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TOEIC 300点からアメリカで働くまで

今でこそアメリカの会社で英語を使って仕事をしているが、僕はもともと英語が超苦手だった。もともと話し下手で、語学は苦手だというコンプレックスを持っていた。大学受験では浪人してかなり一生懸命勉強したが、英語と国語だけは思うように成績が伸びず、苦手意識を持ち続けることになった。大学に入学後も、英語がペラペラ話せる人に憧れ、英会話を習い始めたが、うまくなる実感が得られないまま、そのうち飽きて、辞めてしまった。こうして、英語は超苦手という状態を放置したまま、社会人になった。

社会に出て、新入社員研修中に受けさせられたTOEICテストで衝撃の結果が出た。990満点のところ300点、評価は確かD判定で「ネイティブスピーカーが気を遣ってゆっくり話してくれても、理解できないレベル」のようなことが書かれていた。マークシート方式の4択だから、答えが分からなくても、とにかくマークさえすれば300点くらいは取れる。実際には、本当に分かって回答できたものはほとんど皆無に近い状況だったということだ。1991年、バブル景気末期で、大学時代に遊びまくっていても、就職することができた恵まれた時代だったから、許されたようなものの、とんでもない状況だった。周りの同期の中にも僕と同じように英語ができない者がかなりいたので、できない者同士、笑い話にしてごまかしていた。しかし、内心情けなかった。僕はそんな自分と大いに矛盾する人生観を持っていた。自分の生まれ育った慣れ親しんだ文化の中だけで人生を過ごし通すのと、全く異なった文化と全く異なった人の中に人生の一定期間身をおいてみるのとでは、ぜんぜん自分の人生の意味が変わってくる。僕はそう感じ、僕の価値観は、後者だった。英語が全くできない自分と、そんな自分の人生観にとんでもなく大きなギャップがあった。

そんな僕が25歳で社会に出てから、37歳でアメリカに渡るまで、どのように英語と向き合っていったかを振り返ってみた。

理想の自分と現実の自分のギャップを思い知る

自分の人生観に照らし合わせた際の理想の自分は、早くに博士号を取り、英語がペラペラに話せるようになり、海外に赴任するというものだった。しかし、スタート時点の現実の自分には、TOEICテストで知らしめられたように、理想とはとてつもない大きなギャップがあった。大学卒業まで放置してしまったつけだ。完全な学び直しが必要だった。しかし、ギャップが大きかったからこそ、このままこのギャップを放置したら、自分は将来とんでもない後悔をするぞという強い警告となった。目標は明確になった。博士号を取り、仕事に通用する英語力を身に着け、アメリカに赴任する。

アウトプットの機会を作り、それに向けてインプットせざるを得ない状況にする

自分の性格に合う英語の効果的な上達法として行ったことが、大きなアウトプットの機会を強制的に作り、それを目標としてインプット(勉強や準備)せざるを得ない状況に自分を仕向けることだった。

英語論文

超学歴格差社会のアメリカで日本人が研究者として働くには、博士号はとても重要だ。英語が下手くそな上、博士号も持っていない日本人など、誰も相手にしてくれない。逆に言えば、博士号はアウェイで生きていく丸腰の外国人を守ってくれる重要な鎧(よろい)となる。博士号を取るには、英語論文を数報、科学雑誌に投稿しなければならない。英語論文を作成するためには、必然的に英語論文を作成するために必要な単語、英語表現、文法を習得しなければならない。自分の博士論文に関連する別の英語論文を読みまくって十分なバックグランド知識を持っていなければならない。つまり、英語論文を作成して投稿するというアウトプットの機会を作ることで、たくさんのインプットせざるを得ない状況が作られ、学生時代のたるんだ環境ではなく、必死の勉強体制ができた。

