見出し画像

フトウコウのはなし その3.ココロとカラダ

前回、私たちが「原因さがし」によっていかに親子共々自信を失ったかについてお話した。しかし、私がこの行為が間違っていることに気づいたのは、自分たちの自信が損なわれたためではない。今回は、私が子供の不登校体験を通じて知った、体と心の関係性についてお話する。

前回も少し話に出たが、一日も行かなくなるまで、夫は帰るたびに子供にいろいろ言葉をかけた。

正直、私の中では、育児の大部分は私に押し付けられていて基本的に彼は私の報告を通じてしか状況を知らないし、そもそも残業とか休日出勤とかバンバンして不在なくせに、という気持ちもわりと大きな割合を占めていたのは否定しない。
だが日本は父親を働かせすぎているし、母親にいたっては会社で働きたい人は本人がやりたいからみたいな感覚が浸透してて(だって報酬の額、男女で違うもんね)、思い出すといつも残念な気持ちになる。

だから、彼はそんな日本社会で働きながら、彼なりに子供が不登校になりかけた危機の時にできる範囲で関わろうとした。以下のような具合だ。

「何日も休むから余計行けなくなるんだ。パパだって何日も休んだら会社に行けなくなる。」「行けないなら何か体の不調だから朝病院に行ってから学校に行け」「次はいつ行くんだ?」

隣で二人のやりとりを聞いていたら、夫は子供が会社に行けない大人になることをすごく案じているようだった。まあ社会に出たら、まずとにかく会社に行かなきゃ話始まらないですもんね(当時はコロナも在宅勤務も無かった)。今はその訓練。訓練すらできなかったら本番どうなるんだ?

幼稚園児で登園を嫌がる子でも向こうに着いてしまえば楽しく過ごせる、という話はよく聞く。つまり、「体が先行して心を従わせる」ということだ。

おそらく夫も似たような経験を、今までにたくさんしていると思う。
例えば、朝は会社に行きたくない気分だったが行ってしまったら仕事が忙しくてそんなことは忘れてしまった、などという経験は、専業主婦になるまでは私にだってよくあった。

だがこのような私たち親世代の感覚も、多くの皆さんと同じくわが家でも、親と子の衝突を招いた一因なのは間違いない。
自分が日々当たり前のようにしていることが自分の子供にできない訳が無い、第一できなければ社会に出たときに話にならない、と。

そう。つまり夫はいろいろ説得してなんとか子供を「幼稚園バスに乗せようと」したのである。

前回お話した通り、その頃私たちは担任の先生に相談し、具体的な「原因さがし」をして一つずつ潰そうとした。
例えば、給食の完食が無理ならあらかじめ少なく盛ってもらうとか。

子供にとって昼間は「原因さがし」で自信をすり減らし、夜は父親から社会の絶対的な力と、自分の人としての弱さについてこんこんと説かれる日々となった。
もちろん子供は反発もしたが、夜遅くまで私が話を聞くので大量のグチが生産されるにとどまった。
けれど、父に自己を否定されて傷つかない子はいない。当然母にも。
わが家のこの場合はたまたまラッキーで、グチの大量生産とお互いの不信感が最高潮に高まる程度で収まったが、家庭内暴力に発展するケースだって全く珍しくない。むしろ無い方が珍しいと思う。

聞く話では父や母に暴力をふるうことだって少なくない。知り合いのお子さんはカッターで畳をグサグサ刺したし、無いと言ってるわが家でさえ机を蹴るくらいはあった。

子供の話に戻ろう。

そのうち子供は、熱を出したりお腹をこわすようになった。

小児科へ行った。18歳までは内科を受診しようとすると「小児科へ行ってください」と言われる。どちらかと言うと体格のいい方(当時13歳)だったので、幼児向けのおもちゃや絵本があふれる小児科の待合で、特にぐったりもしていない、一人だけ大きなうちの子と並んで座って順番待ちした。
本人がそのことについて何か思ったかどうかは分からない。私の方は常に心を無にするよう心掛けた。だって誰も悪くないし、これについての対案も特に何も思いつかなかった。

