」イコール「対面のコミュニケーションもオッケー!」に拡大解釈していたのかな。

高野さんはその辺りを分けて認識してるのすごいな。って。

そこからさらに考えた。
でも、(うまくなくても、とっさには間に合わなくても、ちょっとその場では追い付かなくて変になってしまいがちでも)「言葉にできる」、「言葉で説明できる」、「言語化できる」ならすべきだ、と思った。
後からでも、文章でもいいから。
その能力がせっかくあるのなら、相手のために、自分のために、それから世界の平和のために、できる人がするべきだ。
そういうことによって他者が理解できるものがある。
例えば新庄BIG BOSSに見えている世界を、新庄が言葉にしていることによって、ありがたくもわれわれに伝わるように。

見えている世界を言語化することができる人ばかりではないのだ。
できるならやるべき。それは通訳者と同じだから。

ということを、まずは自分に対して思った。
本当に話したい相手を前にするとあわあわしてうまい言葉や話が出てこないで、後からあれもこれも言うべきだったって思う自分…に対してもどかしく思い、けれどもそれなら何回でも言いに行けばいいのだと思った。
それから思い当たる生徒に対しても。
できるならやるべき。能力生かすべき。
「言語化する」をしよう! やってみよう! って言おう!

こーゆーのこーゆーの!


4/14大雨降ってる⚡️

激烈時間割してきたー

まだわからん。
できるかもしれない。ムリかもしれない。

1限はテスト監督かと思って行ったら初授業だった。
やべーっ! ノー予習っ!
って、なぜかすぐに降りてきたニィニィちゃんの声で脳内再生して、半分笑えてきながら午後のクラス用に書いてきた自分の文章を印刷した。

特別コースの授業で、少人数。教室も知らされず(私も事前に解明しておかず)、生徒に聞いてエレベーターに乗りながら、
ザルいーーっ! 私も学校も!
ってこれは自分の声。

ザルくてお互いさまだし、4月の初めのままならなさとか、不足とか、当たり前だよね、って思えるのはやっぱり日ごろのゆるゆるムードのためだろうなあ。
不備が多くて、よく、「ありえへーん! 」って叫びたい瞬間が出現するけど、それはつまり、こちら側も厳密さを求められないということでもある。そのアバウトさにはずいぶん助けられている。

遅れて着いた最初の授業はとてもよかった。
自己紹介という名の会話を共にしてくれた。
会話って双方の努力。雑談だ。
お互いの、そしてオーディエンスの! 意思が必要。
よい場合、観客も助けてくれる。

私はわりと何でも拾える方だと思ってきたけど、あまりにもヒントが少ないとレシーブできない! しかし捨て身で滑り込むから、打ち身で身体はボロボロだよ。
…ってことが、40人クラスだと起こりがち。一人で汗だく。
ちなみに、「テニスが好きです」って言われると私は困るらしい笑。「陸上」も。「ラグビー」も。広げ方がわからない。それらはまだ人生に存在してない。自分のキャパシティの狭さというか、濃淡激しいな!

よかったトークもいっぱいあって、


・「星座は○○座、誕生日は○月○日、おめでとうコメントよろしくです」→私「誕生日言うのおもしろい! 覚え方あるの? 誰かと同じとか」→「友達と同じ!同じ病院で生まれて、隣同士のベッドだった!」
・「自分の名前の漢字の説明の仕方について考え中。これまで、ちょっとだけ前のアイドル(嵐なんですけど!前じゃないし!)の名前で説明してきたけど、古いなって思われたくない。更新していきたい。」
・「弓道のことならなんでも聞いて下さい!」→私「集中するにはどうしたらいいの?何も考えないのができない。ヨガでも必ず考えてしまうんです!」
・「家事では洗濯が好きです」→私「ひえ~」
・「野球見に行くのが好きです」→私「BIG BOSSについてどう思う!!」

私の興味の濃淡が……仕方あるまい。
私の、と言うよりも、やはり、生徒の最初の一声がすべてだな~と思った。難易度高いね!今わかった!

