けいてぃ

40代シンママ/外語大卒➡日本語教師➡結婚・出産・離婚を経て海外企業に就職➡フリーラン…

けいてぃ

40代シンママ/外語大卒➡日本語教師➡結婚・出産・離婚を経て海外企業に就職➡フリーランス翻訳家/子連れで4か国8都市に移住/Kindle書籍翻訳出版&Amazonランキング1位/おとな女子校Online主催/波乱万丈の半生からの気づきを記していきます☆

最近の記事

古民家シェアハウスで自然派生活

移住の下見旅行から3ヶ月後、私と息子は徳島に移住した。 多少の紆余曲折はあったけれど、ご縁が繋がって移住することができた。 大きな古民家に3組の母子で生活することになった。 田んぼが続く田舎道を息子が駆け回っている様子を、幸せな気持ちで眺めたあの日を忘れない。 夏は近くの川で水遊びして、家の中では蚊帳を張り、冬は湯たんぽを抱えて寝て、その残り湯で凍った車のフロントガラスを溶かすような生活。 夏には近所の人が山ほどゴーヤをくれて、みんなで佃煮にしてみたり、冬には大家さんが裏

    • 最後の晩餐

      運命のXデーの前日、私は最後のアルバイトを終えて家路についた。 私は息子が生まれてからもフルタイムで働いていたが、そのせいで家庭が保てなくなったのではないか、ということで、家族再生を誓った時に長年続けてきた仕事を辞めた。 専業主婦になってから数ヶ月後、前に一緒に働いていた先輩から、パートで働かないか、とお話をもらった。 自分の収入が完全に途絶えてしまうことを不安に思っていた私は、その話を受けたかった。 しかし、夫に話したら大反対された。 「お前が仕事をしていたせいで家庭

      • 決意の裏側②

        フィリピン旅行から帰国し、私は文字通り「抜け殻」になったような日々を送っていた。 気を抜くとひとりでに涙が出てくる。 前々から楽しみにしていた家族旅行。 心の支えになっていた。そのために頑張ってきたのに。 それが悲惨なことになってしまい、私は打ちひしがれ、燃え尽きたようになっていた。 何を目的に生きていけばいいのか分からない日々。 でも、息子はかわいかったし、彼を育てなくてはいけない。私は死ぬわけにはいかない。 鬱々とした日々を送る中で、夫との関係も悪化していった。

        • 決意の裏側①

          家を出ると同時に離婚調停を申し立てていた。 それほど私の決意は固かった。 だからといって、すぐに決意できた訳ではない。 それまでには長い葛藤があった。 運命のXデーから遡ること1年前、私たち家族は再生を誓っていた。 結婚して2人暮らしだったところに息子が生まれ、生活が一変し、お互いに追い詰められていたのかもしれない。 息子のことを見てほしい私と 自分の方を見てほしい夫。 そこからすれ違いが大きくなってしまったような気がする。 一旦離れて暮らしたけど、もう一度家族と

        古民家シェアハウスで自然派生活

          人生の第二幕が始まった日

          「自分の人生取り戻した!!」 新幹線のベルが鳴り響く新神戸駅のホームに降り立った瞬間、この感覚が込み上げてきた。 まだ幼い息子を連れて、夫と暮らしていた家を出てきたのだ。 置き手紙1枚残して。 駅から外に出たら、全ての景色が光に満ちて見えた。 ホテルにチェックインして、街を少し散策した。 その日は朝からスリル満点の大冒険だったので、興奮気味な息子。 夜寝てくれるか少し心配だったけど、ちょっとだけ愚図ってスヤスヤ寝てくれた。 夜が更けてから、神戸に住んでいる友達が

          人生の第二幕が始まった日