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自己分析に終わりはない。けどそれでいい。

先週「ゼミを開く」と言葉にしてから数日が経過しました。
ありがたいことに「参加したい」と声をかけてくださった方もいるのですが、テーマを模索中です。

私がお話出来ることとしては「キャリア(仕事+人生)」「採用/就職」「人事」「コミュニケーション」そして「自己分析」あたりかなぁと思っていますが、どういう形式にするか考え中。

でも、自分の脳みそには限界があるので、そろそろアンケートでも取ってみようかと思う今日この頃です。
#「ゼミ」ってなんか響きが好き。本当は座談会でも何でもいい。



さて、今日は、私がどのように自分と向き合ってきたかというお話。

ぜひ読んでほしい方は
・自己分析ってどうやったら終わるんだ?と疲弊している方
・私のことを知りたい方(←1人くらい、、、、いますか?)


自己分析は時間がかかる。

私の持論になるが、何か一つのこと(本を読む、何かのフレームワークを使う、誰かと話す)だけで、自己分析が上手く出来るなんてことはない。

そういう小さな自分との対話をいくつも積み上げて、ようやく「あぁ、自分ってこういう人間なのか」と気づく。

そこには時間もかかるし、パワーも必要だ。
だから、すぐに答えが出なくたって気にせずに、手を変え品を変え、色々試すのがいい。


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私が自己分析のようなことを最初に考えたのは、高校生くらいの頃だったと思う。

思春期あるあるかもしれないけれど、クラスの中でつい浮いてしまう自分、先生に突っかかったり、噛みついたりして周りから引かれている自分に対して、自分としては「普通」と思っているのに、周りとはうまく折り合わない。

そんな「自分」って何なんだろう。どこか変なのか?などとモヤモヤ考えている時期がありました。(このモヤモヤは大学2年生くらいまで引きずります)
#それから20年「どこか変なのか?という疑問」正解でしたよ。まぁまぁ変


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さらに大学時代の就職活動のとき、周りの皆と同じように自己分析をするものの「何がやりたい」「将来の目標」「キャリアプラン」みたいなものは全然出てこず、最終的な進路の決め手は「この人達となら楽しく働けそう」というヒト軸。まぁこれもあるあるかな。
#過去のリクルートワークスさんの調査では、「仕事選びの基準」も「退職理由」も20年くらい連続で、1位は「人」でした


社会人になってから、スティーブ・ジョブズ氏の大学スピーチ(Stay Hungry, Stay Hoolishのやつ)を見て、「今日やる事は本当に自分がやりたいことかを鏡の前で自分に問いかける」をやっても、答えは出ない日々。

代わりに、同じスピーチの中のConnecting Dotsの話から勇気をもらい、目の前のことに集中していれば、いつか線になっていると自分を励ます。


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そして時は流れて2020年世界は猛烈な感染症の影響を受け、様々な変化がありました。この年、私は初めて「死」が身近なものであると感じ、この先の人生の中で、どう在りたいのかを真剣に考え始めました。


というのも、2020年3月に私は「肺炎」になったのです。
世界中で猛威を奮う感染症のニュースが日本でも大々的にメディアに乗り始めたのが2020年1月の下旬でした。まだ感染者が数名単位で報道されていた頃です。

私は3月の上旬頃に38度を超える発熱があり、近くの病院に行きました。
医師から、インフルエンザの検査を受けるよう指示があり、すぐに受診しましたが、結果は陰性。新型の感染症のことについては触れられずに、解熱薬をもらって帰宅。

3日ほど発熱が続き、保健所に連絡するも「海外からの帰国者との濃厚接触、および4日連続した発熱が無ければ、PCR検査は受診出来ないと言われ、自宅待機となりました。

幸か不幸か4日目に少し解熱したものの、今度は咳が出始める。
きっと大丈夫と思いながらも、脳裏には(もしコロナだったら・・・)という不安がよぎります。


もちろん「コロナウィルスに感染すること=絶望」ではありませんが、万が一という可能性もありますし、今以上に情報が少なかったこともあり、不安だけが大きくなりました。


38度を超えるような高熱は出なかったものの、咳が出始めて2、3日。回復がないため、別の病院に行くことにしました。


別の病院の担当医は70歳は軽くこえていそうなお爺さん先生でしたが、症状を伝えると、すぐにレントゲンを撮ることになりました。先生曰く、新型であれなんであれ、肺炎にかかっていれば、肺に影が映るのですぐに分かるということでした。

結果は「白い影アリ」。
ちょっとだけ血の気が引きました。

すぐに先生が保健所に電話をし、PCR検査が受けられる総合病院への紹介状を書いてくださり、その足で総合病院に向かいました。

指示を受けた総合病院につくと、すぐに隔離病棟の小さな個室に案内され、PCR検査を含めて、血液検査やMRIなど、たくさんの検査を受けました。

事態はシリアスなのですが、病院の受付から、個室に案内されるまで、アテンドが付きっきりだったので、ちょっとだけVIPになったような特別感でワクワクしていました。
#そう、これが不謹慎というやつです



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検査はなんだかんだ全部で2時間くらいかかりました。
レントゲン写真とMRIの様子から「肺炎」は確定的だけれど、それが新型なのか、それ以外のものなのかは、PCR検査の結果を見るまでは分からないとのことで、結果は翌日に電話連絡があるということで、その日は自宅に帰宅。