紙に書いてもらう系の自己紹介を超えたくてやってみたのだった。(紙もやった。)
私や生徒がすべっているかな…とか、そんなに身を削らなくても…とか汗かかなくても…とは思うけど、どうにもこれは性分なのだろう。

お互いに今はまだうまくいかなくても、あと一年あると思えばいいのかもしれない。

教室には必ず知っている子達がちらほら存在していて、言葉にしなくとも何かお互いに気心が知れた感じがあり、それに頼ってもいいのだろうか…しかしもうすでにずいぶんすくわれているのだが…という気持ち。
甘えよう。ゆだねてみよう。
不思議な4月。

ニィニィちゃんの勧める金属バットのnoteめちゃよかったー!大阪弁話せないのに読み上げたくなった。才能なんだけど、意思とか、やってきたこととかだよなあ。って、明るい気持ちで思う。開けていると感じる。若い人たちと接しているからかもしれない。表現のめちゃくちゃな面白さと可能性。

友達におもしろいもの教わること多いなー!ありがとうー!

↓こちらも友達に教えてもらった。
明日夜です。
金原ひとみ出てるよー。しびれる。


4/13

明日から授業ー!
ハードめな時間割に不安、
(変更など依頼してもいいものか、まずやってみてからにすべきか、はたまた案外やれるのか)
やらなきゃいけないことができるのか不安、
(授業運営)
朝起きれるか不安!

ふあーんふあーんふあーん

だけどきっと楽しい日になると思う🌞
知ってる!

何も作りたくなく外のものを食べ続けた日々はおわるのか?!


4/11

新しい時間割をもらいに学校に行った。

授業をどうしていこうか、新しくしてみる? ということを人に相談する気で行った。

結果、めちゃくちゃ話したー!

私は広島に行ったことや好きな場所、宗教の話、昨日観てめっちゃくっちゃ感動した映画の話、これからは「えっ?」て言いたいこと、好きな先生が去ってしまってショックな話、友達の話。

同僚は、平家が勝てばよかったと思っていること(源氏は怖い)、厳島神社はやはり平家のセンスと意匠がすばらしいこと、頭は悪いがただ快感なアクション映画について、クラムボン、人間嫌い、家族について考えていること、自分の日常の生活について。

気が合うとは思っていたけどそんなに次々と自分の話をしてくれるとは。
なんでこんなに話してくれるのかなーと思った。
前に、お互いに作品を交換したことがあるので(エッセイ🔁短歌集)、何となく出自? が知れていることは大きい。

でも。
カフェ系椅子だったからかな?
春だから?
お茶なしで、まるでカフェみたいにしゃべった。
なんで私はこんなにこの人に話すのかなーと思った。
すぐにわかってもらえそうだし、同じ熱量で笑ったりそうそうーって言ってくれそうって知ってる。
知識と興味も似ている。
返ってくる言葉のおもしろさ。ストレスの無い言葉遣い。

それから、今日が特に何にも追われていない日だってこと!

その気と話と時間があれば、人はこうして話をするのかもしれない。

授業についての案はもらいつつ、決められないまま、ただすっかり話し込んで終わった。
事務的な準備もロッカーの整理もしていない。
初日の授業は『❔』。
でもきっと今日は話すのが仕事の日だったのだろう。
4月の初めに職場ですることの最高アンサー出してきたー!

4/10

映画『ガンパウダー・ミルクシェイク』を観た。
めっちゃっくっちゃサイコーだった!!
シスターフッドサイコーエンタメらしいよ! と友達にお知らせされて一緒に行った。

上映中、私は、何度もやってくるアクションシーンで終始泣いていた。
殺し屋の女性主人公が、自分が狙われることになり、悪党の男たちを殺しまくる。
殺すには理由があるのだが、観ている間私には理由などどうでもいいらしかった。
倫理的に? 論理的に? 正しいかどうかなどどうでもよかった。
(ただのシリアルキラー: 連続殺人鬼なわけじゃなくて、フェミニズム的にも人権的にも? 十分に勘案されているので安心してね!)

