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イベントレポート 内山節先生【講義編】

 震災から10年の節目を目前に、当団体も活動の転換点を迎えています。それに際して、先日の記事では、葛尾村のグランドデザインについて紹介しました。葛尾村のグランドデザインをより深く考えるためには、その前提として「村」と何かについて考えることが重要になります。そこで、「村とは何か」をテーマに、2020年9月に内山節(うちやまたかし)先生にご講義いただきました。イベントレポートを通じて、トピックごとに内山先生のご講義の内容をお伝えします。

講師紹介

 内山節先生は、1970年代より東京と群馬県上野村の2拠点生活を続けながら、大学等の研究機関に所属せずに、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開されている哲学者です。ボランティア等を通じて森林保全に取り組む「森づくりフォーラム」の代表理事も務められています。今回は、上野村での実体験を織り交ぜながら「村とは何か」をテーマにご講義いただきました。

【著書】
『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか


1. 日本における定住の意味

 上野村には「先祖伝来この村にいる」という人がたくさんいるが、その多くは江戸時代後半の移民である。村そのものは縄文時代から存在していたが、その中身は時代とともに大きく変容してきた。例えば、山岳信仰が盛んな上野村では、修験道の行者さんがそのまま住み着くことがあった。また、相馬藩では、天明の大飢饉の際に、現代でいう災害ボランティアのようなかたちで、富山から大規模な移民があった。これは両地域がともに浄土真宗の拠点であったことが背景にある。

 では、「先祖伝来この村にいる」というときの先祖伝来は何を意味するのか。自分の住んだ場所に永遠の世界があるというそれを感じとった人たちが先祖伝来の感覚になくと私は考える。今年初めて村に来たとしても、来て1年くらい通ってるうちに住みたくなって住み、それから10年くらいして、暮らし方や地域のあり方に本当の永遠性があるという気持ちになってくると、自分は昔からここにいるというような感じがしてくる。私の先祖は上野村にはいないが、ここの暮らしに永遠に続けてもいいと感じているため。「僕は上野村の人間です」と言えるのである。


2. 日本の共同体

 共同体という言葉は江戸時代までの文献にはない。少なくとも現代のような使われ方をしていない。今、私たちが使ってる言語には、明治時代に翻訳するために作った言語が圧倒的に多い。おそらく共同体は英語で言うコミュニティを訳そうとしたと考えられる。では、それまで共同体に当たるものは何と言っていたかというと、単に村とか町とか言っていただけである。うちの村とか、うちの町とかそんな感じで使っていたのだ。国という言葉も同様で、他の藩の人と話すときは国が藩を指し、他の村の人と話すときは国が村を指し、同じ村の人と話すときは集落を指すというように、相手との会話の中で国という言葉がどういう規模で語られるかは変化していた。

 このように村および共同体が指すものはコミュニケーションによって変わることから、共同体は行政の単位でもなければ、固定されたものでもない。また、古来から日本では自然と人間が住んで村ができていると考える。ここでの自然には、生物だけではなくて石や山や水や川、さらに死者も含む。したがって、人間同士の関係がこの社会を作っているし、岩との関係、水との関係、川との関係、そういう自然との関係がこの社会を作っていると考えられる。この考えは山岳信仰にも当てはまるものである。山の神を見た人は少なくとも現代にはおらず、山岳信仰には明確な教義があるわけではない。しかし、村で暮らす中で山に手を合わせるのように、山の神と関係を結んで生きているからこそ、山の神は存在し、山岳信仰は成り立つのである。


3. 関係のなかに永遠を感じた人々

 日本の中の村というのは、同じ概念では掴めないくらいにいろんなものがある。 ただ、そこに共通するものがあるとすれば、関係が村を作っているっという1点だけだと考える。その関係の中に新しい人が来たり、また出て行く人もいて、変貌を遂げながらも、そこに永遠の関係があると感じた人たちがそこに定住という感覚を作り上げていく。したがって、100年経ったら定住とか、300年経ったら定住とかそういう話ではなく、この関係が永遠のものだと思った瞬間に定住者になるのである。


4. これからの村をどうつくるのか

 現代はまた村に移住する人たちが出てきている時代だが、おそらくその人たちも、何十年かすると2つに分かれていく。そこに永遠を感じとることができた人たちはそこの定住者になって行き、村の関係の中に入っていけなくて、その関係の中に永遠を見つけ出すことができなかった人たちはいつか去っていく。そういうことをある程度変動を繰り返しながら日本の村は出来てきた。しかし、現状では、永遠を感じさせるような関係が日本の村の中からも薄れてきている。そういう点では今日本の村は苦しいところに来ているとも言える。村が衰退するのは雇用場所がないからだという人も多いが、村が活性化するためにより重要なのは永遠と感じることができる関係が続いていることだと私は考える。

 例えば、地域活性化のための政策として、近隣都市への通勤者に向けた団地建設をした事例がある。そのような地域で道路が壊れるなどのアクシデントがあったときに、昔からの住民は役場に材料費だけ提供してもらって自分たちで修繕するが、新しい住民は役場に文句を言うだけである。このようなことが続いていくと、行政村の範囲に人口は増えるかもしれないが、昔から続く村の関係はなくなってしまう。もちろん生活のために収入は必要だが、このような関係がなくなってしまえば村そのものがなくなってしまうのだ。

 したがって、 今行政が考えているような村だけではなく、様々な村があっていいと考える。集落としての村があってもいいし、もっと大きい行政と重なるような村があってもいい。それから関係によってできてるものだから、その関係の中には村外の人が変わってもいい。上野村は人口的には1200しかおらず、さらに260人が移住者であるため。元からの村民はもう1000人を切っているとも言えるが。様々な人たちが村づくりに協力してくれている。よって、将来的には人口1000人でもこの村が自分の生きていく永遠の関係の場所なんだと感じてくれる都会の人を生み出せば村を維持することはできる。そのように様々な関わり方がこれからの村には重要である。

質疑編に続く


一般社団法人 葛力創造舎

 葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)は、通常なら持続不可能と思われるような数百人単位の過疎の集落でも、人々が幸せに暮らしていける経済の仕組みを考え、そのための人材育成を支援する団体です。


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