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一億総ストリートミュージシャン

文章について私のスタンスを書いてみようかなと思います。

「書けば読んでもらえる」と思う人が多い。あなたの文章はあなたにとって特別でも、誰かにとっては他の人の文章とかわりない。読んでもらえるように鍛錬するか、多くの人の「特別」になるかしかない。面白いネタで書くか、ネタがつまらないなら伝え方を極上に磨くか、自分との関係人口を広げるか。(片平優/Twitterより引用)

自分で引用しちゃったよ。まあいいや。

文章を書いて容易に公開できるようになったので、あちこちに色んな人の文章が転がっています。これは今の時代の特徴です。

「活字中毒」「本の虫」という言葉があったくらいですから、昔は違ったのでしょう。活字を見るとうっとりするくらいの活字ファンは多かったと推測されます。コンテンツの制作者が限られていて、それを公開する方法も少なかった。なので作家は選ばれし「書き人」であり、みんなこぞってその人が書いた文章を読んだ訳です。

音楽もきっと同じような運命をたどったのかなと思います。ごく一部の特別な歌手だけに許されていた「人前で歌い聞かれる権利」は、今はみんなのものになりました。カラオケでは、みんな好きな歌を歌って楽しんでいます。路上で歌うミュージシャンもいます。YouTubeで自分が歌う動画を公開してそこからスターダムを駆け上がるシンガーも出てきました。今や皆に平等に許されているのは「プロアマ不問、上手下手不問、歌いたい人が歌い公開したい人が公開する権利」です。

みんなあっちこっちで歌いまくっています。人に聞かせたいから歌う人が溢れる。それを聞きたい人がいるかどうかは別の話です。

つまり文章も同じです。書きたい人があちこちに溢れています。Twitterでは日々「読んで」「読んで」と色んな人が色んなネタを書いています。活字中毒の人が今の時代にタイムスリップしたら嬉しすぎて卒倒するかもしれせん。十人十色、玉石混交、人生いろいろ。演歌の曲名はどれでしょう。音楽でいったら、ターミナル駅近くの路上にストリートミュージシャンが500人くらい並んで、各々が好き勝手歌っている状況です。帰宅途中のお姉さんもお兄さんもビックリです。

オーケストラではなくソロ路上ライブの集合体、ものすごい音です。歌のジャンルはあれこれ、声の大きさもバラバラ。ずっと大声で激しく歌っている人もいれば、しっとりと弾き語っている人もいる。けっこうすごい状況です。でもこれがまさにTwitterやnoteを視覚化した状態。多分みんながこの状況で彼らにのぞむのは「最低限、歌が上手であってくれ」かなと思います。

そう、聞くほうも要望がある。もちろん読み手にも思うところはある。さて、どんな文章が好まれ読まれるのか、本日は私の考えを3つあげます。

まず一つ目、面白いネタは読むに値する。これは紛れもない事実だと思います。面白いネタを持っている人は、書こうが喋ろうが外さない。歌でいったら人気アーティストが作ったヒットソング。世界観がはっきりしていて、メロディラインもみんなにウケる。これは相当に難しく、ごく一部の人だけがこのカテゴリーで活躍できるのかなと思います。多分ストリートミュージシャンの中にこのカテゴリーの人はいません。ただし、私が知る限りの情報として、20年前のゆずは除く。

2つ目は、書き方を極上に磨く。誰もが真の意味で面白いネタを手に入れたり作り出したりできる訳ではないので、大体の人はここに入るのかなと思います。ちなみに私もここに入ります。私は特別な人間ではありません。会社経営は軌道に乗りつつも、人に語るほど経営やり手でもない。自分の専門性のクリエイティブワークには、関係も関心もないビジネスパーソンのほうが多いような気がします。そんな中でなんとか読んでもらうためにと、私なりに尽力しています。最低限、誤字脱字に注意。以外と意外は絶対に間違えない。字面が美しくなるように漢字と平仮名を意識的に操り。同じ言葉を繰り返して単調にならないように注意。少し引いたトーンが内容やキャラクターに合うので、ヘラヘラしない。スンとした印象になるようにしかしながら孤独な存在にならないよう自虐ネタでバランスをとり腹を見せる。Twitterなら140文字以内に一つは笑えるポイントを作る。