格闘やあらゆる武器の使用がただ華麗で痛快で心地いい。本当にただそれだけを、そういう芸術を見るみたいに恍惚として見た。
泣いたのは美に対する感動と、見たことのないものを見ている衝撃と、本当に本当はこういうものをずっと見たかったのだという心の震え!
舞踏として、流れるように見たのかもしれない。

女の人が、ならず者で集団で粗野で愚かっぽい男たちを片っ端から殺していく。そんなの見たことないから。

ただ見事なアクションを味わう(馬鹿みたいな)回路が自分にあったことが驚きだったし、それはブラボーな発見でおもしろかった。
その上、アクションを女性が請け負っているという心地よさ。
さらに女が遭いがちな悲惨な目には一個も遭わないーーー安・心!

あらゆるサイコーが詰まってた。
友達と一緒に観たこともさらにサイコーを上乗せした。
私たちはもうこのサイコーを生きていこう。

ネオンー!⚡️勇敢でかわいすぎて待ち受け


4/9

ウクライナに起きていることを知ろうと思って録画したEテレETV特集。

「ウクライナ侵攻が変える世界 私たちは何を目撃しているのか 海外の知性に聞く」

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/2Z83LY76JW/


3人の知識人にインタビュー。
とてもよかった。よくわかったし、自分と無関係ではないことや、できること、すべきことがあると知った。
再放送が終わってしまったからメモを残すね。

○アレクシエーヴィッチ
(ジャーナリスト、ノーベル文学賞、『戦争は女の顔をしていない』作者)

・これはテレビと冷蔵庫の問題
(長い間、民主的とは言いがたい国家のもとで生活してきたロシアの人々について)
人々は冷蔵庫がいっぱいの時はテレビから流されることを信じる。冷蔵庫が空になったら初めて自分で考える。
・金にすり寄る宗教者と哲学者のエリートを側近に置いてきたロシア
・われわれはみんな個人個人の勇気が試されている

○ジャック・アタリ(経済学者)
・ロシアにとって民主主義は脅威。民主主義の方がよいと人々に気付かせるから。

・われわれができることは…
ネガティブにならない、悲観的にならない、弱気にならないこと、どんな交渉のチャンスも逃さないこと
そして、ウクライナやロシアなどの国で抵抗する勇気ある人たちを支援すること
・この状況下でリスクを負う勇敢なロシア人を歓迎すること
・ロシアや中国(: 次の危機を予測した際に挙げられる国として)の人たちの気持ちが変わるように、できる限りのことをすること
・敵ではないことを気付かせ民主主義の方がいいと思ってもらうこと
・彼らを侮辱したり罵倒したりせず、民主主義と市場経済が自分たちの利益になると説明する
・利己的な利他主義を実行すること
…自分のためにしたことは他人のためになる

・ロシアのオーケストラや音楽をボイコットするのは馬鹿げている
・もっと歓迎して上演して彼らを理解すべき
・クレムリンがバックにいる音楽家のことではなく。それ以外の音楽、演劇、文学をもっと深く知るべき
・両手を広げて彼らと一緒に何かをする

○イアン・ブレマー(国際政治学者)
教訓は、
・敵を侮辱しないこと
・教訓から学んでより効果的に国々を統合すること
・ソ連が崩壊したとき、ロシアのための復興支援計画はなかった。それは失敗。いわばショック療法だけで経済の立て直しや新たな政治システムを作る支援はしなかった。東欧諸国にしたようには支援しなかった。やっても無駄だったかもしれない。でもそもそもやろうともしなかった
・ならず者の国家が容認しがたい振る舞いをしたとき、それがGゼロの世界だったとしても国際社会は対応し自分たちの基準を示すべき
・それをしなかったのは西側の、われわれの責任
・グローバルな貿易をリードしたくない、グローバルな価値観を広めたくないと思ってしまった
・アメリカが重要視していない国でロシアが行動を起こしても見逃されてきた
・ロシアはこの脆弱さを悪用している
これも大きな失敗

・普通の市民にも責任がある
・自分ごととして関わり、世界で起きていることを理解するという責任
・そして声をあげるべき
・あまりにも長い間、もう何十年も市民の多くが受け身でありすぎた
・私には関係ない、ここでは起きない、私にはどうでもいいことだと
・その結果、国際的なのけ者、悪党、殺し屋が人類を破滅させる余地を増やした

