アーティストの Takayuki KATAHIRA(片平 隆行) です。 ごあいさつ日々、アートに限らず人に物事を伝える難しさを実感しております。 一生懸命に発信をしても、ほぼ役に…
ルドルフ・シュタイナーが約100年前に記した「魂のこよみ」 あらためて読みいってみると、言葉のひとつひとつが深く、日本語訳として難解な部分も多く、時代とともに言…
ルドルフ・シュタイナーが約100年前に記した「魂のこよみ」 数回の断捨離の結果、生きのこってきた本です、文庫本サイズで濃紺の生地に金とブルーがあしらわれ、厚めの…
具体的な作業に入り、テーマ(仮想タイトル)を考えることをしてみました。あとは、材料の調達やエアブラシのメンテナンスを行いました。 今までだと、テーマがボヤっとし…
今週から具体的な作業に入りました。 テーマはまだ、ぼやっとしたままですが、手を動かしながらテーマについても同時に考えてゆくというスタイルです。 ①額の塗装 作品…
100日修行達成、次なる課題に挑戦いたします! 毎日インスタに、その日に制作したイメージをアップし、翌日にその内容に自らツッコミをいれてゆくという即興的で、自分で…
今日からゴールデンウィークに入りお日柄もよく、みなウキウキと歩いているように感じられました、みなさま、いかがお過ごしでしょうか? コチラは、そろそろ来年2月の個…
毎日のように、まだ知らない世界との出会いがあります。 阿頼耶識(あらやしき)という言葉に巡り会いました、無意識や暗黙知などを調べれば調べるほど、人類はとうの昔に…
均整がとれたバランスを追求することは、美しさにつうずる可能性もありますし、本来の性質を抑圧することにつながる危うさもあります。また、その逆説も考えられます。 人…
もし人類が言葉という道具を持たなかったら 言葉の器は必要がありません おいしく言葉をのみ込むためには無理をせず 器に一度ためておいて すこし冷ましてから、のみ込め…
作品をつくる材料を選ぶことはとても重要なことです。 自分と相性のいい材料に出会えるかどうかが、表現の幅におおきく作用します。そして最高に相性がいい材料を使ってい…
アートには規定演技がありません。 スポーツには規定演技なるものがあり、体操やフィギュアスケートなど良い成果をだすためには、ルールによって定められた基準をクリアす…
一般的な職業では、例えば、医師は病気を治すであるとか、バスの運転手は乗客を目的地につれてゆくなど、自分に何が求められているのかが大体わかるのですが、アーティスト…
よい作品にたどりつくためには、作品を数多く制作することです。 いけてない作品を多く制作することによって、よくない部分の改良や、自分らしくない部分を取りのぞいてゆ…
肉眼でみる作品と、写真でみる作品とでは、伝わるものが明らかに違うのはもうやむをえないのです。 写真の現像技術は、だいぶ向上してきているつもりですが、なんか、生の…
アーティストの Takayuki KATAHIRA(片平 隆行) です。 ごあいさつ日々、アートに限らず人に物事を伝える難しさを実感しております。 一生懸命に発信をしても、ほぼ役には立たない情報かと思うと、なんか少し虚しくなってきます。なんとか、自分のアートに触れてもらい一石を投じられる内容を展開できないものか。 子供の感想文のように直感的にダイレクトに書いてしまうことや、行き当たりばったりになってしまうことも多いのですが、アートに興味がある人や、自分もアーティストにな
ルドルフ・シュタイナーが約100年前に記した「魂のこよみ」 あらためて読みいってみると、言葉のひとつひとつが深く、日本語訳として難解な部分も多く、時代とともに言葉にニュアンスも変わってきているし、制作や、なんちゃってマインドフルネスにも、役立つように理解しやすく言葉を選んでみたくなりました。 私がどう在るべきか忘れて 夏の風に包まれた工房にいる 自己に対する意識がうすらぎ 光の中をさまようとき 大いなるものが力をこめて告げる 自分を知るために自分は必要ない ◇◇◇
