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率直に言うと

謎のウィルスのせいで外出の機会が制限されてから、かれこれ半年以上は経っただろうか。人と会ったとはおおっぴらに言いづらい状況や、ダサいマスクの着用必須が続いている。続いてきているし、この後も続くであろう。

マスクをダサい、というのは不謹慎だろうか。ダサいものをダサいというのの何がいけないんだろう。致し方なくマスクをしているから、マスクがダサい件については言及しないのが大人の態度なのだろうか。そうは言っても、ダサいものはダサい。同じマスクについての事柄ではあるが、ダサい話と着用必須の話は別である。ダサいものをダサいと感じる美意識は本物なので、そこにウソはつけない。

謎のウィルスによって、オンラインでの音楽ライブや演劇の視聴もさらに広まった。物理的に集まるのは難しいから、こうなっている。苦し紛れの方法には違いないが、これはこれでアリなのかもしれない。そう、これはこれで無しよりはマシである。致し方ないなりのベストをみんな模索している。

無しよりはマシ、なのであって、最高の出来ではない。提供側も受け取る側も分かっているはずである。一番集まれなかった5月の頭に、私はオンラインスナックを主催した。その時は「これはこれで楽しい」と思いながらも、対面がベストだという気持ちは譲れなかった。どんなに「楽しいね」と言っても、現状の最適解としか思えない。「素晴らしい機会をありがとうございました」と変に褒められるより、「みんなで会えたらどんなに良かっただろうね」と劣化版である前提のコメントをもらったほうが私は気が楽だった。

いろいろな柄のマスクが発売されている。ファッションの一部と言わんばかりだ。「マスクをオシャレにしようと頑張っています」という態度が小っ恥ずかしくて、私は柄がついているマスクには手を出していない。マスクはマスクだろう、という感じで、片平は黙って白マスク。と割り切っていた所に数週間前に生成りの布マスクをいただいたので使ってみたら、快適だったのですぐに乗り換えた。無地の生成り、このくらいはイケる。そこからちょっとずつ攻めていき、先日はやたら曲線的な洗えるタイプのを数枚買った。

そもそも、マスクありきのコーディネート、って何だよと。分かるよ、このマスクという存在を受け入れる必要があるのは。でも、いきなりきて何なの、マスク。強制的にコーディネートに乱入してきた新参者。ファッションとマスクの相性は悪い。

マスクありきのコーディネートを考えるなら、いっそのことファッション丸ごと諦めたくなる気持ちになる。マスクするならジャージでも着ようかなくらいの勢い。ゼロか100かの選択ではなく、共生の道を模索するべきという意見もあるだろう。ファッションとマスクの共生。つらいなあ。

マスクをするという前提の日は、化粧をするモチベーションも上がらない。全部作り上げてから半分以上を隠す、って一体どういう骨折り損よ。そういう日は目だけ何とかしておけばいいか、という雑な感じになってきた。マスク許すまじ。いやいや、マスクは謎のウィルス対策アイテムなので、許すまじの真の対象は謎のウィルスであるべきだ。ウィルスを憎んでマスクを憎まず。マスクに罪はない。

とはいえマスクはコーディネートを邪魔するうえに、表情という肝心な情報を取得しづらくする。オンライン会議×マスクの相性の悪さよ。オンライン会議は声かぶせづらいから発表中は相槌を打てない。そうすると、リアクションの方法は目と頷きとジェスチャーしか残されてないじゃない。ジェスチャーは日本人は多用しないんだからね。それなら頷くか、でも首の可動域にも限界がある。そうなると残された感情表現は、目ヂカラだけ。目ヂカラだけって。情報少なすぎないか。解像度の低いオンライン会議だと、もはや目からの感情情報はないに等しい。正直これ、カメラオンにする意味あるのかしら。オンライン会議の世界、改良の余地しか感じない。

謎のウィルスがもたらした新しい生活様式とは、なかなかに滑稽である。

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