・このような危機の時代、あなたに発信する場があるなら声をあげる義務がある
use your voice
・地球をよくするために。もっと多くの人がこのことを理解する必要がある
・Gゼロについて書いたのは10年前。今それが本当でなければよかったのにと思う
・私の顧客はビジネスに必要な知見だけでなく自分の子どもにどう説明すべきか聞きに来る
・友人や家族にどう話したらいいのか心配して
・世界は今金儲けよりもっと深い不安の中にある
・それは自分が暮らすこの地球についての不安。持続可能なのか、どこへ向かっているのか

・この4週間の間に起きたことを見て、「問題ない。これからも大丈夫だ」と言える人はいない
→ソ連崩壊から30年の間の無関心と不作為の積み重ね
・希望は、私たちが行動し語り続けること

○アレクシエーヴィッチ
・長い闘いになる
・人間社会は3つのゾーンに分かれる
・ひとつはアクティブなゾーン。つまり行動する人たち
・一方で彼らに反対する人たちもいる
・そしていわゆるグレーゾーン。どっち付かずの人たち。このゾーンが一番大きい
・こういう時には物陰に隠れてやり過ごそう、自分の生活の質さえ変わらなければいいという人たち
・私たちはこの人たちと対話する術を学びとらなければならない
・ジャーナリズムは真実を語りこのグレーゾーンに働きかけなければならない

攻撃をしたのが悪いのだが、放っておいたり、心配しなかったのも悪い。
知識人たちの提唱する排除しない姿勢もすごく今とつながると思った。

🌷

休憩。他の人の名言

思い合っている人たちの間に起きることを体験した

『チェリまほ』映画公開記念 二人の対談で、町田啓太

よく理解はできんが、別に怖がることはない

広島で乗ったタクシーのおじさん。地域の巨大宗教施設について


4/8

広島二日目。

昨日は飲み過ぎて夜の早い時間からしんどかった。
フリードリンクでアルコールもたくさんあったからって、ビール焼酎ワイン日本酒サングリアって見境がないにも程がある。食い意地が張ってるとか、いぎたないとか、酔っぱらってベッドで悶えながら当てはまる言葉を頭の中で転がしていたけど、正解は「貧乏くさい」だな。

朝、妹から「二日酔い大丈夫?」とLINEが来て、何も言ってないのにこわっ! と思い、その件に触れずに返した。

朝ごはんを一時間半かけて食べた。カレーとしじみの味噌汁とフレンチトーストがおいしかった。なんでこういうとこのカレーってあんなにおいしいんだろうな。フルーツの味した。
ホテルが提携してる隣の牡蠣小屋の船が宮島まで連れてってくれた。

で、気付いたのは海上なんだけど、

なんか、赤が見えなくない?⛩️
宮島の船着き場に貼ってあったーオシャレ!
あー……ってなるよ!

気付かずに鳥居のすごく近くまで歩いてきてハッとしてる人いた。
どんなのんき者だよ!
でも、みんなたぶん調べずに来てる。その雑さには苛立つかもしれないけど、気は合いそうだと思う。
私は2年前の春も来てるから同じ光景を目にしており、さすがに自分ののんきさに引く。

でもこの島の気持ちよさは何にも変わらないんだよ。
息が吸える。ずっと居たくなる。

宝物館で平家納経を見た。

お店でアイスを食べて手紙をかいた。

かたむき



好きな神社に登ってゆっくり座った。

このページ泣く


みんなのこと探しながら散歩した
いたーー!!


4/7②

原爆資料館に行った。なんかもう、大事なことはわかってるから、今回は行かなくていいかもと思っていたけど、美術館に行ったら原爆ドームを見に行きたくなり、原爆ドームに行ったら資料館には行くしかないと思った。もうそれは人が決めることではないという意味です。

最初に別館に行った。慰霊が主眼の建物で、被爆者の写真と名前がモニターに順番に流れ続け、被爆者について検索することもできた。登録もなお受け付けている。

出口の付近にあった図書室みたいな資料室に入ったら、老婦人が係の人に何か一生懸命説明していた。
私は、『この世界の片隅に』のメイキングブックを見つけてめくったりした。呉にも行ってみたいな。

