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いつの時代も、技術が社会構造を変える

 先日、人間の集団は「温度」のようなもので、温度に適温があるように、集団にも適切なサイズがあり、その適切なサイズの場合、適温で服を着ようとか思わないように(あくまで、暑さ寒さ対策の意味で)、適切なサイズの集団では、そもそも思想とか文化は生まれにくいという話をしました。

 集団のサイズが小さくなっても、大きくなっても、「思想」は出てくるのです。思想とは人工物ですから。

 これは、暑さをしのぐために砂漠の人は白く風通しの良い服を着て、寒いところに住む人は毛皮をまとうようなものです。反対のように見えて、どちらも服を着ている、服によって過酷な環境から身を守っているということでは、同じです。環境適応のために人工物を必要とする、ってことです。

 一方、適温である、まぁハワイとかだったらパンツ一丁で暮らしていても構わない。服装の意味づけ的なことは抜きにして、気候への対応、ということでいえば、すごく暑いところと寒いところは似ているのです。「服によって環境から身を守る」という意味においては。


 さて、思想や文化というのは、本能による行動様式では対応できなくなったから、生まれました。思想や文化は、人間が必要に応じて作った人工物です。服のようなものです。

 本能による行動というのは、毎度毎度ですいませんが、狩猟採取の100人集団です。ですから集団という意味では、この集団より小さくなっても、大きくなっても「思想」が出てくる。小さい方は、個人であり、家庭といったもの。大きくなったのは、都市での振る舞い(知らない人との付き合い方)であり、会社や、国や、宇宙船地球号とか。


 人間が文化を生み出して以来、この「小さな集団」と「大きな集団」は、同時に並行して存在していました。真ん中に「100人集団の本能」というようなものがあり、両側でヤジロベエのようにバランスをとっている、というようなもの。真ん中から外れたことをすれば、逆のことを欲します。

 我々の日常を考えてみても、ずっと人と会うような営業マンだったら、一人の時間が欲しくなるだろうし。逆に、一人で引きこもっていても、人恋しいからツイ廃になったりするし。


 いわば、小さい方は新自由主義や資本主義であり、大きい方は社会主義や共産主義です。

 戦後、資本主義と共産主義がヤジロベエの両端にいましたが、現在は、片方が軽くなってしまったので、資本主義が重くなっています。グローバルの新自由主義です。そうしたら一方の重りも必要になって、それは、おそらくは環境主義です。宇宙船地球号です。ま、まだまだ環境の方が軽いと思うので、しばらくは、環境に重さが集まってくると思います。


 さて、現代は、それがかなり極端になっていますが、おそらく2000年以上も前から、この問題は起きていました。孔子はそれに対するマニュアルを「論語」で提示していると、僕は思っています。

 親孝行や忠義というのは、極端に身近な、つまり小さな集団での行動マニュアルです。一方、礼や仁というのは、大きな集団、つまり他人に対する行動マニュアルです。私と公です。で、どうして行動マニュアルが必要かというと、本能で対処できないからです。家庭という小さな集団も、都市という大きな集団も、本能は想定していない行動様式なのです。

 おそらく孔子が生きていた古代中国でも、同じような悩みが起きていたんです。親子仲が悪くて辛いとか、国のために働くのなんて嫌だとか。だけど、もう、人間の集団が大きく(同時に小さく)なってしまったのだから、そのハードに合わせたソフトを生み出さなきゃ、しょうがない。それが「論語」の言うところだと思います。

 社会(人間集団)がこうなってしまったのだから、こういうソフトをインストールしたら良いよ、と。インストールとは、勉強です。学ばなきゃいけないんです。だから孔子は学を志します。繰り返すけど、本能で行動できないから、学ぶんです。

 で、ハードに合わせたソフトを作ったのですが、逆に、ソフトに合わせたハードにも進化していきます。論語、つまり儒教で、親孝行という行動マニュアル(ソフト)をインストールしたなら、家の作り方も、それに合わせていきますよね。親と離れて住むわけにもいかないし。というように、ハードとソフト、人間集団と思想というのは、互いを補完しながら、どちらかが先に立つこともありつつ、作られていきます。


 ただ、僕の考えでは、最初に動くのはハードです。技術が最も先です。で、その技術に合わせて思想が生まれます。その思想に合わせた社会構造になり、建築や都市計画といったハードが追いつきます。

 孔子の時代の社会を作った技術というのは、例えば農業であり、例えば畜産であり、例えば金属生産(冶金)であり、というものです。技術が生まれたら、生産性が上がるから、単位面積あたりの人口が増え、人間集団が大きくなる。集団が大きくなると、分業が進むから、新しい技術が生まれる。その繰り返しです。


 現代を考えれば、技術の進歩がすごいです。そもそも、技術に思想が追いつくどころの話ではなく、技術の進歩を全て理解している人すら、いない。誰一人いない。当然、技術を取り入れた思想もなければ、その思想に基づいた社会構造の変化、そしてハード面の変化というのも、起きていない。

