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自分史〜超多忙な6年生

様々な体験をさせてもらった1年だった。
まず委員会活動。
その名も「集会委員会」。
学校行事である毎週の全校集会、学年集会、
季節毎に開催される、
こいのぼり集会や七夕集会、クリスマス集会等の運営や進行を行う委員会。
児童会が普通の学校なら行うのだろうが、
児童会は別に様々な仕事がある(確か副会長だった)ので、集会の運営を担当する委員会だった。司会はもちろんのこと、校歌斉唱の伴奏、退場の際のマーチング演奏等も全てこなす。
これが毎週開催されるのだから、
朝も人よりも早く登校しなくてはいけない生活が続いた。

また、当時の谷田部町は学校対抗の様々な催しがあり、春の球技大会、夏の水泳大会、合宿コンクール、秋の陸上記録会等、全て学校代表で選出された。

球技大会はソフトボール。
選手全員が少年野球チームに入っている中で唯一のチームに参加していない私。まぁ、水戸時代はパッとはしなかったがリトルリーグでちょっと、下妻でも人数が少ないので中学生と一緒に野球をやっていたし、父とは毎週キャッチボールをしていたので、一応レギュラーとして出場。しかし、大会1週間前にグローブをなくしてしまうというハプニングを起こしてしまい、当日は友達のグローブを借りて出場。
周りも上手だった事もあり、見事優勝!

水泳大会は、5年生の頃から選手に選ばれていたが、当時から腰に夏になると出来るコブシ大の腫れ物に悩まされ、6年では思うような成績にはならなかった(腫れ物は、31歳に手術することになる)。

合宿コンクールは、これも5年から選ばれていたが、ちょうど変声期にあたってしまった事、また合宿の課題曲があまり好きではなかったという我儘な理由で練習に行かなかったかな。。
夏休み中の練習だったし。

陸上記録会。
正直、5年生のはじめの頃までは平均的な速さだったが、6年になってすぐのスポーツテストで50m走で学校一の記録を出した事。また、クラスで皆がやっていたトラック5周を毎日走る事が良かったのか、メキメキ速くなり、200m、800m、そして400mリレー、800mリレーの選手に選ばれ、全て優勝した。
※当時、谷田部町内の高山中学校で開催されていたが、今考えれば、そこには松居直美さんが通学していた。

学校行事だけで、毎日が放課後に代表練習。
そして、夜は毎日剣道(この頃は、毎日稽古をしたくて警察署に通っていた)、エレクトーン教室も週に一回。
バス通学だったので、朝は7時には家を出ていたし、「休む」という言葉を知らないような生活だった。
でも、この時の行動力が、自分自身の体力をつける事となり、また様々な事を学校代表として選出された事により、自信と、周りへの期待を裏切りたく無いという意識からの努力が必要だという事を自然に覚えていったような気がする。
私の基礎が作られていった1年だった。

#茨城県つくば市
#谷田部小学校

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