本棚に黒い皮の表紙の分厚い本が何冊も並んでいた。
ポップみたいな説明書きに、「平成7年、厚生労働省が依頼し回収した、被爆者本人による被爆体験の記録です」とあった。
「か」の行の本を取り出して開いてみる。
手書きだった。
「名前」、「性別」、「被爆当時の年齢」、「広島/長崎のどちらかにマル」。
あとは横書きの線が引いてあって自由に記述するようになっている。
まるで学校の(特に公立の)行事などで観る人権映画か講演の感想文の紙みたいな仕様で、その上に、みんな自分の原爆体験を書いていた。

内容と、人々の文字や筆圧、癖の違い、よく見る仕様の紙。

ちぐはぐ感を指摘したいわけじゃなく、私はまだどう思ったらいいのかわからないでいる。

その人の手による文字と見慣れたお役所のフォーマットが、もしかしたら今まででいちばん、被爆したのはその辺りにいた普通の人で、自分や生徒と同じなのだとわかったのかもしれない。わからない。

平成7年、17年、27年と厚生労働省は記録を集めていてそれぞれ分厚くて重い本になっていた。

何冊も何冊もある。まだ平成7年の「か」の少ししか読んでない。これからも何回も読みに来たい。

私の後に本を手に取っていた老夫婦の男性が、「親父、書いてるわ」と言って、二人で無言で読んでいた。

さっき入り口で一生懸命説明していた婦人は、自分か家族のことを登録しているところなのだった。

原爆公園は人々の休憩の場所


4/7①


朝新幹線お茶漬け


友達に、「ロシアのウクライナ侵攻のことどう思う?」と聞かれて、それについて一度も人と話していないことに気付いた。話していない、その異常性についても。

「恐ろしい」とか「言語道断だ」とか、感傷癖みたいな言葉はたとえ言ったとしても無駄のような気がしたし、無力感と妙な悟り感で誰ともその話をしてなかった。
(『羅生門』に、主人公の男の性格を「感傷癖」センチメンタリズムって出てきたな~。なんであの人たちの作品の言葉は全く古くならないんだろうな。)

でも、友達に聞かれて、「とんでもないことだし、原因や理由はまるで関係なく、理由も経緯も知りたくなく、今すぐ攻撃をやめろとしか思えない」と言って、自分がそう思っていることを知った。

そして、どうせ何にもならないとしても、言わないより言う方がいい、言うべきだと思った。

言ったからといって変わらないかもしれない。
自分の言っていることは綺麗事だと思って嫌になるかもしれない。
偽善者みたいな。何にもならないくせに、安全な場所から正義を振りかざしてえらそうに、と。
自分で自分のことを思うかなと思った。

ところが、そんなことは思わなかった。

何もできていなくても心を痛めていて、おかしいと思っていて、早くやめろと思っている。
自分の安全な生活と攻撃を受けている人たちがいることが共存していることはおかしいと思っている。

そのことを口に出すのは必要なことだと思った。
だってあるのだから。

私は祈るしかないと言った。
とても消極的で、大きな声で言えるようなことではないかもしれないけど。

アニメ『平家物語』を見た。
すばらしかった。
一つは祈りだった。
同じなのだなと思った。

鴨川みたいな🌸
原爆もチューリップも人間がするんだなって思った🌷


4/6②


会いたいよ~と書いたら、僕も会いたいよー! と返ってきた。
僕!
きゅんだよー♡

一人称も自由なんて素敵だ。

4/6①

春な忘れそ

何か話しかけたいな…と思った。

職場の健康診断。
視力検査→血圧→採血へと続く待ち時間。

他教科だが色んな取り組みをよく見てくれてる系おじさんの次に座った。

視力検査ではネタが思い付かなかった。
「4/1の先生のスピーチ(ではない)、とてもよかったです」は私が本当に言いたいことではあったけど重すぎると思った。
すると、もう私には話が無いのだった。
ポンコツ!
雑談の話題ぐらい!
次々涌き出ろよ!
「重」か「ゼロ」なんて、偏りがひどいよ!

