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ブログ(日記)投稿のルーティンを休止した1か月。現在、人生二毛作目の15歳。

人生100年時代、人生三毛作時代。人生100年を三等分するならば、一毛作=33歳。現在、48歳の僕は人生二毛作目の15歳。先月末に帯状疱疹による一週間の入院生活を経験し、日々の生活への向き合い方を見直している最近。気持ちはリセットできるものの、身体はリセットできず実年齢のまま。そして、見直した一つの取組みが昨年末から毎日書いていたブログ。

ルーティンとして継続していたブログ

以前から時々書いていたものの、『壇蜜日記』に触発されて毎日日記を書き始めたのが2014年10月28日。そこから2018年4月9日までの1760日間(3年半)、毎日書き続けたものの、仕事が忙しくなって休止することに。

その後も時々日記を書いていたものの、毎日書かないことで生活にハリがなくなった感じもあり、再度、毎日書くことを決めたのが昨年末の大晦日。そこからは日々の記録だけでなく、過去の思い出を振り返りながら人生100年時代・人生三毛作時代の楽しさを記録として残したくなり、はてなブログからnoteにスイッチ。

過去の大切な経験を振り返りながら、今の自分の気持ちを照らし合わせることで、当時とは違う気づきもあったりして、毎日ブログを書くことで生活のハリを取り戻していました。

入院生活を通じて変わったルーティンへの向き合い方

昨年12月31日から入院前の9月25日まで毎日書いていました。この間、270日。入院中は心身共にリラックスするためにブログも書かず、退院後も同様の生活を過ごしてきました。退院後にブログを書くのは、このブログを含めて2回目。
毎日ブログを書くことをルーティンにする、ルーティンにしようとしていましたが、入院生活を通じて考え方が変わりました。

これまでは「毎日ブログを書く」ことをルーティンにし、かつ、前回の1260日連続投稿を超えることを目標にしていましたが、ルーティンというよりも自分に負荷(プレッシャー)を与えていた感も否めませんでした。

「ルーティン(routine)」の言葉の意味は「決まっている手順」や「お決まりの所作」「日課」など繰り返しを意味している言葉です。生活におけるルーティン・習慣化とは、行動を何度も積み重ねることにより、考える必要なく自然と体がその行動していることを指します。
https://mfc.mynavi.jp/archive/2018/08/02/mfccolumn_08/

ルーティンの意味には「日課」に加えて「考える必要なく自然と体がその行動していること」ともあります。

これまでは「日課」ばかりを意識していましたが、今後は「自然体」に意識を向けていきます。なので、ブログも日課にすることを目的にするのではなく、無理せず書きたい時に書く、そして、それが日課として継続できることを目指すようにします。

自然体であり続けるために

僕の実年齢は48歳。育ち盛り、食べ盛り、働き盛りなどと表現される成長期を過ぎて「成熟期」の段階。食べ盛りだった頃と同じ量の食事を摂取できないのと同様に、働き盛りの時と同様の仕事量を受け止めるほどの許容量はないのが事実。

人生100年時代、人生三毛作時代。今、48歳の僕は人生二毛作目の15歳。心はリセットして新しい自分を楽しむことはできますが、身体はリセットできず、実年齢を意識することの大切さを実感しました。実年齢に沿った許容量を意識することが自然体であることなのだと考える最近です。

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