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私の本棚と誰かの本棚の話。

本の感想を読んだり聞いたりすることが好きだ。
その人の解釈に触れるのも好きだし、同じように感じていると何だか嬉しい。
世の中素敵なひとが溢れていて、そんなひとたちの書くもの(ブログとか)を読んでいて本が取り上げられていると本棚を覗いている気分になる。

本棚を見るとその人がわかる、とはよく聞く話で、並んだ本で趣味嗜好のみならず時にはコンプレックスまで露呈する。
私の本棚が一時まさにそうで、『自己肯定感を高めるには』系列、『シンプルな暮らし』系列、『人に好かれる・輝ける』系列が鎮座しており、家族にすらどんだけ…と呆れられていた。

どうでもいいけど母の本棚にはアガサ・クリスティが並んでいるのだけれども『五匹の子豚』が三冊ある。三びきの豚にでもしたかったのか母よ。
見かねた妹が、蔵書チェックできるようにとクリスティ女史の著作が全部わかる本を手渡していたが、役立てているかは不明だ。

祖父は本棚はないけれど、自分の書き物机の後に池波正太郎や司馬遼太郎(敬称略)を筆頭に時代小説を積み重ねていた。

我が家は父方も母方も何故か本を読む一族で、読むことは推奨されるべき娯楽である。文句言われない。ありがたい。

話が逸れたが、本棚というのは特別だ。人間一人を構成している要素が一部とはいえ目に見えるのだから。しかも、その本人以外にも。人の心や頭の内なんて想像したってわからないことの方が多いのに。

本を通して書いた人に近寄って、別の誰かの物語を追う。本棚を通して、他人の内側を覗く。
不思議で奇妙だ。面白くて興味深い。

最近の私は気分のムラが激しすぎてめっきり読書量が減っている。読みたい本リストばかり増殖中。
(本は読みたいと思った時が読み時なんだけど)
数年前からちいさなノートにタイトルと読んだ日付だけ書いているけれど、このノート使いきるまであと何年かかんねん!とか思う。
しかし、その年々で並ぶタイトルにその頃の自分の状況がわかる。
模様替えした本棚に似ている。

色んな本棚をみたいな。誰かの本棚。図書館の独自色滲む本棚。書店の本棚。
あとは、昔の自分の本棚。今の私の元になったであろう、もの。

今日も私は誰かの感想を見てにまにましている。ああ楽しい。

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