おじさんは自分の前の番の若手女性に話しかけている。
雑談してる! 話そうと努力してる! えらい!

血圧でも思い付かず、もう諦めようかな。
係の人とは話せるのに。

採血に移動した。
すると…
待ち合い椅子に座ったとたん、「『春な忘れそ』ってあるじゃないですか。古典の。あれ、僕、桜だと思ってたんですけど梅なんですね」って! 話しかけてきた!
きゅーん。
私が去年古典の授業をしてたから!
きゅーんきゅーーん。
話しかけてくれるだけでよくて話題は何でもいいのに、人を見て人に合わせている。
しかも、「『春な忘れそ』ってとこしか知らないんですけど、何か覚えてて。この年になると、風景が心にしみるようになってきたんですよ。前は何とも思わなかったのに」
って、うろ覚えの、不確かな、でも個人的な自分の話をしてくる。

つまりマンスプレイニングでもなく、(自分か相手の)知識にすがるのでもなく(実際、双方に知識が皆無だった!)、自分の思いが強いところ中心のチョイスサイコーですっ!
情報じゃなくて感情。
好き。

私は引き続きポンコツで、
「(春な忘れそって何だっけ。春を忘れるなだよね。上の句全然思い出せない何だっけ…梅?梅なの?)へえ~梅の花なんですね(…ごめんね先生、私古典わからんのよ~でもえーっと…)。風景って年々重なっていって思い出すことが増えますよね。去年あの人と桜を見たな~とか、あそこに行ったな~とか、思い出しますよね(…って、返せた?ねえ、返せてる?)」
「そっか、ほんとですね。思い出すもんなあ」

って、雑談むずっ! でも楽しい!
もちろん試されているわけでもなく、何より知識を欲っされているわけではないというのが本当に素敵な雑談だと思った。
少し距離があり、普通に人と話してるだけ、という感じがした。この場を共に作っている感じ。うまくいく保証なんかないけどやってる。話しかけた方も話しかけられた方も同じ。でも、誰かが口火を切ってくれないと始まらないんだよね。
ほんとに推せる。

職場なのに、病院の待ち合いみたいじゃん。それより確かで、この一年を助ける。

おじさんが採血の番になったからわれわれは話をやめた。
そして、私は自分の次に座った人に話しかけた。
・「先生、身長何センチでしたか?(長身のため)」
・「『ミステリと言う勿れ』観てましたか?(別の漫画を貸したことがあるため)」

相手も、会話が閉じないように返してくれた。
ありがと♡
雑談のリレーをつなぐよ。

2日経って、ところで「春な忘れそ」って何だっけ…? と調べたら、

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

…(春になって)東の風が吹いたならば、その香りを(私のもとまで)送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、(咲く)春を忘れてくれるなよ。

菅原道真、『拾遺和歌集』

菅原道真ー!
不当に左遷された!
太宰府のね!
りょーかい!
一応知ってたよ🌸

今年の目標増えた。雑談ー!


4/5

思い立ち、今度広島に行くことにした。
何年かぶりの旅行に!行ってもいい!行きたい!とやっと思った。

リゾートっぽいホテルでゆっくりしたいのと、本を読みたいのと、海と、美術館に行きたかった。
先週も調べたけどうまく思い付かず、今週また調べたら広島が出た。
『ミステリと言う勿れ』で整君も行っていたしな。
今は整君について行くのが良さそうだった。

広島ということもあり、録画しておいたアニメ『平家物語』を観ている。

すばらしいね。

維盛の鎧かわいすぎないか🌸

登場人物みんな好きよ。清盛なんてギラギラでマッチョでめちゃくちゃでおじさんで嫌だけど、魅力的なんだなと思う。(服かわいかった。)
徳子と重盛と維盛と重衡が好き。
びわかわいくて、誰かに似ている。まるちゃん? フワちゃん?ちょっと違うかな?

