カンロ飴と祖父

はったい粉は祖母との思い出のおやつだが、では祖父との味の記憶は何だろうと考えたところ、思い浮かんだのはカンロ飴だった。

祖父は、いつどこでも飴を所持していた。関西のおばちゃんは飴を常備携行しており事ある毎に人に差し出すとよく言われるが、関西のおじちゃんたる祖父も例に漏れずそうである。中学生の頃、週に何日かは学校帰りに祖父の仕事場に寄っていた。仕事場には明治のチェルシーの黒い袋が置いてあった。袋の中から好きな味(さっぱりした酸味のヨーグルトが気に入っていた)を選び、入口にある自販機で買ってもらった缶ジュースを飲み、置いてあるスポーツ紙を読んだり宿題をしたりするのが放課後の過ごし方の選択肢のひとつだった。

なぜだか忘れたが、仕事で使うトラックに乗ることも割とよくあった。トラックの助手席は二人並んで座れるほどに広く、細々とした物が置いてあった。職場の机がチェルシーなら、トラックの助手席はサクマドロップスの缶である。あの四角い缶をガラガラ言わせながら、半透明の色とりどりの飴を手の平に出す。祖父は出た飴を順に舐めており特にこだわりは無かったようだが、私はハッカが苦手で白い物だけ避けて選っていた。今思えば祖父は最後はハッカばかりが出てくる羽目になっていたと思う。

そして、一番神出鬼没だったのがカンロ飴である。祖父母の家の何が入っているかよくわからない引き出しや、祖父の作業着の胸ポケットなどから、それは不意に出てくる。その多くはベタベタに溶けて包み紙と一体化しており、セロファンを剥がすのに一苦労した。口に入れると、三温糖のようなややこくのある甘味としょっぱさを感じる。この文章を書きながらあの味は一体何からと思いホームページで調べてみたところ、砂糖、水飴、醤油、塩という非常にシンプルな調味料から構成されていることがわかった。まるで和食である。実際にカンロ飴を大学芋や炊き込みご飯に使うレシピもあるらしい。その頃の私は味見と称して煮物の汁を祖母に与えられ、それと非常に似た中身の物を祖父から飴として与えられていたことになる。

カンロ飴もはったい粉同様、子ども心をそそるような物ではなかった。くれるから、貰っておく。立ち位置としては完全に補欠である。だが、決して目の覚めるような美味しさでないにもかかわらず、「記憶に残っているお菓子、ねえ」と頭の中をごそごそと探った時に、ぱっと取り出せて話し始められるのはなんとも地味で見栄えのしないはったい粉であり、カンロ飴なのだった。

最近、飴全般から遠ざかっていることに気が付いた。乗り物に酔うので常に携行していたのだが、このご時世では出掛ける先もあまりない。最初はそう思ったが、この感覚は物理的な飴の有無ではないと気が付いた。自分は昨夏に家を出て、祖父と過ごす時間がほとんど消え失せている。もし祖父の近くにいたら、口にせずとも飴の気配を感じることはあっただろう。おやつの記憶に思いを馳せ文を綴る時間は、想像以上に甘露なものだった。少しのしょっぱさと共に。

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