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選挙に行っても、政治は変わらない!

どうも、参院選の選挙活動を遠くから眺めている渡邉坊です。

やたらと最近、騒がしくありませんか?
それもそのはず、現在、参院選挙の期間でして、
その選挙活動を各党が行っているんです。

各党の候補者や支持者は、街頭からネットまで、
盛んに選挙活動をしています。
道理で、騒がしいわけですよね。

選挙行ってるからって、別に偉くはない

さて、最近では選挙について、
投票率が低いことが問題視されています。

細かな数字を言っても本当に意味がないと思うので、言いませんが、
とかく、投票率が低いということが、問題視されているのです。

「一票は、国民が持つ当然の権利」だとか、
「これを行使しないことは、意識が低い証だ」だとか、

偉そうな人たちが上から目線でこういうセリフを吐く情景は、
特に選挙期間ともなると珍しくありません。

私としては、正直こういう情景自体が、
選挙期間の風物詩になっていると感じていて、
内心、「ああ、やたらとうるさい期間がまたやってきたなあ」と、
本当に、冷めるんですよね。

よく知らない人たちから、投票に行かないという行為が馬鹿にされ、
さも、選挙に参加している自分たちは偉いんだというマウント意識が、
鼻について仕方がないんですよ。

「投票したら政治は変わる」という嘘

政治、変わらなかったですよね?

投票すれば政治が変わるとか、
〇〇党に投票したら政治が変わるとか、
この期間ではもはやおなじみの定型句ですが、

所詮、一人あたり一票しか持たないわけなので、
そんな一票で政治が変わる方がおかしいわけですよ。
民主主義とはそもそもそういうものです。

特定の一人の独裁を防ぐために、
わずか一票が、有権者に割り振られているのですから、
一票で政治が変わると言っている人がいるならば、
その人は大ウソつきです。

一票で政治が変わるということはあり得ません。
一票では政治が変わらないのが、まさに民主主義というあり方です。

一票の価値を正しく考える

一票では政治は変わらないと書きましたが、
それは半分正解で、半分間違いです。

みなさんがイメージするような、
一票で世界が180度変わるというような、
そういうことはまずありえないわけなので、
一票では政治は変わらないというのは、半分正解です。
だって実際、一票にはそこまでの影響力ありませんからね。

NHK党いわく、一票の価値は政党助成金250円らしいですが、真偽は不明です

ただ、されど一票でもあります。
たかが一票という以上は、一票分しか価値がないという考え方もできますが、それを逆に考えれば、一票分は価値があるということです。

一票以上の影響力を、一票が発揮することはありませんが、
一票という枠内であれば、影響力は行使できるというわけです。

もちろん、たかが一票に過ぎません。

一票の誇大化が、一票への失望につながる

さて、一票には価値がないと考える方は多いですが、
なぜにそういう感情を抱く結果となっているのでしょうか。
様々原因はあるかと思いますが、

それは、一票の価値を誇張して伝えているからにならないと思います。
一票は所詮一票なのに、一票で政治が変わるとか、
そういう大風呂敷を広げる割には、
毎度毎度、政治は期待通りには変わらないのです。

端的に言って、期待値と実態が見合っていないのです。

どれだけ口で一票の価値を誇大化しようとも、
一票の価値は、所詮一票に過ぎません。
誇大化すればするほどに、実際の一票の価値とはどんどん乖離が生じ、
期待値が高まるわけです。

しかし当然、一票の価値は変わらないので、
実際に投票に及んだ時に、
なんだこんなものかと、失望をすることになるのです。

投票した候補者は当選しないし、
投票した党は負けるし、

わざわざ貴重な時間を割いて、投票所に足を運んだのに、
煽られた期待は、一切現実にはならないのです。

これならば、友達と遊んだり、デート行ったりしたり、
なんならゲームでもしていた方がまだマシだったと、
そういう後悔が生まれるわけです。
これはひとえに、一票の価値を誇張するがゆえに起きることです。

一票を誇張してまで、投票に行かせようとするな!

もちろん、投票に行ってもらいたいという感情は分かります。
投票率を上げたいだとか、自分の推し政党や候補者を勝たせたいとか、
様々な思いはおありなのでしょう。

しかしそのために誇張表現をするのはいただけません。
誇張に伴うだけの見返りがあるという話ならば、
誇張をしても釣り合うわけなので、それは問題がないと考えますが、
一票など、所詮は一票です。

釣り上げた期待に見合うだけの見返りなんて、そう簡単に作れるものではありません。
である以上は、単に一票の価値を失望させるために投票させたことと変わらないのです。
むしろ、投票率の低下に加担しているまであります。

目先の投票率増加を考えて、誇張して一票の価値を伝えることは、
中長期的には投票率の増加に寄与するばかりか、
むしろ投票率の低下に拍車をかけるのみなのです。

気持ちはわかります。誇張でもしなきゃ投票に行かないだろうと。
しかしその結果として、一票に失望させているのでは意味がありません。
余計なことをせず、黙っていた方が、まだ投票率が上がるんじゃないですかね?

