2020年10月28日・29日の日記

10月28日の日記

・日記に目次を追加しました。
おわり~~~~も見出しになってるのウケるな。終了を知らせる見出しに存在意義はあるのか? ある。

・今日は学校に行って、ゼミの発表を聞いて、部活をやってお終い。新歓用の動画を作成して、コーチ陣に確認を取ってもらう必要がある。簡素なもだけど動画作りま~す。

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・私もICカードを購入しましたわ。じいや、改札に切符を通さなくても駅構内に入ることが出来ますわ! なんて素晴らしいのでしょう! でも、切符無しに入場できる事になんでしょう……何か違和感がありますの。  

・──人類はトイレ以外では排泄できないように暗示がかかっている──なんて噂もあるけど、自分はそれの自動改札版なのかも。切符を通すことが駅に入るための儀式だと思い込んでいたが、今では切符を使わなくても入ることが出来る。儀式なしに駅に入れるから不安になる。俺のライネスの毛布は切符だった……?

・新技術が現れたときに不安や違和感が生じたのであれば、以前のものに何らかの儀式性を見出していることになる。その儀式的行為に安心を見出している。

・話題は一転。ビールを新しい飲み方で飲んだ。ビールの底に穴を開けた後、プルトップを空けることでビールを放流させる。ジョジョ3部の承太郎と一緒の飲み方だ。

・溺れかけた。蓋なんてないから滝のようにビールが迫ってくる。ビールの刺激で飲めなくなっても雪崩込む。350mLでも人は溺れる、覚えとこ。これは喉が強くないとできない飲み方だ。ビールくらい刺激の強い飲み物は出来ないけど、リンゴジュースやグレープジュースとか喉に優しい飲み物でなら今度もやってみたい。

・ちなみにこの飲み方、「ショットガン・ビール」というらしいっすよ。

10月29日の日記

前回の日記に力を入れすぎた。熱意が5℃しかない。

・今日は九時に起きて13時に大学に行く、練習をした後、動画を作成してコーチに提出した。その後は友人と本屋に行って終了。一日の流れはこんなもん。

・布団を変えた。ずっと押し入れに入っていた毛布は埃まみれだった。昨日の夜が明けるまでくしゃみをしていた。毛布から出ても一日中鼻水の止まらない、病人みたいな一日を送っていた。

・勧誘用の動画を作成した。動画を切り貼りして文字を打ち込む簡単な動画だが、一秒を作り出すのは気が遠くなるほど大変だ。なのに現実の一秒は待ってくれない。時よとまれ、お前は早すぎる。

・明日は勧誘のイベントだ。今年の勧誘はこれ以降無いので新入部員の数もこのイベントで決まる。「部の興廃この一日にあり。俺一層奮励努力せよ」

・まあ、ここで気合入れても、部とはなんら関係がないのが残念。気合の入れ損。明日、気合、入れ直します。

・友人と本屋で待ち合わせる事になったが、どうしてその流れになったかは覚えていない。なんでだろ。とにかく、一日でいちばん眠い時に約束を交わすとこうなる。これが良くない。覚えた。

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・友人と一緒に行った本で買った本。反出生主義の本。最近、半出生主義(アンチナタリズム)が人気らしい。去年から徐々に支持者を得て、思想雑誌の特集になったりとかしてる。

・この主義は、幸福を最大化して、苦痛を最小限にすることを第一とした主義だ。語弊を恐れず言えば、生むことは苦痛を生む最大の要因なんだから無条件に生を礼賛するのは辞めようという思想。

・この思想を理解するに一つの前提が必要だ。それは「快」と「不快」だ。「快」は自分にとって良い感情であり、「不快」は悪い感情だ。「快」はあればあるだけ良い。「不快」はあると悪く、無い方が良い。この前提が必要になる

・その前提を踏まえて出産した場合の想像をしよう。
 子が生まれたとして、その子の生きているうちの「快の総数」が「不快の総数」を上回っているかどうかが重要になる。
 産んだ子が幸福だと思うのならプラスだ。「快の総数」が多い。生んだ方が良い。
 一方、自分は不幸だと思っているのなら、マイナスになる。「不快の総数」が多い。この場合は生まないほうが良いことになる。

・ここで「幸福になる運命の子が生まれなかった場合」について考えるよう。もしその子は幸福になる定めだったが、生まれないことでそれがゼロになった。「快」は別になくても良い感情だから、マイナスではない。ゼロだ。
一方、「不幸になる運命の子が生まれなかった場合」はどうだろうか。これは、不幸になる運命の子の「不快」を失くせたのだからプラスだ。
 不幸になる可能性があれば、幸福になる可能性があったとしても生まない方がプラスになる。しかも、幸不幸を決めるのはその子自身であって親ではない。子の主観は、親ではどうにもならない。

・以上から確実に生む方が良いと考えられる場合を除いて、生むことを避けた方が功利主義の観点からすれば最良の判断なのだ。しかし、幸福を決めるのは親でも誰でもなく自分だ。だから親は子供の幸福を担保してやることは出来ない。「生むことは不幸な人間を作る最大の要因であり、生まないことは不幸な人間を減らす最大の行為である」と言える。

・この主義を提唱したベネターは過激な思想家ではない。反出生主義は「こういった場合も考えられる」と、思考ゲームから始まった主義だ。幸福の総数を増やすために辛さを失くす思想、このしり込みした思想、優しい思想は現実でも通用するのかというところがいつも論点になる。それでも幸福を最大できるかもしれないという希望から、この優しさに満ちた思想は現れる。

・この思想は決して、自分が生まれたことを呪う暗い思想ではない。twitterで恨み言を吐くアカウントが反出生主義を自称しているが、反出生主義はそんなものではない。
 どうやったら生まれる子の幸福は最大になるのかを考える思考ゲームだ。このゲームで重視されるのは生れ落ちる子の幸福の可能性のみであり、それ以外の社会の存続性や道徳性を語るのは論点がすれ違っている。幸福の最大化を考える主義なのだ。

・うーんと、自分は何を言いたかったんだっけ? 日記を書いてるつもりがいつの間にかアングラ思想の解説になっちゃった。わかんなくなっちゃった。明日は大事なイベントだ。「部の興廃この一日にあり。俺一層奮励努力せよ」 寝ます。2552文字

終わり~~~~~~~~

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