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日記の価値

 私はなるべく毎日日記を書くようにしている。

 書き始めたのは、小学5年生くらいであったと思う。ある日、母親と出かけたときに本屋に寄った。母も私も本が好きなので、本屋があれば当たり前のように必ず入った。棚に陳列している本を眺め、気になったタイトルのものの裏表紙に書いてあるあらすじを読んでみる。

 しかし、その日はふと文房具も見てみたくなった。ボールペン、ノート、消しゴム、手帳、キラキラしたシール、スタンプ…。普段、文房具の買い物は近所にあるドン・キホーテで済ませていた。本屋は種類が豊富で見ていて楽しい。何か本とは関係のないものを買いたくなった。

 ふと「Diary」と書いてあるノートに目が留まった。日記か。今まで日記は長期休み中の課題でしか書いたことがない。課題として書いていた時は、面倒くさいと思っていた。でも、もしかするとそれは課題としてやっていたからであり、趣味程度なら楽しめるかもしれない。チャレンジしてみる価値はあるな、と思い、母に買ってもらった。

 家に帰って早速日記を開いた。さあ、何を書けばいいのだろう。適当に、その日行った場所、したことを書いてみた。それから何日か書いてみたが、なんの意味があるのかその時はわからなかった。

 日記帳の4分の1くらいのページが私自身の話で埋まったある日、ふと読み返してみたくなった。いざ自分の文章を読んでみると、手帳を見ればわかるようなことが書かれていた。日記は評価されるべきものではないが、これは「日記のダメな例」として挙げられるものであろうな、と思ってしまった。

 ただ、面白いと感じることもあった。その日限定の出来事が私の日記には2行くらいで書いてあった。学生なんて時間割が決まっているので毎週同じことの繰り返しだ。しかし、似てはいるが、まったく同じことの繰り返しではない。その2行に、一日一日が唯一無二であることを気づかされた。

 それから、なるべくただその日の出来事を羅列するのではなく、今日のビッグニュースや友人との会話の内容などを書くようになった。読み返すとその日起こった出来事を鮮明に思い出すことができる。その日を特別な日として浮かび上がらせる。日記を書かなければ、その日はただの普通の日としてスルーされてしまうだろう。
 
 日記は、一日一日を特別な日にする力があるのだと思う。その日があった証拠となる。特別な日は、誕生日やクリスマスだけではないのだ。特別ではない日は一日たりともないのだ。  
  
 私は、これからも日記を書き続ける。

 今日を特別な日にするために。

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