一票は一票として、選挙に行こうと呼びかける

そこで提案です。
私は、反対ばかりの人間ではありません。
批判をする以上は、私なりの考えを提案します。

その提案は簡単です。
一票は一票として、投票を呼びかけようという考えです。
しかし、これには欠点がある。

ズバリ、即効性がないということです。
選挙が始まってからこういう呼びかけをしても、まさに遅いんです。
もはや手遅れです。

でも、それが普通じゃないですか。
投票率を上げる魔法の杖なんて存在しないし、
即効性のある手段とは、再現性がない手段の裏返し、
そんな劇薬に頼っても仕方がない。

今回の選挙はまあ、ひとまず諦めるとして、
次の選挙では少しでも投票率が上がるように、
誇張表現を使わず、地道にやっていけばいいじゃないですか。

急がば回れ、とも申します。
真に投票率を上げたいならば、選挙が始まる前の段階から、
地道に、愚直に、一票のありのままの価値を説いていけばいいのです。

ズバリ、政治界隈の人たちが悪い

インターネットには、やたらと政治意識が高い人たち、
いわゆる「政治界隈」の住民が存在していますが、
彼らは選挙がない期間中、何をしているでしょうか?

立憲民主党以外の政党支持者も、例外なく他政党に対してはこんな感じでは?

支持政党のことを自画自賛し、同党支持者と支持政党の良い面のみを語り合い、
敵対政党については頭から否定し、一理たりとも意見を聴こうともしない。

さながら、政治を趣味としているようなノリですよね。
アイドルであるとか、アニメであるとか、
それに対して「推し」というものを持つ人は多いですが、
そのノリを政治に持ち込むばかりで、
地道に、選挙のない期間に投票率を上げようとすることもやってはいない。

無論、趣味においてそういったあり方であるのは、
私は否定しません。しかし、政治においては別なんじゃないですかね?

それでいて、いざ選挙になったとたんに慌て出して、
一票の価値を誇張しつつ、投票行こうと呼びかけたり、

支持政党の悪い部分は認めず、良い部分のみを誇張し、
さもその政党に投票すれば政治が変わるような、
そんな「煽動」ばかりをしているのです。

この状況で、投票率が上がる要素なんてないですよね。
無論、私の考える手法がすべてだとは申し上げませんが、

少なくとも、
支持政党を自画自賛したり、敵対政党を貶めたりというその動きが、
投票率向上にはなんら寄与しないことは確かであるかと思います。
少しでも、投票率の向上の方法を考えたりしてるんですかね?

もしかしたら、当人なりには頑張っているつもりなのかもしれない。
ただ、やってることは結局、
お仲間との井戸端会議と、敵対グループとの抗争ばかり、
そんな状況下で、投票を呼び掛けること自体がおこがましいし、
ましてや、自身の支持政党に投票してくれとお願いするなんて、
本当に、虫が良い話だと思います。

一票ではなく、一人の人間として向き合っているのか?

そもそも、我々は、一票という数字ではないのです。
それを選挙期間が始まったからと、急に取り込みにかかるのは、
まさに数字という物質的な存在として、見なしている証左。

人と人として、魂に正面から向き合わず、
自らや、自らの支持政党のためという「私欲」のために、
我々を単なる数字、数合わせとして、
おこがましくも、投票を呼び掛けているわけです。

投票率が上がらないだとか、支持政党の支持率が伸びないとか、選挙になった途端に騒ぐ前に、まずは自分がしていることを客観的に省みる必要があるのではないでしょうか?

以上、「選挙に行っても、政治は変わらない」でした。

ちなみに私はあれこれ言いつつ、立憲民主党に投票しました。
まあただ、なんというか、立憲民主党に投票しようと呼びかける意思はありません。
立憲民主党なんて、まさに評判悪いですからね、別に、立憲民主党に投票する必要もないと思います。
立憲民主党以外のなんかよさげな政党に、入れてもいいんじゃないですかね?
ほら、国民民主党とか、国民民主党とか、国民民主党とか。

いや、そもそも投票自体に一票の価値しかないので、行かない選択もアリというか、行かないのが普通だと思います。
ダメ元でも良い、一票分でも構わないということならば、
行くのもアリなんじゃないかと思います。

以下の通り、参院選用にポスターなど自作しましたが、
行くか行かないか含めて、個人の自由だと思います。
ご自身の主体性を生かすのが全てだと、私は思います。


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