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ドルスキニンカイに来た

リトアニア・ドルスキニンカイにいる。「どこやねん」と自分でもつっこみたくなるくらい、ここがどこだかよくわからない。ロンリープラネットにも数ページしか解説がない。「ドルスキニンカイ」というラスボス2つ前の村のような名前と温泉地という二点に惹かれてやってきてしまった。とりあえず、名前のイメージと反してとても穏やかでいい場所だが、特段、ときめきを覚えるものは見つけられない。だって田舎だもの。とても穏やかでいい場所だが。

ホテルまで来るとき、歩いた。バスが停まったところから徒歩40分と遠かったが、時間に余裕があったので、深緑が豊かな景色を歩きながら楽しむのも良いと思ったのだ。Googleマップが結んでくれた、現在地からホテルへのルートに従って歩く。しかしGoogleマップは景観など考慮に入れない。たしかに最短ルートではあるのだが、森の中のけもの道みたいなところを行くことになってしまった。昼間なのに薄暗い。左右を覆い尽くす、背の高い松や杉みたいな木。静まり返ったなかで、ときおり響く甲高い鳥の声。森でマイナスイオンを浴びて心地よくなるイメージを浮かべていたのに、森は、ちょっと怖かった。しかし歩いていると、おじいちゃんが前から歩いてくるのが見えた。ちゃんと人が通る道なのだと安心した。おじいちゃんは僕の前、数メートルまで近づいてくると、僕に声をかけてくださった。現地の人だった。近づいて話を聞いてみると、リトアニア語だから全く理解ができないが、どうやら身振り手振りで「この道は違うぞ」と懸命に教えてくれているようだった。おじいちゃんは黄色と白と茶色のチェックシャツをズボンにインしていた。小太りだった。髪の毛がなかった。すごく感じのいい、おじいちゃんだった。けれど、外国に行っても、言葉が変わっても、人とコミュニケーションを取るのは難しい。「あ、あ、」とドギマギしたすえに、Googleマップのルートを見せて、「おうけい?」と苦笑いで聞いた。おじいちゃんは肩をすくめるような素振りをしたあとに、僕の肩をポンポンと叩いて、去っていった。

その後、寂しくなったので、おじいちゃんに声をかけられて、自分は嬉しかったのだと気づいた。おじいちゃんの親切を無下にしてしまった自分とGoogleマップを少し恨んだ。

一人旅にハプニングや一期一会の出会いは付きもの、と思われるかもしれないが、少なくとも僕の旅はそういう類のものとは無縁だ。道に迷うこともなければ、人に話しかけなければいけないような事態も訪れない。僕はそこまでIT強者じゃないが、インターネットとスマホがあれば、ほとんど全ての問題は解決する。道はGoogleMapが教えてくれるし、訪れる国・都市のガイドが読みたければ、「ロンリープラネット」がKindleアンリミテッドで読み邦題だ。泊まるホテルもブッキングドットコムで安宿を見つけて予約までできるし、飲食店探しでハズレを引きたくないときはYelp(対応していない国もあったが)を使えばいい。

でも、やっぱり、それだけじゃちょっと悲しい。

結局、GoogleMapは正しく、最短距離でホテルに着いた。おじいちゃん、何を伝えようとしていたのだろう。伝えたいこと、汲み取れなくてごめん、おじいちゃん。

持ってきた『カラマーゾフの兄弟』を読むのを一時中断して、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を読んだら

人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にある、と彼は言うのだった。そして、こうつけくわえた。「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」

という一節があって、やっぱり『カラマーゾフの兄弟』読んでから、読めばよかったあああと少し後悔した。

まだカート・ヴォネガット作品は2冊目だけど、なんだか読み応えが不思議だと思う。文体は道化っぽいトーンながら淡々としてるし、登場人物も無感情っぽく淡々と物語るキャラが多い。なんだけど、根っこにすっごい優しさと寂しさがあるみたいな。そういうの匂わせようとしてる感じゼロなのに伝わってくるのも、とってもすごい。ただ、自分のセンスの問題なんだけど、小説内のユーモアがあまりピンとこないのが、ちょっとつらい。

『みんな生きてる』というギャグ漫画を読んだ。インパクトある表紙はながつね先生だよ。お下品なところもあるよ。そのお下品なところで、なぜか腹痛くなるまで笑ったよ。笑ったあと、「これはまさか『砂の女』のあの男と同じ状態に俺も……?」と一瞬考えたけど、「お前、あんな危機に陥ってないだろ!」と一瞬でツッコミが自分から返ってきた。もう一度読み返したら、一巻の「ムササビ第4形態の合コン」の回はやっぱりなぜか、ひどく笑える。ヒドいけど。

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