ババア

 ばあちゃんとババアは違う。ばあちゃんはお母さんとか、おばちゃんとかを、年齢とか、場合によっては見た目とかのところで、通り越して、もっと先に進んだ人で、それは僕のイメージとして、だいたいそういう感じで、でもきっと僕じゃない他の人にとっても、なんとなくはそんな感じで、そんなに違わないんじゃないかと思うけど、それがばあちゃんで、でもババアってのはそれと違う感じで、イメージとして、きっと歳とか、場合によっては見た目とかは関係ないことがあって、若くても、まだ三十代くらいでもババアってのはあって、たぶん、だから歳とかじゃなく、そう呼ぶ人が、その人のことをを好いてないっていうか、それよりもっと積極的に、嫌ってるとか、ババアってのはそういう感じをきっと含んでいて、でもまれには、嫌ってるって見せかけたい時に使うことも、表面的に、好いてないって、見せかけたい時に、でも実はそれって好いてないどころか、逆に好きを通り越して、愛ありますみたいな、実はこっそり愛ありますみたいな、ことも場合によっては、まれにあるのだと、きっと普通の話として、あるんだと思う。


 うちの向かいに住んでるババアはそういう、まれな場合の、幸せなババアではなくて、好かれてない方のババアで、八十とか、八十五とか、たぶん超えてるような、しっかり歳もとってるババアで、僕はババアと呼んでたし、もちろん目の前でそう呼ぶわけじゃなくて、僕の心の中での、認識というか、呼び方として、ババアと呼んでたし、この地域の、川のすぐそばの、車一台がやっと通れるくらいの、狭い道路の、直角の曲がり角と行き止まりで構成されてるような、一丁目と二丁目しかない、狭い町内の人たちも、そのババアを嫌ってるんだろうなって感じが、ババアっては、心の中でも、呼んでないかもしんないけど、道端で会っても挨拶とかしないし、嫌ってるんだろうなって感じが、あって、みんな触れないように、そこにいるのを気づかないようにって、空気みたいな、空気を、よその地域から越してきた僕だって、そこそこは、感じた。朝、ババアはゴミを漁ってた。緑のネットがかぶさったゴミ収集所で、しゃがんで、そこにある市の、指定の、ゴミ袋を開けて、どこの家庭のゴミなのか、中身を物色してたのを、朝、ゴミの日の朝、よく見かけた。分別のチェックをしてたのか、何かを探してたのか、僕は知らない。ゴミを見られるのは気持ちがよくない。ばあちゃんゴミ漁っちゃダメだよって、僕はたまたま居合わせた時には、ババアじゃなくてばあちゃんと、ちゃんと、ばあちゃんゴミ漁っちゃダメだよって、言ったり、言わなかったりした。ババアはゴミ袋を漁りながら、ばあちゃんゴミ漁っちゃダメだよって、聞こえたのか、聞こえてないのか、顔だけこっち向けながら、何も言わずに、手は、そのまま漁ってた。僕はゴミ漁っちゃダメだよって、見るたびに言ったり、言わなかったりした。地域の、他の人は、言わなかった。何も、たぶん、たぶん、昔は言って、今は、言わなかった。僕は言ったり、できるだけ言ったり、意地になって言ったり、言わなかったりした。ババアの横を、後ろを、通り過ぎながら、ばあちゃんゴミ漁っちゃダメだよって。ババアは怖かった。目が、目だけじゃなく全体的に、姿勢とか、でも目が、主に、猿みたいで、怖くて、だからババアがいても話しかけちゃいけないよって、妻に、たぶん地域の他の人たちが、身内に、子供たちに言ってるだろうことを、言った。ゴミ袋を漁っても、袋の口はちゃんと、雑でも、一応は結び直してあって、だいたいは、あんま、そこまでは、散らかることもなく、いつもそこそこ、元どおりだったから、気持ち悪いのを、僕らが、みんな、気持ちを我慢すればいいだけで、気がつかなかったとか、何もなかったとか、誰もいなかったことにすれば、毎日は、普通は、なんとなく保たれた感じがした。


 ババアはよくしゃべった。ババアの家の向かいの、うちの、僕の耳にも、ババアのしゃべる声はよく聞こえた。ババアはよく笑った。アハハじゃなくて、アハーって笑った。ババアの家は、たぶん、ババアしかいなかった。ババアは一人で話して、一人で笑った。大きな声で、毎日ババアの声が、うちとか、近所に、響いた。コンクリートの塀にはシャッターが、車庫が、広い、三台とか停めれる、でも何も停まってない車庫が、車庫の、シャッターがいつも、八分目くらい閉まってて、下が三十センチくらい開いてて、車庫の、コンクリートの、階段の上に、古い、二階建ての、大きくないけど、家があって、離れの部屋もあって、広い、何もない庭があった。庭の隅に干からびた木が、二本とか三本とかだけ、立ってた。干からびてるのに葉っぱはあった。少しだけ、葉っぱはあった。ごにょごにょごにょ、アハー!ごにょごにょごにょ、アハー!って、ババアはしゃべって、ババアは笑った。コンクリートの車庫の、上の庭の、柵のとこから下の、道路を、見下ろして、共産党わぁお断り、共産党わぁお断りって、何のフレーズなのか、よく言ってた。共産党わぁお断りって、ババアは、しゃべって、一人で、笑ってた。たぶん、道路を見下ろして、何が見えてるかとか、問題じゃなくて、何が見えてたって、同じことをしゃべって、何が見えてなくたって、たぶん、笑って、それはただの、僕の想像だけど。佐川とか、ヤマトの兄ちゃんが道路脇とか、玄関先とかで、ババアによく、つかまった。ごにょごにょごにょ、アハー!って、会話のような、会話じゃないような、会話を延々と、ごにょごにょごにょ、アハー!って、延々と、されてた。僕も何度かつかまった。僕はババアにこんにちはと言って、目が合ったような気がして、こんにちはと言って、本当に目があったのか、ババアの目はどのくらい見えてるのか、見えてないのか、こんにちはと言って、つかまった。ババアをいないものとしないで、挨拶したりとか、いるものとして接すると、つかまった。ゴミ漁りの、猿みたいな、怖い時、以外の時においては。


