母の死 [2014.11.22]


11月21日 22時27分

最愛の母が旅立った。

享年59歳。がんだった。

約3年前にポリープが見つかり、闘病はそこから始まった。

まずは兄と良い病院や医者を探した。

父を10年前に亡くしているので、兄と二人で必死になった。症状に合った手術の実績や、 評判が良い病院が千葉県柏市にあった。国立がんセンター。

それから何度も地元の別府から柏へ通った。初めは元気だったので病院の帰りに柏で買い物や外食を頻繁にした。

俺は上京してたので都内から通って、術後の入院したときもライブやリハがない限り毎日病院を目指して、柏駅、もしくは柏の葉キャンパス駅で降りていた。柏のホテルに泊まることもあった。

あの柏でのひとときは忘れられない思い出となった。

そして手術で腫瘍は取り除いたはずが、まさかの再発。

抗がん剤など色々と手を尽くしていたと思ってたけど、じわじわと進行していった。


人生で一番恐れていた日が近付いていた。


母は人が生きるということ、人はいつか死ぬということ、そして人を愛するということを身をもって教えてくれた。

闘病の様子をまとめるにはまだまだ時間が足りないので、このブログでは少しでも今の気持ちを書いていこうと思う。

なるべくリアルタイムでこの気持ちをどうしても書いておきたかった。

前からブログを始めようと思っていたので、これを1つの区切りとして。


いきなり暗い話でどうなのかという気もするけど、人生で一番恐れていた日を迎えてからのはじまりとします。



母が旅立った翌日、偶然にも柏でライブが決まってた。

体力的、精神的に行けるか正直不安もあったけどライブは外せない。多かろうと少なかろうと待ってる人がいるならば。

通夜や葬儀の準備のなか、一人朝イチで大分から羽田への飛行機に乗った。

羽田から柏までのバスがあり、向かっていると・・・

あのがんセンターに停まった。これまた偶然にも通いつめたがんセンターや、柏の葉キャンパス駅経由のバスだった。

その瞬間あのときの空気や匂いまで思い出して、気付くと車内でアホみたいに涙が出た。

そしてリハ終わりに、前に母と行った店をゆっくりと見てまわった。

きっと母も一緒についてきてるはずだから、二人で思い出の場所に行った。

なんでもないカフェや洋服屋がとても価値のあるものに感じた。

母が旅立った翌日にライブをやることに自問自答を繰り返し、散々悩んだけど、結果こうして来れたのは、間違ってなかった。

ライブが終わって今そう思えた。



今日の最後に演奏した
“BAND ON THE ROAD”
は母に捧げました。



おーい、お母さん。

そっちの世界で親父に会えたかな。

あれだけ愛してた親父だから会えたらいいね。

まだこの現実を乗り越えるどころか、受け入れることすらできないけど、

最期のときにも言ったけど、

愛してるよ。


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