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"徳"へのこだわりと決意

こんばんは、たけちです。

先週の週末より、「徳」「祈り」をキーワードにしたプラットフォーム創りに考え方をシフトし、事業構想及びアプリ開発を進めております。

今回は、「徳」にフォーカスして、わたしの考えについてお話をしていきたいと思います。

徳ってなんだっけ?

さっそくグーグル先生に聞いてみましょう。

とく「とく」の辞書の結果
〖徳〗 (德) トク
1.身についた品性。社会的に価値のある性質。善や正義にしたがう人格的能力。 「徳を仰ぐ」
2.広く他に影響を及ぼす望ましい態度。のり。おしえる。めぐむ。 「好意を徳とする」(ありがたいと思う)
3.徳ある人。すぐれた求道者。 「大徳」
4.《名・造》利益。もうけ。「得」に通用。 「朝起きは三文の徳」

ふむ。
4つ目の「利益。もうけ。」に関しては意外でした。「得」と同じ意味も持っているということですね。

また、有名な松下幸之助さんは、『松下政経塾 塾長講話録』の中で、以下のように仰られています。

 君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。

徳は「自分で悟るしかない」というのが印象的な言葉です。
結局はググっただけではわからないんですね(笑)

わたしと徳との出逢い

話は変わって、ここからわたしの話をします。

わたしが徳を意識し始めたのは、大学1年生の夏ごろでした。
その頃同級生の間では、早くも就活に向けてボランティアなどへの取り組みを行っている人が多く、当時貧乏を極めていたわたしには全く興味もない話ではありましたが、取り組み自体には関心しておりました。
(その頃のわたしはバイトしたり、学費免除のための勉学に勤しんだり、奨学金で飲みまわったり...)

ただ、ある夏のこと、サークルで夏合宿を行った際、とある違和感を感じる出来事がありました。

それは、夕方のBBQのこと。
日ごろからボランティアをしている意識高い勢は積極的に準備や片づけをせず、ダベって飲み食いしているだけ。
あくせくと働く地味目の先輩を見ても、「ありがとう」も「ごめん」も「手伝いますよ」もありません。

あれ、日ごろボランティアってどういう神経でやってるんだっけ????

この頃からわたしは、「履歴書に書ける奉仕活動」と「履歴書には書けない献身」との違いに、吐き気を感じるほど強烈に疑問を感じるようになりました。

この疑問を突き詰めていったときに辿り着いたのが、「わたしなりの徳」というものだったのだと思います。

アイドルはう○こすんな

「わたしなりの徳」とは何なのかと言うと、

・できないことは言わない。
・やってないことは言わない。
・そもそも言わない・気づかれない。
(珍しいことだと気に留められない)

この3つに尽きるかと思います。("美徳"に近いかもしれません。)

ホントに嫌いなのは、あり得ないのに「う◯こなんてしませんよ~」っていうアホなアイドルや、「休みの日は子どもを抱いて家事してまーす!」とかSNSで吐き散らかすエセイクメン。

「う○こもするし、恋愛もしますよ。」ってちゃんと言えるアイドルの方が好きだし、「週に1回しかできないんだけど少しでもママが楽になるように...。」って出社して同僚に話すくらいのパパの方がイケてます。

そんなアイドルが、ステージに立てばブラウン管の向こうにいる誰かに勇気を与えているのであればそれは間違いなく「徳」と言えるし、周囲に言いふらしもせず毎晩せめて皿洗いだけは...と当然のように洗い続けるパパさんの行為こそが「徳」と言えるのではないでしょうか。

"当たり前”にやる

これは最近とあるお坊さんと「TEMPLE MORNING」という取り組みの後に話していたときのこと、「毎日お坊さんが掃除していること」は素晴らしいことなのか?という趣旨の話になりました。

そこでそのお坊さんが言った言葉が、「当たり前にやっているだけ」と。

わたしはここに、徳が存在していると確信しています。

ようは、「自分が特別だと思っていないこと」を「他人が特別だ」と感じた瞬間に、そこに畏敬が生まれ徳へと昇華していく。
(もちろんこのとき、「それは特別な行為だ」と気づかせてはいけない)

だからこそ、わたしはこれから日常に溢れる「誰かの当たり前」を良く観察していこうと思います。

たとえば、
・道に落ちてたゴミを立ち止まって拾って歩いていくOL
・エレベーターでベビーカーの女性のためにドアを留める男子高生
・ついでに隣の机まで拭いてあげる職場の同僚
・駄々をこねる子どものためにハッピーセットからお目当てのおもちゃを選んでくれた店員さん
・子どもと前を通ったらいつも敬礼してくれる警察官

そんな人たちを見かけたときに、「素敵な人たちの人生がちょっぴり良くなりますように。」と祈りたい。
それももちろん、特別なこととしてではなく「当たり前に」。

最後に

これからわたしが創っていくプラットフォームは、そんな"祈り"を捧げられるのプラットフォームにしていきたいと考えています。

「あの人の人生が良くなったらいいな。」
「あの場所がもっとにぎわったらいいな。」

そんな想いを形にできるものをご提供します。

ただし、、、
今まで考えていたものよりめちゃくちゃ考えることが多いです。
なぜなら"徳"や"祈り"は数字にもできないし当然お金にもなりません。
持続的な仕組みを創るためにぜひみなさんのお知恵を貸していただきたいです。
いつでもSNSでDMしてください(笑)

みんな、やってこ!

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