 ま、これは当たり前といえば当たり前で、技術発明というのは個人でも可能ですが、社会構造の変化というのは全体の話だからです。個人の方が全体より動きが早いのは当たり前で、全体が動くには、それなりのスピード感というものがあります。


 さて、現代日本の話をしますと、これは、どのような技術に基づいた思想と社会構造になっているのか。

 まず、明治期に輸入された「国」という概念、それに基づいた、軍隊(明治〜昭和の軍隊)や工場労働という技術をベースに、思想と社会構造を一気に輸入しました。これが明治維新です。技術というのは、蒸気機関であり、その後のエンジンであり、富岡製糸場のような工場です。それらの技術を活用するための思想(富国強兵、滅私奉公)と、社会構造が作られました。

 この社会構造は、いまだに生きています。学校とか、大抵の会社とか、官公庁とかです。年功序列であり、終身雇用であり、上の命令は絶対であり。

 ただ、このシステムは「大きな集団」に傾いているので、その一方で、私的な小さな集団という思想が出てきます。そして、それに対する社会構造も誕生する。マイホームに住む核家族という、戦後の世代がそれです。自由であり、ヒッピー文化であり、という社会に対する反動です。ただ、これも大きなムーブにならないのは、結局、反動でしか無いからです。

 反動ですから、そもそもの大元である社会構造を壊すほどの反動では無い。バランスをとっているだけです。いくら自由だなんだと言ったところで、動機が社会への反動ですから、反動は社会構造をマシにこそすれ、変化させるところまでは、いかない。

 じゃあ、何が社会構造を変化させるのか。繰り返しになりますが、最初は技術です。で、明治期に蒸気機関という技術(産業革命技術)が社会を変化させたように、今、インターネットが思想と社会構造を変化させているところです。


 インターネットは「情報革命」というように、情報伝達の技術です。昔から、情報伝達の技術革命としては、まず「文字」があり、次に「活版印刷」があり、次に「電信・電話」がありましたが、その次の革命が「インターネット」です。

 ちなみに、その革命を解説すると、文字は情報伝達の同時性を無くしました。100年後にも情報を伝えることを可能にしたのです。そして活版印刷は、それを空間的に広げました。手書きでしか文字を写せないと、多くの人は読めませんが、活版印刷で本が普及したのです。電話は、距離を介した情報伝達の同時性を確保しました。で、インターネットは、その情報量を格段に広げました。で、この技術の変化により、情報交換のために行っていた労力が不要になりました。

 ですから、今、そしてこれからの課題というのは、インターネットという技術に対応した社会構造をどうやって作っていくか、ということなのです。

 ですから当然、今更リニアだとか言うのは阿呆だということです。情報のための移動が少なくなるのだから、移動需要は減ります。それだったら、社会構造を分散させたほうが良い。線でつなぐのではなく、点と点を繋げばいい。飛行機でいいんです。飛行機とインターネットが正解です。リニアや新幹線は間違いです。あと、流通のための道路は必要ですけどね。だから高速道路は必要です。物流は必要だけど、人流は飛行機でOK。


 そもそも、なぜ都市に人口が集中したかというと、都市に軍隊と工場があるからです。それは、リアルにたくさんの人間が必要だったからです。それも機械に置き換わるんですから、都市の必要は減っていきます。

 都市から田舎へというのは、当たり前すぎる流れになります。今、始まったばかりだけど、どんどんそうなります。そもそもの、都市が成り立った理由が無くなっていくんですから。

 繰り返すけど、都市が「必要」だったのは、それだけの人数が集まる必要があったからです。なぜ都市に集まったのか。古代は、軍隊のため。そして、ここ200年ぐらいは工場労働のため。そして霞ヶ関とか中央集権の情報伝達のため。その必要が無くなった。工場はロボットになり、インターネット網が発達した。だったら、都市はいらなくなります。当たり前の話です。


 ですから、今後、まだまだ都市から田舎へという流れが起きます。そこで必要なのが「思想」です。今は、都市に適応した思想が「常識」になっています。

 学校に行かなきゃいけない、就職しなきゃいけない、お金を稼がないといけない。それは、都市というハード(産業革命を元にしたもの)に適応した思想です。その思想を持ったまま、ハード面で田舎に来ると、ズレが起こる。昭和期に田舎から出てきた金の卵が、都市に適応できないのと同じです。彼らは田舎の思想を都市に持ち込んだ。それでうまく行かなかった人もいる。

 これから、田舎に人が移動するとして、どのようなハードと思想が普及するかという問題です。今、おそらくは、FIREとかフリーランスとかで「個人」で生活というのがメインストリームですが、僕はそれに対抗して、「100人集団」という思想が良いと思っているので、それを主張しているところです。なので、今日もこんな話を書いています。またあした。

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