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救われた話〜母とラジオとそれから②〜

前回の続き。
今回はラジオについて喋りたい。
ラジオとの出会いは小学生になるわけだが、毎週欠かさず、日常に溶け込み、本格的にラジオを聴くことが習慣になったのが2018年になる。この1年で様々な番組に触れることになったが、僕を救ってくれたの #annkw ,#cnann0,#fumou954 だ。

今でも大好きな3番組であるが、当時の僕には精神的支柱だった。前回も書いたことだが僕は人前で不安な様子は見せなかった。ところが、けれども、だが、しかし、but、彼らは夜中に妬み、弱みをさらけ出し、絶叫する。衝撃的だった。
「こんなにも恥部を晒すのか、なんなんだ」
自分とは正反対のことをしているのだ。
「なんだこれ」正直な気持ちだった。触れたことない人種に困惑していた。しかしこれがクセになる。
気づけば深夜の同じ周波数を目指して、昼間は耐え凌いでいた。「今日はどんな恥部を聞かしてくれるだろう」楽しみになっていた。
パーソナリティの叫びを聴くことによって、自分が叫べない想いを一緒に消化していたような気がする。自分の状況に置き換えたりしながら。
楽しみは気づけば支えになっていた。現実に叩きのめされた日、夕食の味がしない日、どんなにボロボロでも彼らは毎週変わらず迎えてくれた。安心した。楽しいのに、面白いのに、なぜか目が潤む日もあった。眠りにつき、そして現実が太陽と一緒に顔を出す。でも大丈夫だった。またここから1週間頑張れる。彼らが日々戦うように、僕も戦う。
暑い夏が過ぎて、寒い冬が来る。受験は近づく。大好きなラジオと一緒に。今でも冬が来ると胃がシュンとなる。笑 小心ゆえの弊害だ。笑

気づけば3年が経っている。オードリーの活躍は言うまでもない。もちろんボスも。Creepy Nutsもこの3年で信じられないくらい大きくなっている。僕を救ってくれた彼らもまた誰かに救われていたという。なにか同じようなモノを抱えているのかと勝手に親近感を抱いている。

どの世界にも「天才」と呼ばれる人は存在する。きっとその「天才」にも苦悩、葛藤があるだろう。それでも僕には同じ世界線で生きていると思えないし、共感もできない。「天才」であることを諦めて、ひたすら自分を磨く、その道で絶叫しながら、セカンド7番を背負っていく。そんな人たちに憧れる。かっこいいと思う。僕を救ってくれた人たちはそんな人たちだ。僕からすればもう1級品の芸を持っていて成功しているように見える。それでもまだ悩んで、高みを目指している。まだ何者でもない僕がそんな彼らと自分を重ねるのはあまりにお門違いかもしれない。1人前に悩んでるフリをしているのかもしれない。それでも同じ周波数のムジナだと思いたい。それが僕だけじゃなく多くの人を生かしてきたし、生かしている。

今では追い切れないほど番組を聴いている。習慣だし、生活の軸でもある。自分と向き合う時間の大切さを気づかせてくれた、人との繋がりの大切さを気づかせてくれた、今の自分を作ってくれたラジオ。大事な媒体だ。
今日も深夜の同じ周波数に向かっていく。明日も。その先も。どこからか夜更かしの歌が聞こえてくる。


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