スポーツとは脳筋ロマンである
スポーツ選手に関する筆者の見解
トランスジェンダー選手が話題になっている
昨今、トランスジェンダーのスポーツ選手や、心と身体が一致しない人の女子校入学・女子刑務所入所に対して、否定的な投稿や記事を見かける。 この事に関して一つご注意頂きたいのは、何がどうであろうと人はそれぞれであるという当たり前の事への配慮だ。
例えば「老害」という言葉を使う際、高齢者全般にレッテルを貼ることにならないよう、範囲限定の為の説明が必要である。
もう少し具体的に言うと、権力者と労働者や年金受給者は別である。
昨今の批判に広く見受けられる問題だが、範囲限定をするどころか、飛び火するよう煽る傾向があるように見受けられる。 物事の良し悪しは、結局のところバランスである事を忘れないで欲しい。
かつて筆者は低スペック・サイボーグだった
そもそもスポーツには、様々な不平等が存在する。 生まれながらの素質、家庭環境、周囲の理解、周囲の期待。 筆者は五体満足である。しかし、五体満足な人間の中では三重苦である。 判明順にあげると、動体視力・反射神経等の運動神経全般が悪い、心肺機能が低く伸び代も無い、筋肉が付き難く・落ちやすく・質が悪い。 幸運な事もあった。やる気が認められ、飛び級できたのだ。飛び級のお陰で練習時間が増え、得意のクロールにもある程度は集中することが出来た。 水泳のように施設ありきのスポーツにとって、これはとても大きい。
飛び級で選手になった事で、バブル崩壊直後の時代に小学生だった筆者は、様々な不公平を知ることになる。
水泳の選手コースはレッスン料が優遇されており、週二回の通常コースより月謝が安い。しかし、親の金銭的負担は大きく、練習用水着より高額な競泳用水着の購入や、大会出場の費用、食費など高くつく。
特に筆者は燃費の悪い体質で、父の何倍も食べる私の「燃料補給」の世話をする母は、買い物や料理の手間も大変だったようだ。
スポーツ選手は子供でも、協力者に対する一種の支払い義務がある。
スイミングスクールの優遇に対しては、広告用データの数値として、大会で少しでも良い成績を修めなければならない。担当コーチに対しても同じだ。
また、「クロール選手は個人メドレーにも出場すべし」等の命令にも従わなければいけない。私の場合、運動神経・物覚え共に悪かったので、専門種目のクロールに全振りさせてくれと要求したが通らなかった。
親はもとより学校でも、HRの早引きや個人的な筋トレでの校庭の利用など、周囲の理解・協力を得る必要がある。
その際にも「応援する意義」という、一種の精神的報酬が必要になる。
周囲の協力を得るにあたり、もっとも簡単なのは才能があることだ。
身近に才能溢れる子供がいると、周囲は勝手に期待して応援したがる。
これの質が悪いのは、本人にどこまでやる気があるか気にしないところだ。
やる気の程度に関わらず、ある程度まじめに練習をする子だと、周囲が勝手に盛り上がって引っ込みがつかなくなる場合もある。
その反面、本人にどれ程のやる気があっても、協力する意義を示さないと、なかなか応援して貰えない。
皆が求めているのは、ワクワクするサクセスストーリーであり、努力そのものを応援したいわけではないのである。
だから多少の欠点は好まれるが、私のように平均を大きく下回る素質しかない子供を応援してくれる人は限られており、それだけに貴重で希少で有り難い存在だったのです。
それはある意味で当たり前のことで、決して冷たいからではありません。
何千回の失敗を繰り返しても、成果が上がらないことも多い人間を見続けるのは、誰にとってもストレスが大きいものです。
映画などで、拷問シーンを長く見ていられないのと同じだと思います。
逆にいうと、それを実行していた筆者は人間を辞めていたのでしょう。
試合の際には、痛覚に含まれる「情報」には敏感になりつつ、「痛み」という不快感は遮断していました。