文章を公開し読んでいただくというのは、みなさんの視界にお邪魔し、少しお時間を頂戴してお目汚ししている訳です。その時間をその方が「損した」と感じるなど、あってはならぬ。それを避けるべく、極力失礼のない文章作成を心がけるのは礼儀であるというのが私のスタンスです。おっと硬派な一面をお見せしてしまいました。

話は戻り三つ目は、好まれる文章の種類というよりもはや最後の手段。ネタは特別でもないし書き方も下手なのだとしたら自分との関係人口を広げるです。正直こうなると、下手な文章を読んでくれる人は知り合いくらいです。これはオススメしないぞ、私のオススメは、スゴロクでいったら「一つ戻る」です。一つ前の選択肢に戻って、最低限の整った字面を獲得するまで一人でコソ練してくれぇ。お願いします。そういうの嫌い?なるほど、分かりました。そういう方はもう覚悟を決めて、知り合いをたくさん作り、ジャイアンになってください。どうぞ自分の子分を集めて、空き地でリサイタルを開いたってください。路上ライブで大声で歌ったところで、ジャイアンの支配力が及ばない誰かが彼のオリジナルソングを聞いてくれる可能性はほぼ皆無です。むしろ、みんな逃げます。でも一方でこのパラグラフの目標は、関係人口をみんな読者候補と捉える捻じ曲げ力の強化。プロダクトアウト的発想の文章は、もう関係性を利用して強引に読ませちゃいましょう。押し売りならぬ、押し読ませ。

あのジャイアンですよ。彼の歌の下手さ、あれの作品内での扱われ方を覚えていますか。かなりヤバいものとして笑いのネタに使われてましたよ。結構イヤですよね。頼むからイヤと言ってくれぇ。ジャイアンになるのがイヤなら、一つ手があります。それは一人カラオケでコソ練です。客観性がほしいなら誰かを連れていってもいいですが、例えばスネ夫はジャイアンの前で本音を言わないので人選は慎重に。いずれにせよ、人前に出る前にそれなりに上手になってから出るというスタンスを私は美しいと思います。もう一つは練習中と言わないことです。あなたが「本日何ツイート達成」とか、「note連続記事●日め」とか書くと、練習中であるとバレてしまいます。練習を見たくない人は、スーッと素通りすること間違いなしです。だってあなたには意外かもしれませんが、人は練習中の人を別に見たくないものなのですよ。

だってあなたには意外かもしれませんが、人は練習中の人を別に見たくないものなのですよ。

そして眠いので最後に一つだけ。上記の文では「以外」を使わないでくださいね。以外と意外は違います、これ意外と知らない人が多いのです。私は以外と意外を使い分けられない人をすぐ見つける以外意外ポリスです。違いが分からないなら、調べて覚える以外に方法はありません。さあ、いますぐ調べてください。この違いを知らない人は最低限の文章作成能力がないとみなしますが、知らなかったなら百歩譲って許します。許しがたいのは、ここに違いがあると分かった上でその違いを知らなくて良いと思う人です。そのような言葉と雑に向き合う姿勢には全く共感しないので、私はその人の文章を読みたくありません。大変申し訳ございませんが、私はどなたかが以外と意外を使い分けていない上に使い分ける気もないと気づいた瞬間に、こっそりとフォローを外します。誤字脱字アレルギーなのかもしれないので、この間違いには体質的に耐えられません。逆にこの単語の扱いをないがしろにしたくないという私の美意識に共感いただける方とは、もっとお近づきになれる気がいたします。

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