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人生で初めて店長を務めた飲食店が前年比190%の売上を叩き出しました。

振り返ると早2年。

当時大学3年生だった僕は、大学4年生になるタイミングで大学を休学する決断をしました。

決断をした諸々の背景は長くなるから割愛しますけど、僕が店長になった年は2020年で今から2年前のことです。

2年前といえば、そうコロナによる緊急事態宣言が初めて発令された年でした。

今までサッカーしか熱心に打ち込んできた事がなく、ただ店舗を運営するということに興味がある程度の僕にその状況を打開出来る施策なんて打てるものなのか。

結果は分かりきっていることで突如現れた未曾有のウイルスに太刀打ちできるわけなく、月に300万ぐらいあった売上が僕が店長を務めてから月30万ぐらいまで下がりました。エグイ。

相次ぐ予約のキャンセル。鳴り止まない電話。辞めていくスタッフ達。
今日も今日とて報道され苦しめられている飲食店達。
ようやく空けたかと思ったらすぐ出る蔓延防止条例。

他人事ではなく、まさか自分のお店にまで『閉店』の2文字がチラつくとは思いもしませんでした。

そんな状況にいったい平和ボケして学生生活を送っていた僕に何が出来ると言うのか。

2022年からあっという間に2年が経ち、今では売上は前年の月と比較すると190%も増加する繁盛店になりました。

自分でも本当に驚いています。でもこうして振り返ってみると売上が増加した背景には結果的に幾つかの成功要因があったんじゃないかと考えています。(下記が僕が初めて店長を務めた飲食店です。)

そこに自分の意志はあるのか

所詮、僕は大学生です。

初めて緊急事態宣言が発令された当時、僕は復学という決断をすることもできました。でも、そうはしませんでした。

なぜなら、このお店は価値があると僕自身が信じて疑わなかったからです。

僕は、当時若い人の進路の選択肢を広げたいという想いがありました。
というか、今もずっとその想いは変わっていません。
(文章はいかにも学生らしいですが2020年にもその想いは書いています。)

僕も1人旅をして外国人と話して気付かされましたが、僕も含めて日本人って義務教育を経て就職活動をして社会に出るという生き方しか知らないような気がするんです。

別にそのレールに対して問いを正したい訳ではなく、
その選択肢しか知らないということに僕は何となく違和感を感じました。

僕の考え方は逆説的です。

最終的に就職活動に着地するという選択肢に疑問視を抱いたからこそ、大学を休学して店長を務めるという、普通の学生がしないようなというのは大袈裟ですが、あくまで僕の周りの友達にはいないような決断をすることで他の学生にとって新しい価値観を学べるきっかけになるんじゃないかと考えていました。(勿論両親には多大なご迷惑をおかけしました!!!)

例え、それが自分の価値観の押し付けであろうと当時の僕はそれが善だと本気で信じていました。

それがコロナ禍でも頑張れた原動力だったと今では考えています。
(今では大学生だけで運営するように結果的になりました。)

商売の本質は焦らず、目の前のことに向き合うだけかもしれない

想いはあっても向き合うべきはものは事業なので数字です。

くっそ赤字でした。

無知すぎて色々WEBやら本やら調べるんですけど、意味はなかったとまでは言いませんが、今の数字に直結しているのかと言われたら、少し違うような気がしています。(例えば以下のような)

・コンテンツマーケティング
・SEO
・アップセルorクロスセル
・新商品開発 などなど。

だから当時の僕が頑張ったことはひたすら掃除です。
めっちゃ掃除しました。
てか、本当に掃除しかしてませんでした。
なんなら泊まり込みで掃除しました。

でも、今考えるとこれが今の数字に繋がっているのかもしれないと今思うと考えられます。

掃除をした理由はシンプルで

自分が行きたいと思えるような場所じゃないと、お客様は絶対に来ないなと思ったからです。ましてやスタッフも。

コロナでお店の予約も入らないし、いっそのこと空けておくということもできました。ただ、当時は直感で誰かがお店に居続けないと良い運気が逃げていってしまうような気がしたんです。

場に灯された火を誰かが消えないように、灯し続ける役割が必要だと思ったんです。そして、その火の範囲をどんどん広げていきました。

自分が行きたくなるようなお店にする>その為にお店を綺麗にした。

と言うあまりにも普通すぎる順番を実施していくだけで売上が上がってきたのですから、意外にも人間の感情というものは事業の良し悪しに比例しているんじゃないかと思いました。

その体験を経てからは身の回りのものが「感情」で溢れていることが気づきました。

自分が使いずらいなと思ったら自分以外の誰かもそう感じているはずだし。
居心地いいなと思ったら自分以外の誰かもそう感じている。

それで結果的にポジティブな感情を抱かれるところには人が集まり、ポジティブが多いところは事業として上手く行っている所が多いように主観的には思います。

だから僕が自分が行きたい場所を作るという動機は意外にも売上を上げる上で重要な事だったんじゃないかと今思うと実感しています。

この体験で学んだことは。商売に必要なのは本で学ぶような小手先のテクニックではなく、商売の相手は人間でその感情を捉えるということが重要だったということです。

想いを抱いて2年経った今

売上は順調すぎるぐらいに回復して、僕は今年の3月に大学を卒業して、別の学生に引導を託しました。

段々と僕がやりたかったような場が実現してきたような気がしています。

僕が務めていた飲食店は今では、1人の店長と2人の副店長という3人体制で運営しています。

それで新しく立候補してくれたスタッフの子がnoteの中でこんなことを言ってくれました。

ロックヒルズガーデンというお店には本当に個性的で面白いスタッフがいて、今まで自分の周りにはいなかったような経験や生き方をしている人が沢山います。

休学して学生店長をしたり、大学に通いながら学生店長をしたり、就職せずに海外にいったり、海外の大学院に行くために勉強していたり、休学して自分のやりたいことをやろうとしていたり、写真部や薬学部もいれば美容師を目指している人もいます。

この感想はまさに自分が実現したかった世界観であり、ようやくスタートラインにたったなとも思います。

僕としてはこれからもっとこういう体験や感想を抱いてくれるスタッフをひとりでも多く創出できたらなと考えています。

色々な生き方を知った結果進路選択に悩むかもしれませんが、僕の考えの中では前途した通り、日本人は他の生き方を知らなすぎだと思います。

日本には就職活動するか、しないかの二元論しかないんか!!

知らないが故に、無理に知っている生き方に合わせようとして自分を苦しめている同世代を何人を見てきました。

別に就職活動しなくたって良いじゃん?
自分らしい生き方があっても良いじゃん?

なぜなら、僕達は幸せになるために生きているのですから。
(僕は就職活動しませんでしたが、後悔は何1つありません)

かの有名な心理学者のアドラーはこういう言葉を残しています。

人間は自分自身の人生を描く画家である。

もし、アドラーが上司だったらより

この言葉を聞いて価値観=絵の具だと思いました。
知っている色でしか僕達は絵を描けない。

でもたくさんの色を知っていると自分が好きな色を選ぶことができる。
知ってた方が好きな絵(人生)を描けるとは思いませんか!!

とか書いてたら職場のみんなで絵でも書いてみたくなったな。アーメン。


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