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五ヶ伝の特徴

古刀と呼ばれる室町までの日本刀は産地によって見た目に違いがあります。(新刀以降は流派による特徴の違いが見られるようになります)
確かな事はわかりませんが、材料や製法が違う為と考えられます。
その違いは大きく、5つに分ける事ができ、それを五ヶ伝(ごかでん)と呼んでいます。

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(参考文献:「日本刀の教科書」より)


日本刀を理解する早道は、このコアになる伝法の五ヶ伝(備前伝、美濃伝、山城伝、相州伝、大和伝)を理解する事らしいです。

今回はこの五ヶ伝の各特長と代表的な刀工をご紹介します。


①はじめに

見た目が違うと書きましたが、刀の姿(形)の事ではありません。
姿は五ヶ伝の影響よりも、時代的な影響を受けます。
例えば鎌倉時代は騎乗で刀を振る事が前提とされた作りとなっているため、馬で走りながら刃が抜けやすいよう反りが強く付きますが、歩兵戦がメインになる室町時代以降になると反っていない方が相手を突いたり斬ったりしやすいので、反りが無くなってきます。
ですので、ここでいう「見た目が違う」とは刃文の違いであったり、刀の表面の模様(地景)の事を指します。

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(画像転載元:http://isoroku-s.tripod.com/yagyu005.htm)



②備前伝(岡山県)

日本刀の中で最大の生産量を誇ります。
国宝や重要文化財などの指定品の約半数が備前伝の刀です。
最盛期は鎌倉中期と言われていて、一文字派や長船派が活躍。

五ヶ伝の中でも非常に人気なので、値段は高めです。
中でも一流刀工の作は特に人気で値段も非常に高いです。
光忠などのトップクラスは大刀剣市でもまず見かけませんし、お店の前に出てきません。
お得意さんの中で流通している印象です。

特徴
・匂い出来
・丁子刃を主とした華やかな刃文
・乱れ映りがあれば大体備前


参考画像:景光
(画像転載元:https://yuhindo.com/osafune-kagemitsu-tachi/)

景光2

景光3


代表刀工

友成、正恒、則宗、光忠、長光、吉房、助真、真長、倫光、盛景、盛光、
康光、清光、祐定

備前は刀工数が非常に多いです。
より詳しく見たい方は以下をご欄下さい。



③美濃伝(静岡県関市)

今でも関は刃物の町として有名です。
そこでは昔、美濃伝の刀が流行りました。
美濃伝は五ヶ伝の中でも一番新しい時代から始まります。
鎌倉末期に手搔派の包氏という刀工が、美濃の志津(海津市)に移住、兼氏と改名して、美濃伝の祖である志津三郎兼氏になったと言われています。

美濃伝が一番栄えた時代は室町後期で数打ち物が大量に作られた時代です。
そして戦国時代に一気に刀剣の主要産地国になるわけですが、これは周辺に斉藤道三や、織田信長、徳川家康など有力な戦国大名がいたからと考えられています。

美濃刀工は鍛冶座(組合の様なもの)を作り、徹底的に作刀の効率化を図り、一定品質の刀の大量受注に応えました。
因みに刀の中で最も値段的に買いやすいのが美濃伝です。
(村正も美濃伝ですが、ブランド力が高いので値段は高いです。)

特徴
・銘に「兼」が付く場合が非常に多い
・時代背景的にも打刀が殆ど。太刀は少ない。
・重ね(厚み)が薄い
・先の方が反る
・白けた地鉄
・沸は弱い
・表裏揃う尖り刃を焼く

参考画像:志津兼氏
(画像転載元:https://yuhindo.com/yamato-kaneuji-2/)

志津兼氏1

志津兼氏2


代表刀工
志津兼氏、孫六兼元、二代兼定(ノサダ)



④山城伝(京都)

山城国は殆どの期間、帝都として栄え、日本文化の中心地として発展してきました。
そのため大方の鍛冶が京都を中心に栄えたので京物とも言われます。
そういった土地柄もあってか、作は整っていて美しく、優美さを兼ね備えた品の高さを感じる作風をしています。

平安時代に三条宗近や五条国永といった刀工が活躍します。
その後、粟田口派と綾小路派が礎を築き、鎌倉中期頃の来派の登場で最盛期を迎え、南北朝期の長谷部派、室町期の信国派へと続きます。

