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市民権がなかった越境。当時、人生二毛作目の7歳。

黒船と言われたiPhone上陸以降、「共創」や「越境」に取り組んでいましたが、当時は歓迎されていなかったかも?、というエピソードを紹介します。

兼業禁止の中、企業間フューチャーセンターLLPの組合員に

生活者の価値観が「SHARE」(共有・共生・共感・共創)に変わりつつある中、ワールドカフェ形式で価値創造するNECマグナスコミュニケーションズ(当時)田口真司さんが主催する「Future Innovation Cafe」で毎週のように活動していました。当初は20名程度の参加者だったのですが、回を重ねるごとに50名、70名、100名と増えた結果、組織化する必要が生じて2011年12月に「企業間フューチャーセンターLLP」を設立しました。ワールドカフェの枠を超えてフューチャーセンターとしての存在価値が認められたんでしょうね。

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当時、NECは兼業禁止でしたが、人事担当者から「非公式の公認」を得て、企業間フューチャーセンターLLPの組合員として企画運営にも積極的に携わるようになりました。

(補足)
企業間フューチャーセンターLLP 代表:田口真司さん、組合員:7名
一般社団法人企業間フューチャーセンター(現在)
http://www.eafc.or.jp/

20200714_FIC名刺

NECの岡本克彦でなく、C夫と紹介された過去

僕はiPhone上陸のインパクトが大きかったのですが、リーマンショック(2008年)や311東日本大震災(2011年)による社会インパクトを通じて越境・共創する人たちが増えてきました。
人と組織に関する研究機関であるリクルートワークス研究所さんが発行する『Works』(2013年2月号)の取材を受けることがありました。テーマは「越境」。「社員の放浪、歓迎~なぜ越境が人を鍛え、組織を強くするのか~」というタイトルながら、インタビューでは「越境は会社からは歓迎されていない(はず)」という前提で話が進み、会社名も本名もO.K.と伝えながらも紙面では「携帯電話メーカー勤務。C夫」と掲載されました。しかも、覆面...。
つまり、インタビューを受けた2012年の時、越境は市民権を得ていなかったとうことなんです。

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市民権を得た「越境」

2019年2月、リクルートキャリアさん主催イベント「有志活動が生み出すイノベーションと多様な働き方」でOne Japanにも参加しているNECの若手有志活動「CONNECT」のメンバーと共に登壇。
僕からは2010年代前半と異なり、働き方改革で兼業も推奨されて越境や共創が市民権を得た現在、この機会を活かしませんか?と投げかけました。
成功/失敗の結果ではなく、越境や共創による「挑戦」が称賛される中、この機会を生かさない選択肢はないと考えます。

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越境の市民権から学んだこと

「会社で煙たがられたって私たちの越境は止まらない」(『Works』No.116)のように信念を抱いて活動し続ければ、仲間が増えて未来の当たり前になる。

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