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残っている記憶と、つくっていく記憶。

僕は、昔の話をすることが苦手だ。

それは「今この瞬間にしか興味がないんですよ」といった意識高い系のそれではなく、ただ単に、昔のことをあんまり記憶していないという元も子もない話だ。

特に昔話が固有名詞などディテールに及ぶとすぐに記憶が混濁し、よくわからない造語が生まれ、妻などには「あなたの記憶は抽象的すぎる」と絵画のような批判をされるが、仕方ない。だって覚えていないのだ。

つい最近、とあるクライアントとのミーティングの中でそれを痛感した。

お互いの自己紹介を様々なテーマに沿って行ったのだが、僕に当てられたテーマが「故郷について」。しかし、ぜんぜん話せなかったのだ。僕の故郷は、愛知県瀬戸市。瀬戸物のまちです。……えーと、あとは、なんだっけ?てなもんで。苦し紛れにすぐ岐阜の話をした。だって話すことがなかったんだもん。

もちろん、生まれ育った実家のことや、よく遊んだ友達のことは覚えている。青春のエピソードだって、ある。それなりに。

しかし、街の様子がわかる情報が少ないのだ。瀬戸物のまちだから、製陶所が多かったのは覚えている。瀬戸物祭りもそれなりに盛大だった。でも、どんな大人がいて、どんな活気あふれる場所があって、どんなこの土地ならではの特徴があったのか。……分からない。ぜんぜん覚えてない。

これは単なる記憶力の問題ではなくて。僕は街をちゃんと見てこなかった。もっと言えば、「お店」に行ってなかったのだと、今更になって気づいた。

街らしさ、というのは、その土地のお店に表れる。

その土地で獲れたもの、作られたものが並び、その土地の人が求めるものがお店をつくる。だから、土地ごとの印象は、その土地で訪れたお店の印象と密接な関係にある、と僕は思っている。

そして、僕には故郷のお店の記憶がないのだ。

僕の実家は、瀬戸市の中でも僻地にある。お店らしいお店と言えば、徒歩5分の八百屋と、徒歩10分の駄菓子屋と、徒歩15分のコンビニ(当時はサークルKだった)のみ。外食が稀な家だったから、行きつけのお店なんてのもなく、親父がごくたまに買ってくるピザハットがごちそうだった。

高校生になって、自転車で片道40分の帰りみちで寄るのはユニー(今はアピタ)のスガキヤぐらいなもので、大部分はツレの家で麻雀とスマッシュブラザーズに明け暮れていた。

大学を卒業してからは、会社が名古屋にあったこともあって、ただ駅から家までの通り道にすぎなかった。

今思えば、もっといろんなお店に行けばよかったと思う。そうすれば、帰省したときに「あそこの店主、元気かな」と顔を出したり、「これがお父さんの思い出の味でさ」と子どもを連れて行ったりできるのに。

そんなふうに感じるのは、あたらしい地元になった各務原で、少しずつ行き慣れたお店が出来てきたからだ。

「いつものよろしく」で出てくるような間柄ではないけれど、あれ食べたいな、という気持ちにフィットしたお店がすぐに思い浮かぶ。あの味が思い出せる。

お店とは少し違うかもだけど、安心して子どもを診てもらえる小児科の先生も見つかったし、僕が通院する歯医者も決まった。

だんだんと、でも確実に、この場所が居心地よくなってきた。いずれ、僕らの子どもが巣立ち、いつか帰省するときに、「いつものお店」にいけるのが楽しみだ。

生まれた故郷のことは、たぶんこれからも曖昧のままだけど、自分で選んだ故郷は、ちゃんと記憶に刻んでいこう。そんなことを考えながら、もうすぐ、各務原で一年が経ちます。


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