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俺ら(katotoorera)の政治信条〜明治以降の政府の正当性〜

 以下では、俺は明治以降の政府の正当性を提示するつもりである。

画像:https://unsplash.com/photos/9xp0AWvlGC4

1章 明治以降の政府の正当性

 俺の認識 俺は明治以降の日本国の政府(統治府)を正当と認識しない。

 俺は明治以降の日本国の政府(統治府)を正当と認識しない。言い換えると、俺は国民国家やキリスト教系統の法を正当と認識しない。ここでの正当と認識するとは、俺は統治府の善性を俺の宗教で正当化することができるのかである。

つまり、俺は現在の日本国の統治府を(宗教的に)善と判断することができない。むしろ、俺は現在の日本国の統治府を(宗教的に)悪いと判断する。なぜなら、日本国の政府は東洋文明において宗教的にも歴史的にも全く正当でない。

誰も現在の日本国の統治府を東洋文明から正当化することができないだろう。実際、俺はなぜ俺ら東洋人がキリスト教系統の統治府によって統治されるのかと疑問に思う。加えて、統治者によって統治される対象である国家それ自体も西洋的な国民国家である。現在の状態は二重の意味(国家制度+統治府)で正当でない。

2章 正当な政府

 俺の認識 俺は儒教系統の統治府を正当と認識する。

 俺は儒教系統の統治府を正当と認識する。または、俺は神道及び儒教系統の統治府を正当と認識する。補助として、俺は仏教系統の統治府を正当と認識する。少なくとも、俺は儒教系統の統治府を正当と認識しない。

俺はキリスト教系統の統治府を正当と認識しない。同様に、俺はユダヤ教系統の統治府を正当と認識しない。俺はイスラム教系統の統治府を正当と認識しない。俺はヒンドゥー教系統の統治府を正当と認識しない。

儒教系統の統治府では、統治者は儒教徒であり、民を儒教系統の善悪で統治する。また、統治者は儒教系統の富の規範や性規範、死生観や刑罰、契約の考えで、彼らの民を統治する。

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