TOEICテスト

会社でもTOEICテストを受けることが推奨されていたし、海外赴任者を選考する上ではTOEICテストの点数は大いに参考にされるので、機会があることに受けるようにした。点取ゲームのようなところもあり、本当の意味で英語力が上がらなくても、回を重ねるごとに、慣れと回答のコツを掴むことである程度点数を上げることができてしまう。それでも自分の英語力の向上の程度を数字としてはっきり把握できることはとてもモチベーションとなる。TOEICテストを受けることをアウトプットとすると、それに向けて行ったTOEICテスト用の通信講座がインプットだった。会社がサポートしてくれるアルクのTOEIC対策用の通信講座をいくつも受けた。何年もかかって徐々に徐々に、点数も伸びていき、アメリカ赴任直前にはちょうど900点になった。そしてTOEICテストの点数を300点から900点まで3倍増させたということが僕の自慢になった。点数を3倍にできる人は超貴重だ。なにせ、スタート地点で330点未満の超低い点数を取らない限り、990点満点のTOEICテストで点数を3倍にすることはできない。優秀な人で初めてのTOEICテストで高得点をとれば3倍どころか2倍、1.5倍さえ無理なのだから(笑)

スピーチ・プレゼン

僕は、日常会話では話し下手なくせに、どんな話をすべきかを事前準備できる人前でのスピーチ・プレゼンは結構好きで、あまり緊張せずに、楽しむことができる。内向的なくせに、承認欲求が強く、見栄っ張りで、いいとこ見せたがりのちっぽけな自分の性格を逆に利用してアウトプットの機会を増やした。つまり、社外の学会発表や会社内の大きな会議で、英語でスピーチ・プレゼンする機会をできるだけ多く持つようにした。当時日本で働いていた会社ではグローバル化に向けて定期的にアメリカ・ヨーロッパからも現地スタッフを日本に迎えて3極会議を行うようになっていた。アメリカに赴任したい僕にとっては格好の自分を売り込むための場だった。この大きなアウトプットの機会のために、高いモチベーションでインプットとしてスピーチ・プレゼンの練習をすることができた。
この時、僕が使った教材でとても効果があったのが、帰国子女のアナウンサー、長野智子さんがナレーションを務めるリアルリンガルという発音の教材だった。CDで聴くかなり昔の教材なので今はもうないと思うが、英語独特の発音の習得に特化したものだった。ひとつひとつの音に必ず母音が含まれる日本語とは異なり、母音を含まない子音の発音をひとつひとつ正確に教えてくれる教材だ。この教材のお陰で、スピーチがとても英語らしく聞こえるようになり、会社の中でも一目置かれるようになった。

TOEICテストの点数もかなり取れるようになる頃から、少し本格的な英会話学校にも通うようになった。インタースクールやECC外語学院という通訳や翻訳者を目指す人が行くような英会話教室だ。授業料も高かったが、その分、カリキュラムもしっかりしていた。スピーチやプレゼンが得意だった僕は、クラスの中でスピーチ・プレゼンをする機会があるようなクラスを選んで、自信をつけていった。つまり、英会話教室は、英語を習得するインプットの場というより、自分のスピーチ・プレゼンの実力を試すアウトプットの場と捉えていた。僕のような語学の才能がない人間が週1回の数時間のクラスで効率よくインプットができる訳がない。インプットの場は、もちろん、英会話教室で先生に褒められたり、クラスメートをあっと言わすために、クラスに行く前日、前々日に自宅でひとりで行う猛練習だった。

実践の仕事を通じて

実際の仕事では自分の率いるプロジェクトで積極的に研究開発試験をアメリカやヨーロッパの受注実験施設に委託して、英語で仕事をする機会を作った。当然、委託先とメールのやり取りやビデオ会議という英語を使ったアウトプットの場が増えた。仕事をしながら、ついでに英語力も向上できるという効率の良い英語学習の機会となった。実際の会社のプロジェクトだから、ただの習い事とは全く異なる。アウトプットは仕事の一部であり、真剣勝負の場なのだから、当然、インプットとなるメールの英文作成やビデオ会議のための英文資料に間違いや、混乱を招く曖昧な表現は許されない。どんな優秀な英語教材、英会話教室にもできない、緊張感のある超濃密な英語習得機会となった。


そしてどのように上達したか?