来国光=「来たりて国光る」
来国次=「来たりて国を次ぐ」
など、刀工名から上記のような意味が連想でき、将軍の世継ぎへの贈り物として大変喜ばれ、昔から贈答品によく選ばれてきた歴史があります。
吉光や久国を筆頭に値段は高く名刀の代名詞とも言われます。

特徴
・地鉄に不純物が少なく潤いがある
・直刃などおとなしい刃文が多い
・小沸出来
・来派あたりから輪反り
・派手な彫刻などは少ない


参考画像:粟田口則国

(画像転載元:https://yuhindo.com/awataguchi-norikuni-tachi/

粟田口則國1

粟田口則國2


代表刀工

三条宗近、五条国永、粟田口久国、粟田口吉光、来国俊、来国光、来国次、了戒、光包、信国、長谷部国重
(名工が多すぎて書ききれません)



⑤相州伝(神奈川県鎌倉)

鎌倉中期に北条時頼が粟田口国綱と、福岡一文字助真、備前三郎国宗といった山城や備前の刀工によって基礎が作られたと言われています。
ただ銘に「相州住」とあるのは新藤五国光の為、国光が事実上の祖と言われています。
その後、国広、行光を経て正宗が相州伝を完成させました。

伝法の難しさから、最盛期は貞宗までで、その後、廣光や秋広と言った名工は出るものの、徐々に衰退します。

特徴
・軟硬の鉄を組み合わせた精美で板目肌の目立つ地鉄
・沸の働きが多彩
・沸が強く付いて刃が明るい
・刃先に行くにつれ刃文が激しくなる傾向
(但し、国光は直ぐ刃基調の物が多いためこれには当たりません)
・短刀が多い
・重ね(厚み)が薄いものが多い
・刀身彫刻も多い
・在銘は少ない(無銘にして正宗として献上するなど、恐らく政治的な利用を多くされた為とも思われる)


参考画像:相州行光
(画像転載元:https://yuhindo.com/soshu-yukimitsu-katana/)

行光1

行光2


代表刀工
新藤五国光、行光、正宗、貞宗、廣光、秋広

より詳細を知りたい方は以下をご覧ください。



⑥大和伝(奈良県)

刀の中で最も歴史が古いのが大和伝です。
現存する物は鎌倉以降の物ですが、古くは奈良時代からあるとも言われています。
大和には、東大寺や興福寺をはじめとして多くの寺院がありました。
平安時代になると、各寺院で領地を守る為、下級僧侶が武装し僧兵が組織して朝廷や幕府に強訴するようになります。
この僧兵の使用する武器として栄えたのが大和鍛冶です。
そのため、備前や山城のように商業ベースで流通する事が少ないことから、無銘作が多いとされています。
(銘を入れて価値を高める行為がされなかったため)
実用を重んじている事からか、古典的な作風をしているらしいです。
備前伝のような華麗さや、山城伝のような宝物感というよりは、質実剛健なイメージの大和伝とも言うべきでしょうか。
この飾り気のない無骨な刀らしさを好んでいる方も沢山いらっしゃいます。

大和五派(千住院、当麻、手掻、尻懸、保昌)があります。
因みに千住院や当麻など主にお寺の名前に由来します。


特徴
・鎬が高く、鎬幅が広い無骨な作風
・柾目がかかる(特に保昌)。板目であってもどこかに流れる肌合いがある
・直刃が基調
・帽子は焼き詰めか、掃きかけたり火焔風で浅く返る
・刃縁や刃中にほつれ、打のけ、湯走り、二重刃、喰違刃、砂流しの景色
・沸が強い (沸の強さ: 相州>大和>山城)
・南北朝以前の物は沸映りがあり、室町になると白け映りがある


参考画像:保昌貞興
(画像転載元:https://yuhindo.com/hosho-sadakiyo/)

保昌貞興1

保昌貞興2


代表刀工
当麻国行、龍門延吉、手掻包永、藤原貞興(保昌)、尻懸則長


⑦終わりに

皆さんは五ヶ伝の内、どれに一番魅力を感じるでしょうか?
刀工によって変わりますが、買いやすさでいうと大体以下の様な感じでしょうか。

「美濃 < 大和 < 山城・相州・備前」

山城、相州、備前は個人的には同じ位に人気なイメージでどれも値段的には高い印象があります。
美濃の無銘短刀なんかだと15万円くらいから買えるのもあります。
妥協しても結局欲しくなってしまうのが人間の性ですので、我慢して買える物をすぐ買うよりは、買えるようになってから自分の良いと思った刀を買うのが一番な気もします。

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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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