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ふざけてても楽しめない

久しぶりに書きます。

朝晩はだいぶ冷える季節になりましたね。街がシャンシャン音を鳴らして、キラキラした光が反射して、それが過ぎれば、バタバタした空気感が拡がって、あっという間にししおどしの音が聞こえてくる気がします。

さて、先日になりますが、今年1番"大学生"をしました。
高校の男友達4人で名古屋飯を楽しみ、イルミネーションを楽しみ、家で曲を作ったり、歌詞を書いたりという、なんとも幸せな時間を過ごしました。

そこで思ったんですけど、祭りのあとの静けさとか、夏休みの最終日とかって、どことなく寂しい気持ちになりませんでした?
楽しいことの後の"現実感"みたいな。
僕は小学生、中学生の頃はそのような気持ちになっていた気がします。

 「あー、また現実がーー」みたいな。

だけど、今回の"大学生"の時間の後にはそんなこと全く思いませんでした。

それは僕がこの1年【割と本気で生きてたから】

確かにコロナウイルスによって奪われた時間は沢山あったと思います。そんな中でも僕は僕なりにその時やれること、やるべきことにしっかり向き合っていたのだと思います。
前回のnoteにも書きましたが、かなり心がやられる期間もありました。

だけど、その現実をしっかり生きたから、久しぶりの"大学生"を罪悪感なく楽しめたのだと思います。

僕は1人暮らしをしているのですが、何をするにも母親の顔を思い浮かべてしまいます。
「あーこのだらけてる時間も母は働いているんだよな。そのお金が僕の学費になっていたりするんだよな。」
自分の生活に自信が無いと、友達と会っていても、遊んでいても、心から楽しむことができなくなってしまいます。だから自分に恥じないよう、親に恥じないよう生活することは常に意識しています。その甲斐もあってか、今年は割と本気で生きてたから、友達と久しぶりに遊ぶ時間はとにかく楽しかったです。

小学生、中学生の頃のあの感覚は、今思うと、日々に対して本気で生きていなかったのだと思います。誘惑に負け、言い訳を探して、だらけて、1人前に「現実に引き戻される〜〜」なんてほざいていたわけであります。殴ってやりたい!!!笑

今年も残り1ヶ月を切りましたが、気を抜かずにやりきりたいなと思うわけです。
年末は実家に帰省するつもりですが、今年はやり切った。ただいま。また一緒に年を越そう。
蕎麦でもすすりながら、振り返ったり、来年のことを話したり。

そんな素敵な年末を迎え、2022年はより強く、真っ直ぐ、愚直に生きたいです。

そして楽しい年末を過ごしたあと、「現実に引き戻される〜〜」ではなく、「またこんな素敵な時間を迎えられるように頑張ろう」

そう思いたいですね。


幸せはずっと自分の近くにあります。
そう思わせてくれる環境、時間が愛しい。
幸せのハードルを越えていきたい。

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