これが出来るようになったのは、肺が痛くなりやすいペース配分で泳いで、メンタル弱そうな相手を蹴落とすという作戦をよくやっていたからです。
練習で中距離を泳ぐ際は、意識レベルを意図的に下げてました。
脳が消費するエネルギーをまわし、筋肉が冷えて故障するのを防ぐ為です。
食事は完全に燃料補給でした。母の手前、美味しそうなフリをしつつ、実際には美味しいと感じることはなく、咀嚼で顎が筋肉痛になるのをうっすら感じながら、脳内の燃料メーターばかり見ていました。
大人になってから、数人の友人にこういった思い出を話したところ…
『サイボーグじゃあるまいし』とか『魔法みたい』だと言われました。
当時の私は自分の体を、自作パソコンみたいに扱っていたのだと思います。
この辺りは本格的なスポーツ経験のある友人には同意を得られますが、その常識のまま未経験者と体重話をすると、デリカシーのない発言になります。
性別に関わらずスタイルの良さを重視する人が多く、内臓の出力に見合っていればいいという考えは、理解は出来ても腑に落ちないようです。
また、水泳大会を性的な鑑賞目的で撮影する人がいると、問題になったことがありますが…私はそのニュースの理解に、かなり時間を要したものです。
私にとっては「工業用ロボットを鑑賞して、性的興奮を覚える人間がいる」と聞かされたのと同じだからです。
勿論、競技から離れた場所…例えば、ビーチなどで水着姿を見た場合、普通に人間の感覚で見てますが、水泳大会でのそれは今でも別なのです。
ボクシングの体重別の階級と同じ
これは私が経験した競技が水泳だからかも知れませんが、競技の男女別はボクシングの体重別の階級と同じだと認識しています。
一方、ユニフォームのデザインや更衣室に関しては、あらゆる性自認の人が不快な思いをせずに済むようにしてほしいものです。
因みに、全般的にどちらが強いかは、状況によって異なります。
まず、小学校3年生頃までは、あらゆる意味で女子が強いです。
思春期から中高年までは男子が強いですが、高齢者になったらどうなるのか、ちょっと興味が湧くところです。
また、水泳やマラソンでは、超長距離になると男女関係なくなるようです。
例えば、フルマラソンの倍という距離になると、優勝選手は女子が多いと聞いたことがあります。
水泳でも「海峡を泳ぎきる」みたいな冒険になると、挑戦者も成功者も男女云々というよりは、内臓の強度からして人間離れした超人だと思います。
そもそもスポーツというのは、人間の戦闘力の平和利用であり、自身を知ろうとする好奇心の一つの方向性の表れと考えています。
野生動物や自動車・ロボットと比べて、丸腰の人間は弱いです。
それでも身体を鍛えるのは、多くの道具で強くなった人間にとって、純粋な自身の力を強くすることが一種のロマンなのだと思います。
純粋な人間の力に拘った結果、人間を辞めるというのは、とても奇妙なことである一方、誰しもが手に入れられる可能性がある唯一の平等です。
低スペック・サイボーグは、素質に恵まれた”人間”達に敵いませんでした。
それでも、自身の世界が広がったのは確かです。
現代スポーツの問題点
商業的に女子選手が不利な競技が多い
稼げるスポーツといえば、野球とサッカーですが、それは男子だけです
プロになって経済的にも成功者になれる可能性は、スタート地点から環境的条件を大きく変えます。
先天的素質が大きく影響する以上、スポーツに平等はあり得ません。
しかし、だからこそ公平でなければなりません。
そもそも丸腰の人間は弱いのです。スポーツとはロマンです。
つまり、プロスポーツとはロマンの商業化なのです。
スポーツは子供達に対し、公平に希望を与えるものでなければなりません。
大人が子供に素質で競技変更を促すのは違う
東京オリンピック2020が決定した後、子供達に集団で能力テストを行い、より素質的に向いている競技への転向を勧めるという取り組みがニュースになっていましたが…言語道断です。あり得ません。
