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灼氷の狂気よ、我が正気を啜れ

〈フェイ……、起きてるか。〉

 フェイ、と呼ばれた俺は運転席を起こす。外では極彩色のネオンが瞬き、毒々しいドレスのコンパニオンが男に腕を絡めている。時計は8時手前。30分の睡眠なら、今日はまだ眠れた方だ。

「起きてるとも。」

 俺は欠伸を噛み殺し、無線を返す。首を回すと体の怠さは強くなった。じとり、毛穴から汗が吹き出し、厭な暑さが広がる。ミネラルウォーターを含むと、零れた水がハンドルにかかった。俺は軽く舌打ちする。例年にないクソ暑さだが、エアコンをつけたくはなかった。冷気は俺を銀世界に呼び戻し、絶望で溺れ死なす根源みたいなものだからだ。
 俺の時間は、あの雪山で止まったままだった。

 17の冬、親父は突然目の前から消えた。

「親父ィーーッ!親父ィーーッ!」

 ありったけ深く息を吸い、俺は声の限り叫んだ。冷気が肺を刺しても構わなかった。

「親父ィーーッ!!」

 ゴーグルを外し、目を凝らす。吹雪で足元は危うく、1メートル先すら見えない。俺が追っていた親父の足跡は、いつしかなくなっていた。
 最悪の事態が脳裏を掠める。雪解けから親父の死体を掘り出す映像が不意に浮かんだ。俺の背中がじんじんと熱くなり、心臓はどくどくと鼓動を早める。俺は懸命に頭を振り、湧き上がる悪夢を払った。

 ルート取りも天気も完璧だった。俺が登山計画を見せた時の、満足そうに頷く親父の髭面、わしゃわしゃと頭を撫でる手。びゅおお。突風が記憶を引き裂く。

 絶望が体を蝕む中、俺は地図に目を落とした。慎重にルートを辿ろうとするが、現在地は分からない。それもその筈だ。
 俺の掌中の地図は、何故かガキの頃描いたお袋の似顔絵に変わっていた。バカな。俺の狼狽をよそに絵の中のお袋は、ぐにゃりと嗤いかける。

〈フェイ、魔女が来る。〉

 無線が現実に戻す。俺は雑居ビルの入り口を睨みながら問いかける。

「なあ、拉致ったら本当に教えてくれるんだよな?」

〈もちろんだとも。私達は嘘をつかない。〉

【つづく】

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