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熊と川

熊が出た。うちのすぐ近所の川だった。熊はただ山から降りただけで、人がそれを見ただけだった。 

その日は天気が良くて、僕は川にでも行けたらいいなと思った。川は大学生なんかが集まって、何かを焼いて食べたりしていた。味付き肉やチーズの入ったソーセージや、そういったものを。ジョギングをしている人も多かった。バトミントンやキャッチボールをしている人もいた。川にはたくさん人がいて、みんな橋より下流の方にいた。橋があった。小さい橋だった。たまに地下鉄に乗る時はその橋を渡って駅に行った。橋より上流の方にはほとんど人がいなかった。そっちは整備されておらず、一般道から降りられる道もなかった。それでも一人か二人くらいは人がいた。熊が出たのはそっちの方だった。熊が出たというニュースを僕は家で聞いた。僕は家にいた。川に行く気はなかった。熊が出たというニュースを聞きながら、検索をして熊を見た。必要があるとかないとかに関わらず、息をするくらいとても自然に検索をした。

熊を見た人は熊を初めて見た。始めは犬だと思った。熊は猫に近いと思っていたから、それは犬だと思った。大きくて黒い犬だった。野良犬だと思った。野良犬を見るのは久しぶりだった。かつてはどこにでも野良犬がいた。角を曲がればそこには野良犬がいた。座っていたり、そのへんの臭いを嗅いでいたりした。あるいは人に噛み付いたりといったことを、野良犬はした。したのだったか。したと聞いた。見てはいない。野良犬を見た。それは野良犬ではなかった。熊だった。
検索窓にツキノワグマと言葉を入れた。ここが北海道でなければ熊はツキノワグマだと知っていた。ツキノワグマの写真を見た。四つ足の写真は犬にも見えた。大きくて黒い犬だった。二つ足で立った写真もあった。人のように真っ直ぐに立っていた。大きな頭と体のバランスが不気味におかしく、それは犬ではなかった。熊だった。表参道のパスザバトンて店でクマのぬいぐるみを見つけた。テディベアみたいなクマで、テディベアなのかもしれなかった。それは熊だったか。外国の熊だったか。日本の熊ではなかったか。関連項目に大熊猫と言葉があった。それはパンダのことだった。熊は猫に近いと思っていたから、それは犬だと思った。

川があった。家から川は見えなかった。高い堤防があって見えなかった。見えなくてもそこに川はあるということを、僕はいつも忘れた。サイレンが鳴った時だけ川はあった。川はどこからかサイレンが鳴った。大雨の日に僕は家の中でサイレンを聞いた。船に乗っているような気になるサイレンだった。熊は聞いたか。どのようなサイレンを熊は聞いたか。
橋があった。橋の上からは川が見えた。たまに地下鉄に乗る時は橋を渡って駅に行った。朝の川は狭い。夜の川は大きい。川は夜の方がずっと大きくて深かった。川は右から左に流れた。川には魚も含まれた。左にずっと歩いていけば海に出る。みんなは海に釣りに行った。僕は行ってない。僕は家にいた。海では見たことのない魚が釣れた。海にたどり着かない川もあるだろうか。少しずつ地面に滲み込んで無くなってしまう、というような。橋の下はもやもやしている。対岸の山の沢が合わさるあたりがもやもやしている。熊は二つ足で立って、川の中を少し歩いた。川は冷たかったか。川には魚も含まれた。魚がいた。魚は、熊の足を二つ見たか。


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