4月の最初の授業でこの歌流そうと思う。


4/4②

かよちゃんの「4月のえっ?」シリーズ参加その2。

今日、同僚へのメール返信に、「私はフェミニストなので」と書いた。
自分のことをフェミニストだと公的に自称したのは初めてだった。
言わなくてもいいかもとか、うるさいかもと思ったが、同時に、言っちゃえ! と思った。
何も期待してなどいない。
年上の「現役世代」の男性宛てだ。

「私は未来から来た未来人です」って自己紹介するよりやばいかもしれないと思った。
(危険という意味じゃなくて、マウントとかマンスプレイニングとかいう目に遭うのがめんどくさくて避けたい。)

でも。

さっき本屋で『僕の狂ったフェミ彼女』を立ち読みしたからかもしれない。
どうせ結果最悪なら(マンスプなどで)、言っといた方がマシじゃんと思った。

でも変な返信来たら辛いから、保険のために、私のカミングアウトメールをここ載せて、みんなと共有しておくね!

私がアニメの『平家物語』に興味がわいたのは高野文子さんが好きだからなのですが、あるネットの記事に、「女性の物語が描かれている」と書かれているのを読んで、だから何だか心惹かれたのかもしれないな~と思いました。脚本も監督も女性だから観たくなったのかもしれないです。私はフェミニストなのでそういう部分に目が行くのだと思います。
…と思いながら、『わたしたちが描いたアニメーション「平家物語」』というメイキングブックを買いました。山田尚子監督と高野文子の対談や、監督日記、作画にあたってのエピソードやコメントなど。
本当にすばらしかった!製作過程の記録でもありましたが、作るってこういうことかーということに感動と尊敬。それが言語化されていることに感謝。
まだ1話しか観てないのにメイキングの本だけでもう感動しました。
またお見せしますね。
最終話とてもたのしみです!

全然さらっと爽やかだよな~


「私はフェミニストなので…」は、それ以上でも以下でもない。
ただ言っておきたいだけ。
(それで、もしフェミに関する授業をするチャンスなどもらえたら最高だがな!)

自分についての説明。もう隠すことじゃないんだよね。

https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781620633

最高でした。欲しい! 

伊藤詩織さんの『Black Box』、文庫になってた。買った。



4/4①

かよちゃんの「4月のえっ?」と重なるだろうか。
ちょっと違うかな?

健康診断の後、同僚とカレーに行った。
職場の話とか愚痴だけじゃなくて! もう! 踏み込んだ話がしたいから私は! という思いで臨んだ。

相手の話や発言に対して、瞬間的に「え?」と言って違和を示す…のは私には高度すぎるらしく、私は考えて、別の方法を取った。
つまり、自分の話をめっちゃする。
身内のこと、特に「恥」と言われそうなことについて。本当に悩んでいたり困っていることについて。
伯父や叔母の話も、父と母の離婚についても、長く会っていない父との関係も、親戚の子どもの話も、飲み始めたホルモンの薬のことも、春休みにかかってきた他校からの誘いの電話についてもその他も、あらいざらい言った。
すると相手は似たような事例の身近な人の話や自分の身内の話をした。その中には、身内のいわゆる「恥」かもしれないこと、つまり深刻な悩みもあったと思う。
最初は、ゴシップとして消費されるかもしれないし、他言されるかもしれないという不安があった。
でも、言ってみたら相手もなかなかシビアなエピソードと現実なのであり、最終的なまとめとして互いに「みんないろいろあるよね~」って言うしかないことも多かった。
でも、それでいいなと思った。
ふと、相手からはこれまでも身内の話を時々聞いていたことを思い出した。閉じていたのは私。
言ったからって何かが劇的に変わるわけじゃない。
すごくベストフレンドの発見というのでもない。
でも、いざ話してみたらその事を私がどう物語るか? ということを体験できる。自分がどうとらえているのか? 相手にどう説明したいのか? そして、相手に私がどういう人物だとわかってほしいのか!そうだこれ!
私は未来派でフェミニストで、年齢や属している世代の一般的なイメージは測れない部分が多くあるということ! を知って欲しいということ!🌟

あと1年って、すぐなの。だからためらわずやらなきゃ。

カレーがすべてじゃん


4/3

過去に感謝、未来に信頼を。


借りた傘を差してバス地下鉄バスを乗り継いで帰った。
二度めのバスを待っていたら向かいが中学校で、校舎に大きく標語が貼ってあった。外に向けて、世間に向けて言っている?
「過去に感謝、未来に信頼を」。
けっこういいじゃない。私好きよ😗