確かにスポーツは慈善事業ではなく、勝つことも大事です。
ですが、そもそも、その財源を稼いでいるのはロマンです。
大人が子供に、可能性とロマンを捨てるよう勧めるなんてあり得ません。
筆者はやる気を認められて飛び級したと、前述しましたが…
実は同様の飛び級をしたのは、私だけではなかったそうです。
他の子供達は1年持たなかったと、担当コーチから聞かされました。
だから、担当コーチは私の飛び級にも反対だったそうです。
通常コースだった頃のコーチも、私の飛び級には反対の様子でした。
恐らく、私を飛び級させてくれたのは、ヘッドコーチなのだと思います。
確かに、私は中学まで持ちませんでした。
筋肉と内臓に疲労が溜まり過ぎ、ニッチモサッチモいかなくなったのです。
それでも、水泳で培った頭と身体の使い方は、今でも私の日常と仕事を支えています。特に仕事では必須です。
スポーツの未来
逆転こそロマン
バブル崩壊の前後の時代、才能ある多くの水泳選手は、肉体的にも精神的にも贅肉が多かった。だからこそ、筆者も逆転劇を夢見たのであります。
それに比べ、近頃の一流選手はストイックになったものです。
勿論、喜ばしい事なのだが…逆転のチャンスが無いのはロマンに欠けます。
多くの研究者は、自国から世界一の選手を出すべく、才能のある選手を探したり、才能のある選手の能力を更に高めたりしようとする。
勿論、自国からチャンピオンが出れば、その競技が盛り上がるのは分かるし、収益化へ道筋をつけるのも大事なことです。
だが、それだけでは、勝てなくなった途端に人気も下がってしまう。
人間とは所詮、自分自身に対して最も興味を持つ生き物だ。
雲の上の一流選手の活躍より、自分自身が活躍したり仲間と出会うチャンスにこそ、熱くなるし金銭的投資もするだろう。
”素質がなくとも努力する”選手が、研究者や指導者の支援を受けられる競技こそ、観衆が本当に見たいスポーツではないだろうか?
筆者の妄想:未来の選手は仙人?
前述の通り、スポーツにおいて全般的に男性が強いのが現状だが、未来においては違うかもしれないと考えています。
分かりやすい例を挙げると、キングダムの羌瘣(キョウカイ)である。
競技にもよるが、神降し的な能力が一般化した場合、その圧倒的な運動神経(反射神経・空間認知など)に筋力のみでは太刀打ちできないと思うのです。
こう考える根拠は、筆者に前世の記憶らしきものがあり、男女の身体的仕様の違いをなんとなく把握しているからです。
”神降ろし”や”ダイブ”は、精神的特性が大きく関わりますが、身体的仕様で考えると、元気玉を集めたり神降ろしに向いているのは女子だと思うのです。
”ダイブ”については男子が向いていると言いたい所ですが、そもそも精神的特性としてダイブに向いている人間自体が少ないように見受けます。
もっとも地頭のいい人間は、どうせどちらも器用にこなしそうですが…
奇跡を起こすのは、極振りした低スペック人間だと信じたいものです。
参考資料
トランスジェンダー選手を批判する人はそもそも女性アスリートの不平等について気にもしていない
wikipedia:女子プロゴルファー ミシェル・ウィー
トランスジェンダーのムエタイ選手が得た「勝利」
※この記事では「勝利」を取り上げてますが、以前見たニュースでは性転換後に弱くなって勝てなくなったムエタイ選手が取り上げられてました。
巨人新規参入で復活なるか プロ消滅の女子野球
女子サッカー選手の年収は!?現状を徹底解説!
トップアスリート発掘・育成事業
タレント発掘・育成プログラムとは?
※[大人が子供に素質で競技変更を促すのは違う]で前述したのは当時視聴したTVニュースで、同一の記事・動画は見付けられませんでした。
アニメ:キングダム 羌瘣(キョウカイ)
eスポーツとは?注目される理由と魅力について