 ババアの家は、たまに、週に一回とか、二回とか、わかんないけど、なんとなくの、そのくらいの周期で、車庫に車があって、誰かが会いに来てた。一度おばさんが入ってくのを見た。一度おじさんが入ってくのも見た。そういう日には、ババアのしゃべる声は聞こえなかった。誰も来てない時には、たぶん、ババアの、ほとんどの時間が誰も来てない時間だと、たぶん、思うけど、その時間には、よくしゃべって、よく笑った。ババアの家の向かいの、うちにはそれがよく聞こえた。狭い、三歩でまたげるくらいの道路を挟んで、向かいで、昭和中期とか、そのくらいの築とか、そのくらいの古い借家で、断熱材とか、入ってなくて、冷たい空気も、外の音も、何の苦もなく自由に通り抜ける、くらいのもので、のら猫のくしゃみだって、部屋の中で聞こえる壁と、窓を、通してババアの、声はよく聞こえた。それ以外の音はしなかった。この辺りは静かで、すごく静かで、住宅街だけど、人がいるのかいないのか、わからないくらいの静かさで、ババアの声と、鳥の声と、郵便配達のバイクの音しかしないけど、鳥の声と、郵便配達のバイクの音はたまにしかしないから、ほとんどババアの声しかしなかった。車もほとんど通らない。何の音もしない。隣の隣にマンションがあるけど、小さめのマンションだけど、そういえば、そこに住んでる人に会ったことないなとか、川の向こうの国立大学の学生が、住居に無頓着なタイプの、学生が住みそうな古めの、たぶん安い、二階建てのアパートとかも、この辺りには、幾つかあって、アパートの前には自転車もぞろっと、並んでるのに、何の音も聞こえなくて、音を立てずに、みんな上手に暮らしているのかなとか、よそは壁が厚いのかな意外ととか、思ったりするけど、もしかするとうちだって、いるのかいないのかわかんないくらい、そんなつもりはないけど、静かで、上手に暮らしてると思われてるのかもしれなくて、普通にしてるつもりなのに、声とか、音とか、存在感とか、生活感とか、そんなのを全部ひっくるめた、生きてる音量、みたいな、もんを、よそに、他人に、迷惑かけないように抑えることが、音量を絞ることが、普通になってたりしないだろうかとか、無意識にもしかしてとか、思ってしまったりして、ごにょごにょごにょ、アハー!って、ババアはいつも楽しそうに、一人で、生きてる音量全開で、そういうのも、なんか本当は、悪くないのかもとか、ちょっと思ったり、今少しは、しなくもないけど、そういえば最近、ババアの声がしない、なと思ったり、最近は、何の音もしないかもとか、そんなのを、感じていて、家賃を払いにうちの、裏の、大家のばあちゃんのうちに、家賃は手渡しだから、日曜に、大家のばあちゃんのうちに、行ったら、玄関の、下駄箱の上で、領収書に判を押しながら、今年は雪がなくて楽でいいわと言って、向かいのおばあちゃん最近見ないけど死んだのかしらと、大家が言った。



 ババアは、大家のばあちゃんが嫁いで来るより前から、ここに住んでて、だから大家のばあちゃんより、もっとババアで、昔から、若い時から普通と違う、おかしい人で、突然わめき散らしたりとか、人の家の玄関開けて歩いたりとか、言動が、おかしい人で、昔から、孤立してて、旦那さんのことは誰も知らなくて、息子が二人いて、一人は若い時に家を出て、違うどこかで暮らしていて、週に一度だけ、今も、車で様子を見に来てて、それだけで、他にはヘルパーの人が週に一度とか二度とか、身の回りの面倒をみに来てる、らしい、けど、買い物はどうしてるのかとか、ご飯はどうしてるのかとか、大家も知らなくて、付き合いもなくて、誰とも、もう一人の息子はずっと昔に、若い時に、亡くしたんだって、離れの部屋で、籠もって、療養してて、籠る、その前、学生運動とか、全共闘運動とか、そういうので、壊して、体を、離れに籠もって、それから誰も、息子を見てないから、きっと亡くなったんだって、付き合いもないから、誰も知らないけど、見てないから、たぶん、死んだんだろうって、何十年も、たぶん四十年とか、そのくらい前の話で、それから何十年も、たぶん四十年とか、そのくらいたって、今ババアを見なくなったから、きっと死んだんだろうって、大家が言った。
 共産党はお断りって、あぁそうなのかって、学生運動とか、よくわかんないけど、あぁそうなのかって、なんかわかった気がして、何がわかったのか、わかんないけど、この辺りは本当に静かで、静かすぎるなって、最近は、そう思う。

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