楽観的な私は、98%くらいは大丈夫だと思っていましたが、残る2%くらいの不安は払拭できず「もし今死んだらどうしよう。今死ぬのは嫌だな」という感情が湧いてきました。

「今死ぬのは嫌だ」というのは、その当時の生き方について「何も成しえていない、楽しめていない」と感じたからで、消化不良のまま死ねないという思いでした。


翌日の昼過ぎに待ちわびた電話が鳴りました。
PCRの結果は「陰性」通常のというか、コロナではない肺炎だと分かりました。

コロナでなくとも、肺炎は咳が続いて夜も眠れないし、なかなか大変だったのですが、あの時の安心感というのは、本当に大きかった。
死のプレッシャーから一気に解放された感じ。



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けれど、その後も「自分の日常を何か変えなければ」という意識は残ります。


当時の私の状況は、仕事のストレスはあるものの、時間的な自由度の高さ、裁量の大きさや給与など、かなり恵まれた状態だったと思います。

一方で、やりがいや達成感、自己効力感といったものは著しく低い状態でした。


ただ、世界的にも知名度があって、成長力があって、10年近くも働いていた企業だったので、そのまま惰性で生きていくことも出来るし、あと10年も働けば、アーリーリタイアも夢ではなかったかもしれません。


そういう甘い蜜に溺れていたために、新しい一歩が中々踏み出せずにいましたし、新しい一歩がどういうものなのかを思考することすら放棄していたように思います。


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けれど、肺炎の一件によって「どう生きるか」「どう在りたいのか」に立ち止まって向き合う機会を得ました。

わかっていたのは、その時の仕事が「やりたい仕事」「大好きな仕事」ではないことです。しかし「何がしたいか」の答えはまだありません。


モヤモヤとする日々が続き、日々の業務に対するモチベーションが急速に下がり始めました。あまりにモチベーションが上がらないので、上司と相談し「進退を考える時間」として、8月に3週間ほどの有給休暇を頂きました。


有給休暇の3週間で考えたことは「自分がやりたいことは何か?」これにつきます。
実際に行ったことは4つ。
・本を読む
・自分を見つめ直す
・ぶらり旅をする
・自分の経験の棚卸しをして、経験と実績に加えて、仕事上のスキ・キライ・得意・不得意を見える化した

上記4つについて、具体的にどんなことをしたかについては、改めて別のnoteでまとめていきたいと思います。


さて、3週間という期限付きで考える時間をもらった私でしたが、そのまま会社で働くか、退職して何か新しいことを始めるのか、、、

結論としては「何がしたいか、どう在りたいか」の答えは3週間では出ませんでした。

そして、休暇が明け、復帰日の午前中のMTGに出席した瞬間に気が付きました。


「うん、これがやりたいことでは無いことは分かった。ヨシ、辞めよう」


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そうして、私はその日のうちに上司に退職の意を伝え、退職届を提出。
1か月後に退職することを決めました。

そこから引継ぎを終え、最終出社を迎え、残った有給休暇を消化し、10年近く働いた会社を退職しました。
#人事やってた時は、人にさんざん「辞めるにしても、次が決まってからにしたら?」と言っていたのにね

あっという間です。
有給消化の期間から、毎日「さて、どうするか」を考えながら過ごす日々。
多少の貯金があったことと、ちょっとゆっくりしようの言い訳をもって、自堕落な日々を送る。

その間も、自分探し系の本を読んだり、瞑想したり、友達に相談したり、模索&迷走の繰り返し。


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そんな私に転機が訪れたのは、Facebookで見かけた、ある投稿。
前職の先輩が、あるセミナーの感想をつぶやいていた。

セミナーの内容については、別途まとめますが、概要としては自己認知の促進とキャリアサクセスのためのワークショップといった感じ。


私はその先輩にコンタクトし、セミナーの主催者につないてもらって、結果としてはセミナーに参加します。


そのセミナーの中で、自分自身を理解するための新しい視点を得たり、フィードバックやディスカッションを経て、それまでずっとモヤモヤ~と抱えていたものが、一本の線で結ばれたような感覚を得ました。


けれど、これってセミナーの効果だけではなくって、それまでにため込んできた思考の全てが必要なパーツとして存在していて、それをうまく形にするための最後の1ピースだったという感じ。



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最近、常々思うこととして、自己分析って本当に終わりが無い。
人は成長したり時々は挫折したり、毎日変化し続ける。
変わっていないように見えても、1日1日細胞は生まれ変わっているので、変化しているのは間違いない。


だから、「この1冊で大丈夫」「このセミナーに参加すればOK」「この方法なら絶対」という手の謳い文句に対しては、私は慎重になる。

時間をかけて、あれやこれや考えて、うんうん唸っていたものが、何かをきっかけに一つの線でつながったり、まとまった答えになる。


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10代の頃から抱え続けてきた「自分とは何者か?」という問いに対して、20年経過してやっと一つの答えにたどり着いた気分の今日、この頃です。

論語で言うところの「不惑の四十」というところでしょうか。
色々と右往左往したけれど、どれもが必要なパーツだったのだと思いますし、それらがあるから、今そしてこれからの自分というものを描けているのだと思います。

そして、恐らくはこれからも自分の在りたい姿というのは、変化していくので、これからも自分自身に「どう在りたいか」を問い続けるのだろうな、と。


今日はずいぶんと抽象的になったので、明日以降は改めて、私が自分を見つめるために行った方法について、できる限り具体的に書いていこうと思います。

最後までお付き合い頂いた皆様、ありがとうございます。






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