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綺麗な人しかおしゃれをする資格がない?

口には出さなかったけど、思春期の頃からついて回っていた本音。
ブスが何したって無駄!
鏡を見るとそんな声が聞こえてくる。

でもね、どうしてか、古着でこれがひっくりかえったんだ。

古着との出会いから、書かせてね。
古着の自由さ、クリエイティブさ。。。古着って流行や常識からも自由で、ユーモアのセンス、勇気、感受性、今までの生き方、その人としての哲学なんてものまで表現できるからこんなに夢中なんです。

私が最初に古着に興味を持ったのは中学生の頃。フォレストガンプを見て、昔のアメリカの雰囲気に憧れを持ってそこからビートルズとか聴き始めたのかな?そして中三の時に初めて友達に下北沢に連れて行ってもらって、大騒ぎしながら古着屋さんを何件も見て回ったのを覚えています。 そして、同時に中学高校時代は自分の外見に悩む日々でした。年頃なんてそんなもの、と思うかもだけど、私はかなりひどかったの。とにかくニキビがひどくなってしまって、自分の顔も体も大嫌いで鏡を見ては一日何時間もため息をつく日々でしたし、二十代に入ってからは、複数の男性に外見をダメ出しされたことがトラウマになっちゃって。もう、絶対モテとか女の子らしい格好なんてするもんか。どうせ私には似合わないし、私なんかがメイクしても馬鹿にされるだけだもん、と長い間思っていました。「綺麗な人しかおしゃれをする資格がない」って。 でも、古着が作り出す世界が好きなのは変わりませんでしたし、ファッション雑誌を舐めるように読むほどやっぱり服が大好きだった。(どうせ似合わない)っていうカッコ書きがいつも頭の中でついていたけれどね。 就職してから、なんとなくコンサバOLみたいな格好とか、当たり障りない服を着ること数年。特に好きでも嫌いでもない服だけど、とりあえず男性に文句を言われないでしょ、くらいで妥協していました。 そして気がつけば30代も後半。。。ガツーンとくる出会いがありました。綺麗とか綺麗じゃないとか、それよりも、自分のスタイルを持つこと。それを言葉にしてくれたのが今や101歳のニューヨーカーでファッションアイコン、アイリスアプフェル。50年代からインテリアデザイナーとして世界を飛び回って、そのセンスはファッションにも反映されていて、映画にもなった人です。デコラティブなアクセサリーじゃらじゃらに丸メガネのおばあさん。ファッションは買えるけど、スタイルは買えない。やっぱり、大袈裟にいうと哲学とか、知性が服を着るときの味方になるっているのは、言葉にできていないけどどこか確信していたからうれしかったです。そして、池袋の古着屋さんBAROの接客で古着愛が再燃しました。まず体型カバーとか着回しとか言ってこない。「お姉さんこれ似合いそう!」ってかっこいいお兄さんが私のためにあれこれ出してくれるのは、「美形じゃないと服を着る資格がない」と思っていた私には天地がひっくり返る経験でした。その人自体、を生かそうとすること。いけているとされる像があって、そこにはめてこようとする普通のアパレルのお店と違うっていう衝撃が走りました。海外のインスタに登場する人たちにも大いに励まされました。体型、人種、年齢も様々、でも好きな格好をしている。逆に「私なんか。。。」って言って当たり障りない服を着る方が恥ずかしい気がしてきました。どうせ、私たちは裸では歩けない。何かしら着るのだから。そして、外見に悩んだり、逡巡した経験があるからこそ、今、これができているんだと思う。古い布切れを組み合わせて世界観を作ること。なんかまとまってないけど、どうしてもあげたくて。お読みくださり、ありがとうございます。