偉そうに目標を掲げてそれに邁進して順調に上達したように聞こえ、下記のような右肩上がりの直線や、更に相乗効果を上乗せした複利曲線を想像されるかもしれない。


しかし、実際には下の図のように、ぜんぜん順調ではない。まず横軸の時間が途方もなく長い。25歳から実際にアメリカに渡る37歳まで12年もかかっているのだ。中学(3年)、高校(3年)、大学(4年)、大学院(2年)の12年間、英語を学び続けたはずなのに、その間には何もものにできず、社会に出てからもう一度、新たな12年間をかけて学び直した計算になる。まさに完全な学び直し


さらに実際の上達曲線は、ガタガタでスムーズな曲線とよべるものでは全くない。不揃いのごつごつした岩山で、眼の前の岩にはしごを掛け、それでも届かないから、はしごの先端につま先立ちして、何とか岩のてっぺんに手を引っ掛け、腕の力でこじ登った感じ。しかも、はしごをかけ間違えて、バランスを崩して、落っこちるような失敗も何度も繰り返しながら、それでも長い目で見れば登っているという感じだった。
でも、論文作成でのライティング、TOEICテストでの文法、読解、リスニング、プレゼンでのスピーキングなどを同時に並行して向上させることで、時間とともに相乗効果で上達が加速できることは実際に体験できた。


うまくいかなかった英語学習

アウトプットとインプットをしっかり意識せず、曖昧なまま行った英語学習はことごとく続かなかった。
例えば、駅前の英会話学校。適当に英会話学校が用意したテキストを用いたり、それすらなくて、目的もなく、ただ英会話講師と話すだけのような英会話教室は、とても効率の悪い、密度の薄い英語学習だった。
ネイティブスピーカーのセミナーや講演会を聞きに行ったりもしたが、自分が能動的に参加できず、ただ受け身で聴くだけのものは、集中力も続かず、自分には全く向いていなかった。
結局のところ僕には、苦手な英語を強い意志、根性、忍耐などだけで根気良く続ける能力はなかった。そうではなく、強烈なギャップを頭の中に焼き付け、このままではヤバイと思わせ、強制的にアウトプットの機会を作り、それに向けてインプットせざるを得ない状況に自分を仕向けるという仕組みづくりができた場合の英語学習が功を奏した。


うまく機能した英語勉強法は、自分のコンプレックスや性格をうまく利用したものだった

上記のアウトプットの機会を作り、それに向けてインプットせざるを得ない状況を作る英語勉強法は、自分のコンプレックスや性格をうまく利用したものだったと気づいた。それら自分の特性とは、
・英語に苦手意識を持ち、強いコンプレックスを持っている
・目標達成型人間で大舞台でやり遂げて達成感を味わいたい
・複雑なことを理路整然とまとめて分かりやすく説明するのが得意
・インプットする際は一人で静かに集中したい

コンプレックスがあり、プレゼンで失敗して恥をかくのが怖いから、それでいて同時に承認欲求が強く、うまくできたところを見せて達成感を味わいたいから、インプットで必死にプレゼンの練習をした。
英語力が伸びていっても、常にコンプレックスを持ち続け、海外で通用する自信がなかなか持てないから、TOEICテストの点数だけでも海外赴任者の平均点以上にして安心感を持ちたいと思った。

実際の英語学習は、当然、37歳でアメリカに渡ることで完結する訳がなく、その後、アメリカで全然通用しない洗礼を受けることになる。上手くいくこともあれば、逆に打ちひしがれて凹んでしまうこともあるというのを繰り返しながら、今も進んでいる。一生続くことになるだろう。ただ、何を学ぶにしろ、自分の特性を知り、それに合った仕組み作りをすることが学びの秘訣と改めて実感した。


人生最高の自己投資

全然順風満々ではなかったし、今でも発展途上で、死ぬまで続く挑戦だ。お金も時間もエネルギーも使った。自己に投資したものとしては、人生で最大の投資をしたことになるかもしれない。でも、そのおかげで夢が叶い、これまで20年近くアメリカで生活し、働くことができた。今働いている会社には社員が200名以上いるが、日本人は僕一人で、もちろん仕事はすべて英語だ。働いているのはアメリカ人だけではない、僕の周りには、中国人、韓国人、インド人、カナダ人、イギリス人、ドイツ人、オランダ人と様々な国から来た人たちがいる。まさに全く異なった文化と全く異なった人の中で働いている。英語学習は、人生最高の自己投資だった。

#私の学び直し

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