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凶匣解体人クロヒメ

 ちーん。エレベーターの扉が開くと、黒姫は手早く10階を押した。今週8つ目、都内タワーマンションでの仕事だった。
 「全く忌まわしい。」彼女は独りごちた。警察はギャラをケチるし、人使いが荒い。昨日大阪で1件終わらせたと思ったら、その足でのぞみに乗れだと?スカートのシワを取るヒマさえありゃしない。
 世間では”匣〈ハコ〉”絡みの事件が急増していた。放っていたら次から次に人が死んでいき、数少ない解体人である黒姫が、駆り出されている状態だった。マリアナウェブからわざわざ厄ネタを揚げるバカがどうなろうが、彼女にとって知ったことではないが、報酬が減るのは癪だった。
 黒姫は、歯噛みした唇にジバンシィの黒リップを塗り直す。五千円近くしたが、1日1食にすればNO問題。彼女は父が遺した「仕事では常に最高の身嗜みを」という言葉だけは固く守っていた。

 ちーん。鉄扉が重々しく開き、厚底の黒パンプスが絨毯敷きの内廊下を行く。昼間でも薄暗い照明の光は、黒ブラウスのフリルの間に吸い込まれていくようだった。黒姫は縦ロールのツインテールを揺らしながら見回すと、1008号室で歩みを止めた。

 他と変わらぬオーク素材のシンプルな扉。一般人であれば見逃す異変を、解体人は逃さない。ドアの隙間からは”匣”特有の腐臭が立ち込めていた。蟹の食べ残しを犬の口内に3日放置したような臭いが鼻を刺す。嗅ぐたび「どうせなら、パンの焼ける匂いだったら良かったのに」と黒姫は思う。彼女は軽くアキレス腱を伸ばすと、ドアを開けた。

「いぃいいひひあははぁ!!」

 防音が解けると、けたたましい笑い声と怒号が耳をつんざく。近づくと、警官が取り押さえられながら片目をえぐり出そうとしてきた。

「遅ぇぞ!ゴスロリ女!」

 警官に組み付きながら、老刑事は怒鳴る。

「五分でバラせば時間内よ。私はさっさと原宿に行く。」

 黒姫はアイシャドウで縁取られた目で一瞥すると、迷いなく寝室へ向かった。
【続く】

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