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あのときの私への手紙

 世間の新社会人たちがもう新しい環境に馴染んできつつあるであろうこの時期。せっかくなので、あのときの私に向かって話をしようと思います。形式もいろいろ考えたんだけどね。けどなんかいいように思いつかなくて。

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 私の社会人としてスタートさせたのは、まだ桜の蕾が開いているかいないかの、3月半ばを少し過ぎたくらいでしたね。世間でも家の中でも疲弊することが多くて、正直あまり明るい気分で新社会人のスタートを迎えられなかったように思います。
 小学生のときからなんとなく続いていた「心と頭が乖離していた状態」がいよいよ本格的に体にまで影響を及ぼすようになってしまっていたとき。思考力も記憶力も、今思えばとてもまともに働いている状態ではない中、全くそれまで触れたことのなかった経理部へと配属されます。

 やりやすい部門だったとはいえ、社内の都合で実質大きな場所の会計の、一切合切を担当するようになり、2週間後にはほぼひとりで回していかなくてはいけない厳しい状況。全く記憶ができず、そもそも作業内容の理解もできず、やりとりをしなくてはいけない現場の担当者も異動したばかりで全く理解できておらず。いろんな人を巻き込んで修正や確認をしてもらい、ほとんど毎日残業もして、終電で帰るなんてことも珍しくありませんでした。残業をするような会社でも業務内容でもないのに、この体たらく。私はさらに自分が嫌になっていました。

 1月ほど経って、生まれて初めて自分の名前だけが記載された保険証を受け取り、真っ先に向かったのは心療内科でした。やり慣れない仕事のことがなかったとしても、かなり限界でした。
 自分のことがどんどん嫌いになって、許せなくなって、けれどそれでどれだけつらくても結局は笑顔で明るく振舞うことしかできなくて。頭が何をしても追いつかず、いろんな人に迷惑をかける。人はこんな事情なんてわからないから私を責める。どんどん追い込んでいってしまって、私はすべてを捨ててしまうことを選びます。

 びっくりするでしょう。私もこんな人生になるなんて思ってなかった。きちんと世間のステレオタイプというレールに乗って生きていく。それが幸せになる道だって思ってた。逆に言うと、私の場合はそうやってしか幸せになることができないと思っていた。何かの道を切り開いていくような能力も精神なんて持ち合わせていないから、あえて抗うなんてことをせずに楽に生きていくのがいいに決まってる。
 どこまでもはぐれ者になったところで、すぐに気力を回復できたかと言われたらそんなことはなくて。どんどんどん底の気分へと落ちていきます。何があったかは、それは今は内緒にしておきましょう(笑)かつての私が歩む道を、暗い話ばかりにしておくのもどうかと思いますから。

 けれどどんなにどん底な気分の中にいても、這いつくばってでも生きています。「死ぬ勇気がないだけだ」と思うかもしれないけれど、醜くったって生きる選択をするのも、また勇気のいることです。
 涙にくれても、とんでもない目にあっても、抜け殻のようになったことがあっても、生きるという選択をしてくれたこと。本当に感謝しています。過去の私が、どんな形であろうとひとつひとつ未来の私への選択をしてくれたこと。そして今、そのすべてが私の中で、バランスをとり、大きな支えとなってくれている。これがどれだけ素晴らしいことか。

 「きちんと怒ること。ネガティブな感情の出し方を練習すること」から始まった私の精神面での訓練は、少しずつだけれど自己肯定を学び、実を結びつつあると思います。本も一応は読めるし、覚えられることも増えました。23歳ごろから書かなくなった文章や小説もまた書くようになったし、外に出ることも人と話すこともだいぶできるようになってきた。……話は続かないし、どもっちゃうし空回りもがっつりするけど(笑)

 後悔がないかと言ったら嘘にはなる。今でも過去の影を追いかけようとしていることもあるし、未だにけもの道を進める能力も根性もあるとは思っていない。けど、今の私はあのときより確実にいい景色を見ているという自信はあります。心も体も軽く、罪悪感もなく動き、自分の選択を自信を持ってできる。そうすることでさらに他人も許容できる。
 今の姿はきっと小さいときから「こんな人間になんてなるか」と思った姿だろうけど、悪くはないはずです。縮こまらず、必要以上に自分を否定しなければ、必ず味方はできます。堂々としている方が不都合なことや困ることが起こらない、なんていうこともあります。

 今の私は人に話ができるほどは何も成しえてはいません。けれど、過去のとんでもない私も未来のこれからあるべき私も、そのうちまるごと肯定できそうかもなと思えるくらいにはなっています。そしてその意識が、何よりも大事なのだということも理解できています。大丈夫。つらいだろうけど、どんなに底なしだと思っていても、生きていてくれている限り、きっと素敵な世界が見えるようになります。安心してここまで来てください。

 そして未来の私へ。どんな世界にいてどんな景色を見ているのかは今の私にはわかりません。けれどすぐ私もその世界に行きます。そして自分の中にもっともっとゆるぎないものができるように、望みを形にし創造していくことができるように、真摯に生きていきたいと思います。待っていてください。

 道はひとつじゃないし、正解もない。だから何を正解にしてもいいし、案外自分で作るっていうのも怖いものじゃない。間違ったっていいじゃない。迷惑だってかけずに生きていくことなんてできやしない。これからも心の羅針盤に素直に。思いがけない方向向いて怖くなっても、きっとそれは光り輝く世界を作るための大切な宝物になるはずだから。

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