と思ったのは、前夜友達に、「『先生』って先に生まれたから先生って言うらしい。先に生まれた人はそれだけで尊敬に値するらしい!」という話を聞いたからだった。私は、「先生」なんて単に先に生まれただけだよな~尊敬する人は自分で決めるぜ!と思ってたけど、標語で「感謝」となればなんかそれで十分&ナイスになり、友達が言っていたのもこういう意味なのかもしれないな~と思った。

私が熱くうなずきたいのは「未来」の方で、自分が未来派だからというのもあるのだが、「未来に信頼」が持てないから色んな不備が起こるんだろうな~とだんだんわかってきたからだ!
未来を信頼できないから不安になってがむしゃらに働かなくてはとと思い込んだり、人を頼れない(頼ったら悪いし、本当に『いいよ』って思ってくれてるかわからない)と思い込んで自己の責任で頑張りすぎてしまう(そして他人にも自己責任を求める)。

「未来を信じる」って、一見ノーテンキで考えが浅いって言われるかもしれないけど、それでも、たとえノー根拠でも明るく存在していたらいいのだと思う。
未来を信じることは他人と自分を信じることなのだと思う。
そして、それが怖くて私もなかなかできていない。

でも、「過去に感謝を、未来に信頼を」なのであり、それで十分いいのだと思う。

だから、捨てたいのは、人を信じることへの不安、かな。

お土産にもらったタケノコを若竹煮したおいしすぎて泣


4/1🌸

新しい年度の始まり。大学校舎の講堂で行われる全体打ち合わせに行った。
大学はちょうど新入生オリエンテーションの日のようで、「ご入学おめでとうございます」の垂れ幕があり、先輩大学生が校舎案内をしていた。
私は新大学生ではないのだが、講堂の場所を先輩大学生に聞くと、ものすごく丁寧に教えてくれる。
やさしい~~🕊️
るーんと歌いながら歩いていたら、「めぐちゃーん!」と呼ばれ、振り返ると元高3のボーイズだった。
「僕のことわかりますか~?」
「わー! わかるよー。元気?」
「元気です!」

タマラン。かわいすぎる。

私はこの瞬間のために授業してたのかもと思った。
きっとそうだと思う。

私たちは手を振ってそれぞれの部屋に入っていった。

🌈桜のアーチだよ🌈


全体打ち合わせ、すごくよかった。

順番に舞台に登場したおじさん達の話がとてもよかった。2人も✨✨

一人は3月に古典のテストの問題を褒めてくれた人で、改めて「先生達の作られたテストを見ていましたが、自分の考えを問うよい問題を見つけました」と言ってくれた。

パ~ッ✨🌟

嬉しかった。
やっていたら見つけてもらえる。
それが普通にあるということ。
大事だよな。
私も見つけて伝えるよ。

部活だけじゃなくて文化…学ぶことや知ることに力を入れていきたいんだって。
よく言っていることだけど、やっぱりいいな! と思った。
ビジョンもいいし、生徒への愛があり、明るく、やる気に満ちてそれを伝えようという情熱を感じる。
春の始めにそのような光を感じたことって今までどの場所でも一度もなかった気がする。でも、春の始めの前に立つ人の仕事ってそれだよなと思った。教わった気持ち。いいじゃん!

もう一人は、自分の年齢と介護している親のことを話し、「みなさんもどうぞご家族を大切にしてください」と言う。さらに、「子どもさんが小さい方は、特に、その期間は短いからできるだけ一緒にいてあげてください」だって。
めちゃめちゃいいじゃん! 推せる。このような全体の、しかも公的な場で自分の話をするのがいいし、みんなそれぞれの切実さを抱えてることを共有しようとしているのがいい。春休みに時間があったから労働基準法をかなり読み込んだんですだって。いいよいいよ。それが本当の仕事だよね☺️

全体がざっくりよければあとはもう大体いいのだった。私はそういう自分を知った。全体がいいのが最高で全部。
最後の1年、新しく、すばらしくできそうだよ🌈

3月に電話しながら見ていた景色




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?