ルドルフ・シュタイナーが約100年前に記した「魂のこよみ」 あらためて読みいってみると、言葉のひとつひとつが深く、日本語訳として難解な部分も多く、時代とともに言葉にニュアンスも変わってきているし、制作や、なんちゃってマインドフルネスにも、役立つように理解しやすく言葉を選んでみたくなりました。 宇宙や大いなるものの創造によって 感性が解放されてゆく 思考を沈め ただ、夢中でとりくむのだ 超越的な存在が 心に中でひとつになろうとする 潜在意識にダイブするために すべての音を
ルドルフ・シュタイナーが約100年前に記した「魂のこよみ」 数回の断捨離の結果、生きのこってきた本です、文庫本サイズで濃紺の生地に金とブルーがあしらわれ、厚めのビニールにおおわれていて、いかにも、自然の中に持ち出して、これらの言葉とたわむれよ!というメッセージがこめられている本です。 あらためて読みいってみると、言葉のひとつひとつが深く、日本語訳として難解な部分も多く、時代とともに言葉にニュアンスも変わってきているし、制作や、なんちゃってマインドフルネスにも、役立つよう
具体的な作業に入り、テーマ(仮想タイトル)を考えることをしてみました。あとは、材料の調達やエアブラシのメンテナンスを行いました。 今までだと、テーマがボヤっとしたまま作業に入ってゆき、ある程度、完成が見えてきた段階でタイトルをつめてゆくパターンがほとんどでした。 しかし、ラフを描いていると展示するもの全てがひとつの物語の重要な一ページであるかのような立て付けにしたく(いままでもその側面があったのですが)物語=インスタレーションであるというような考えを強調してゆきたいと考え
今週から具体的な作業に入りました。 テーマはまだ、ぼやっとしたままですが、手を動かしながらテーマについても同時に考えてゆくというスタイルです。 ①額の塗装 作品ができてから額の仕様などの展示方法を考えるというのが王道ですが、展示の全体を考えると額入りの小品は、最低2点ぐらいは必要になりそうなので作業をしました。 額は、額屋さんで買えばよいのですが、貧乏性とやりたがりの性格から今までも自作しているものが沢山あり、今回は、それらを再利用するために、つくった作品を分解して、き
100日修行達成、次なる課題に挑戦いたします! 毎日インスタに、その日に制作したイメージをアップし、翌日にその内容に自らツッコミをいれてゆくという即興的で、自分でも何がでてくるかわからいというシンクロを引き起こす企てを100日間やってきました。 ◇◇◇ ■一日の作業 イメージの制作は一日1時間〜2時間程度、どうしても手が回らない日は、ボツにした画像を現像だけする日もありましたが、基本的にその時間でできる作業なので、水彩や簡単な針金の加工などで制作をしました。 時間が
今日からゴールデンウィークに入りお日柄もよく、みなウキウキと歩いているように感じられました、みなさま、いかがお過ごしでしょうか? コチラは、そろそろ来年2月の個展に向けて 具体的な制作に入ってまいります。 今後10数年ぐらいを見据えてアトリエや余計なものは次々と手放し、終活にはまだ早いかもしれませんが、動きやすいように制作環境を整えてきました、狭いスペースで作業効率を上げる方法をいろいろと試してきて、今年に入ってからはnoteやインスタの力をかりて、毎日なにかしらアートの
毎日のように、まだ知らない世界との出会いがあります。 阿頼耶識(あらやしき)という言葉に巡り会いました、無意識や暗黙知などを調べれば調べるほど、人類はとうの昔にそれらのことは研究しつくし、「何をいまさら掘りおこしているのだね?」と、 先人たちが、横で微笑んでいるかのような気分になります。 阿頼耶識とは、仏教の教えである意識はいくつあるか?の八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・ 末那識・ 阿頼耶識)の中の最深部であり、一人ひとりのそれぞれの存在がすでに記録されているア