最初に2人で久々にその小児科を受診した時、診察室に私だけ残って何か特別なことがなかったか聞かれた。答えるのが難しかった。
友達とトラブルがあったのも確かだし、給食など辛いことがあるのも確か。
「不登校」を分かっていなかったから、「新しい学校生活にまだ慣れていない」と言えばそう説明が付いたし、実際そんな説明をしたと思う。先生がそれをどうとったかは分からない。

子供の体調不良は発熱が多かった。37℃を少し超すくらいの微熱だったが、ただでさえ困難が多い学校に向かうのに、熱があるとなれば休ませるより仕方がない。
けれどもそのうちに子供の発熱は、そのタイミングで起きると休まねばならないタイミングで確実に起こるようになった。ほぼ毎日のように。

仮病?疲れ?だがどう見ても本当に熱があった。そして小児科へ行くと「ちょっと喉が赤い」と言われたり「肋間神経痛の可能性がある」と言われたりなんかかんか診断がついた。

当時私には考えることしか出来なかった。
そして
「体と心、実は支配しているのは体でなく心の方なのでは?今やっていること(原因さがし)はもしかしたら間違っているのでは?」
と考えるに至ったのである。

後から知ったのだが、このように気持ちから来る体調不良は、実は不登校ではよくあることらしい。身体症状と言うそうだ。

幼稚園児の例のように体が先行して心がそれに従う場合もあるが、心(無意識)が本当に危機に陥った時には、体は完全に無意識に支配される。
すると表面的な意思だけでは思い通りに動かせなくなるのである。

これを私の中で完全な事実と認めさせたのは、人から聞いた話である。
登校を長期間に渡り無理強いし過ぎたために、最後は本人が寝たきりの状態になってしまったという。

信じられない話だが、ご家族の口から直接聞いたのだから間違い無い。

学校に行こうとするとなぜか体調が悪くなる、心に支配されて体が思うように動かせない、なんて、他のママ友にいくら言葉を尽くして説明しても、ただの負け惜しみにしか聞こえない気がしてきてむなしくなることがあった。
そんな時はこの話を思い出して、私は子供の本能の声をちゃんと聞かねばならないと思い直したものである。
だってウチの子が寝たきりになったって目の前のママ友は0.1ミリも助けてはくれない。

その後、わが子は高校に上がってからほとんど休まず、成績優秀で表彰状をもらって卒業し専門学校で今興味のあることを学んでいる。(大学の推薦枠はいっぱいあったが結局専門学校を選んだ。一応お伝えしておきます。)

だからあの時子供の本能の声を聞き、自分の中の常識をひっくり返して「登校できない子供」を認めることができてよかった。

次回はこの「常識をひっくり返す」ことについてお話したいと思う。

最後にあと一つ、今「行けばなんとかなる」と思っているご家族や先生、無理強いをして外にひっぱり出すことだけは絶対にやめていただきたい。
お日様の下に行きたい、というのは本人こそが誰よりも強く願っている。


<追記2022.10月>

今回の話では、カラダよりココロの方が重要なのだ、と言っているように聞こえるが当然ながらこれらは両輪である。

私事だが最近たまに夜歩く。ウォーキングというやつである。

初めて歩きに出た夜、私は急に「うお~!おれは自由だー!」と叫びながら走り出したくなった。オバさんなのに。そして実際、そう心の中で叫びながら歩き出した。(久々の運動で急に走り出すなんて怖くて。)

うまく説明できないが、運動にはこのような効果があると思う。心の中に風を通してくれるような。心は自分で自分の中に風を通すことはできない。

そのような訳で、私は決して運動(体)を軽んじている訳ではないことはお伝えしておきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?