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平熱な私と介護の仕事

蝉の声って、雨の音に似ているのかも。
……と暑すぎてぼんやりしながら考えてみた。いや、蝉時雨って言葉もあるし色んな人が考えてるよね、既に。多分。

転職しようかな、とまあまあ前から呟いていて呟き期間が長すぎてそろそろ狼少年のようになってきている。
長いこと同じ業界にいすぎたせいで他業種へのジョブチェンジには二の足を踏んできた。そうこうしているうちに、年齢的に何かしらのスキルがないとチェンジは明らかに難航するところまできてしまった。わお。
何事も、よく言えば悠長に構えすぎなんだよ(後送りしすぎただけだよね)。

何事にも熱意が足りていない気がする。世の中の人は大抵私より頑張って生きてる。
ぼんやりしていると、ついついそんなことを考える。
介護が好きとか嫌いとか、そんなことはわからない。天職であると思ったこともない。私には、いつまでも『仕事』だった。
ただ、ふと思い出すことがある。

『○○ちゃんて言うの?きれいな名前』
三十数年生きてきて、言われたことのない誉め言葉に面食らった。私が首から下げていた職員証を指してそのひとは言った。きれいな名前、と。
認知症というよりかなりの高齢だったから、年相応の記憶保持だったのだろう。
何度も何度も、初めて見るように物珍しそうに名札を見て、きれいな名前と言ってくれた。
こそばゆくて、嬉しかった。
そのひとは、誕生日の日にあちら側へ旅立っていった。一瞬すれ違っただけのような短い時間。マニキュアを塗ったら喜んでくれたし、折り紙をしたら懐にしまって持って帰ったっけ。

お別れは寂しい。永遠の別れなら尚更。他人だから、縁の糸は割りと簡単に切れる。
それなら早く、思い入れが生まれる前に離れた方がいいのではないか。仕事柄、別れが近くにいることを肌で感じるからそう思ってきた。今だって思っている。なのに私は少なくない思い出を抱えて、時々笑っている。思い出している。こちら側で思い出すと、あちら側にいるひとの元に花が降るというのは、何で読んだんだろう。
今日、あのひとのところに花は降っているだろうか。降っていたらいいな。そんなことを考える。

いつまでも、きっと私は天職だとは言わないだろうし好きとか嫌いとか考えないままだろう。違う仕事を始めるかもしれない。だけどもらった思い出は愛しいともう少し胸を張ってもいいんじゃないかな。
熱意がなくても、今日も私は介護職だった。

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