均整がとれたバランスを追求することは、美しさにつうずる可能性もありますし、本来の性質を抑圧することにつながる危うさもあります。また、その逆説も考えられます。 人間で例えれば、偏りがなく均整がとれた状態を追求することは、自己実現や自由といった、尊重すべき人間の本質的な価値を犠牲にすることになりかねません、人間は自由な存在であり、自己実現を追求することによって真の幸福や成功を手に入れることができるとされています。そのため、均整がとれた性格を追求するよりも、自己実現を妨げない範囲
もし人類が言葉という道具を持たなかったら 言葉の器は必要がありません おいしく言葉をのみ込むためには無理をせず 器に一度ためておいて すこし冷ましてから、のみ込めばよいのです 言葉はとても抽象的です、目の前に無いものを想像させる凄い道具です、それ無しでは思考もできません、アートが感性であると強弁したとて、言葉を切り離したとたんに、その価値は石のようになにも語らない物質的なものにおき変わってしまいます。 もし、あなたの言葉の器に、美しき記憶の断片が言葉としてただよい、哲学
作品をつくる材料を選ぶことはとても重要なことです。 自分と相性のいい材料に出会えるかどうかが、表現の幅におおきく作用します。そして最高に相性がいい材料を使っていたとしても常にそれが良い結果を産み出すかどうかは、完成をしてみるまでは判りません。 全体は細部に宿るという言葉どうりで、細部のつくり込みがうまくいかずに、オジャンになってしまうという経験はだれしもが持っているのではないでしょうか? 作品をつくることは、行き当たりばったりのもので、予想不可能で不確実性に溢れていて、
アートには規定演技がありません。 スポーツには規定演技なるものがあり、体操やフィギュアスケートなど良い成果をだすためには、ルールによって定められた基準をクリアする技の精度を上げ、定められたとおりの美しさを表現することが求められます。 そして、その精度によって決められた点数をなるべく多くするためにカラダを鍛え、訓練を重ね、ひとつでも上の順位を狙い、最高到達点の金メダルを目指すことに疑いがありません。 しかし、それと同時に 「記憶に残る演技をしたい。」と いっている選手をみ
一般的な職業では、例えば、医師は病気を治すであるとか、バスの運転手は乗客を目的地につれてゆくなど、自分に何が求められているのかが大体わかるのですが、アーティストとなると、そのあたりのことが曖昧で説明するのが難しく、目標や挑戦すべき課題を明確にすべくもがいていることが多いように感じます。 アートを美的なものである。ととらえれば人々が美しいと感じるものを、テクニカルに表現して、観る人にとっての美を再現してゆくことが仕事であるというふうに定義づけできるかもしれませんが、 つくる
よい作品にたどりつくためには、作品を数多く制作することです。 いけてない作品を多く制作することによって、よくない部分の改良や、自分らしくない部分を取りのぞいてゆくことで、これが自分の作品であるという必然性がでてきます。 制作に追いこまれたときに、寝てる間に、童話の中の小人たちがでてきてくれて、どうか私に変わって制作してくださいませ! と、神様にお願いしても、いままで、それで、制作が進んだためしは一度もありません。 目覚めて、あぁ自分の作品は自分でつくるしかないのか、、、
肉眼でみる作品と、写真でみる作品とでは、伝わるものが明らかに違うのはもうやむをえないのです。 写真の現像技術は、だいぶ向上してきているつもりですが、なんか、生のリアリティーが表現しきれていない感じが、なんとも悔しいのであります。 かつて、音楽制作でサンプリング技術があがり、リズムの打ち込みがあたりまえのようになりましたが、熟練したドラマーが叩いたリズムは価値があり人に何かを伝える影響力があります。 この世からドラマーがいなくなることなどは考えられず、デジタルの世界とはい